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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2010年 03月 21日
北野天満宮の道真詩碑
 菅原道真ゆかりの北野天満宮。ここにある碑といえば、梅苑もみじ苑の入り口付近に建立された歌碑がよく紹介される。百人一首に採られている「紅葉の錦神のまにまに」を刻んだ碑なのだが、道真碑はこれだけではない。

北野天満宮の道真詩碑_a0029238_1850277.jpg

 絵馬所から本殿に向かう参道脇にはいくつかの摂社が並んでいるのだが、その中の一つ、火之御子社の横にあるのがそれ(写真クリックで拡大)。「神製」と大書され、存在感もある碑なのだが、観光雑誌が完全に無視していることや、なんやら難しそうな漢字がタラタラ並んでいることなどから、その存在に気を留める人はあまりいない。注目度なら、むしろ、そのすぐ近くにある神牛像の方が高い。

 そういう碑なのだが、そこに刻まれているのは菅原道真の漢詩なのである。詩の後に刻まれている由緒書きによれば、「前攝政二條藤公」が「齊泰」に建立を勧めた云々とある。二条藤公とは最後の関白、二条斉敬で、齊泰とは菅原齊泰こと、加賀藩主前田齊泰だろう。
和風期五日徳化在三春遠近吹無頗高低至有隣開花驚老樹解凍放潜鱗號令今如此應知養長仁
正三位菅原朝臣齊泰敬書

重陽資飲宴四望喜秋晴不是金飆拂應縁玉燭明無為玄聖化有慶兆民情獻壽黄華酒爭呼萬歳聲
従三位菅原朝臣慶寧謹書

前攝政二條藤公嘗以齊泰為□菅神裔勸建碑祠前乃選菅家文草中五律二篇父子各書一首又舎弟七子従四位菅原朝臣利鬯畫梅花扁題則有栖川中務卿一品親王所書併勒以建焉明治二年歳次己巳秋七月齊泰拜識
孫 従四位菅原朝臣利嗣謹書
□は欠字
 本文は例によって読めませぬとなるところだが、幸いにも「菅家文草中の五律二篇を選び」と書かれているので、岩波大系本の『菅家文草 菅家後集』から書き下しを紹介することができる。まず、最初の方は、巻第三の「『春の徳は風なり』といふことを賦し得たり。<題中に韻を取る、三十字篇を成す>」と題のあるもので、
和風 五日を期す
徳化 三春に在り
遠近 吹きて頗(かたよ)りなし
高低 至りて隣あり
花を開かしめて老樹を驚す
(こおり)を解かしめて潜鱗を放(ほしいまま)にす
号令 今此の如し
仁を養ひ長ぜしむることを知るべし
と訓むらしい。内容は春の恵みを謳い、それをもたらす仁政を寿ぐというもの。二つ目は、巻第一の「九日宴に侍りて、同じく『晴を喜ぶ』といふことを賦す、製に応(こた)へまつる<序を併せたり>」という題、および序に続くもので、
重陽 飯宴(よえん)を資(あた)へたまふ
四望 秋晴を喜びたり
是れ金★(きんぺう)の拂ふにあらず
玉燭の明(あきらか)なるに縁(よ)るべし
無為なり 玄聖の化
慶び有り 兆民の情(こころ)
寿(いのちなが)きことを献(たてまつ)る 黄華の酒
争ひ呼ぶ 万歳の声
《★は風偏に「犬」を三つ重ねた文字、碑の字とは偏と旁が反対》
とのこと。「飯宴」-「飲宴」や「金★」-「金飆」などの異同があるのは底本の違いだろう。重陽宴に晴れ上がった秋空を称え、王徳を謳って長寿を願うという主旨で、こちらも天皇賛歌である。詩篇に続く由緒書は、当然ながら『菅家文草』とは関係ないので、当方の試読になるが、とりあえず次のように訓んでみた。
前摂政二条藤公、嘗て齊泰を以て菅神の裔と為し、碑を祠前に建つるを勧む。乃ち菅家文草中の五律二篇を選び、父子各一首を書く。又舎弟の七子、従四位菅原朝臣利鬯、梅花を画く。扁題は則ち有栖川中務卿一品親王の書くところ、併せて勒(ほ)り、以て建て焉(おわ)んぬ。明治二年歳次己巳秋七月、齊泰拜して識す。
孫 従四位菅原朝臣利嗣、謹んで書す
大意は以下のとおり。加賀前田家が菅公の末裔であると称していたことにちなんで、二条斉敬が前田齊泰に碑の建立を勧めたところ、齊泰と長子慶寧が菅家文草から一篇ずつ選んで書き記し、七子の利鬯が梅の絵を描いた、そして有栖川宮熾仁親王に扁題を給わり、それらを刻んで碑を建立した、時に明治二年秋のことである。以上、孫の前田利嗣が謹んで記す。なお碑の右下には小さな文字で「東京 廣羣鵬刻」とある。石に刻んだ彫り師の名前だろう。

 碑が建てられたのは明治二年ということだが、二条斉敬や前田齊泰あるいは有栖川宮らの名前が出てきて、幕末から維新の動乱期の世情と重ねて読むと、それなりに空想も膨らんでくる。

北野天満宮の道真詩碑_a0029238_18573874.jpg
(刻字の部分の拡大版。写真クリックで拡大*由緒書の方は字が小さすぎるため、碑全体を収めた写真では確認不可


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by office34 | 2010-03-21 19:10 | 歌碑・文学碑など