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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2010年 03月 27日
御池大橋西詰の漱石句碑(附:謎の石造物)
御池大橋西詰の漱石句碑(附:謎の石造物)_a0029238_2243154.jpg

 祇園白川にあるかにかくに碑(吉井勇歌碑)を取りあげた際、お茶屋の大友の女将お多佳さん(磯田多佳女)のことにも少し触れた。文人たちの間で人気があったという名物女将だったということだが、歌碑・文学碑にその姿が偲ばれるものとしては、御池大橋西詰め南側にある夏目漱石句碑を挙げることができる(写真クリックで拡大)。
木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を 隔てゝ 男女哉
漱石
御池大橋西詰の漱石句碑(附:謎の石造物)_a0029238_1245599.jpg  京都ネタを紹介しているいろいろなサイトでもたびたび取りあげられている有名なシロモノなのだが、少しだけ掘りさげてみる。

 まずは刻まれている俳句それ自体について。俳句というとパブ犬的に五七五と言ってしまうが、この句はそうした定型には沿っていない。内容からなら六・四・八の自由律であり、定型風に捉えるなら、春の川を(6)隔てゝ男(7)女哉(5)となって第一句の字余りである。字余りとなる「を」が必要だった理由はよくわからないが、もしかすると推敲すれば削られてしかるべき一文字だったが、即興の一句だったのでこうなったというのが本当なのかも知れない。作られた時の事情が詳しく紹介されていることも併せて考えると、この句は、これだけで自立しているというよりはシチュエーションと合わせて味わう一句ともいえる。

 そんな中身はさておき、気になるのは句碑のある場所についてである。シチュエーションが云々と言ったが、傍らに設置されている駒札によれば、句碑のある御池大橋西詰の南側は「句にゆかりの現地」らしい。当時漱石が投宿していた北大嘉という宿がこの場所にあったということなのだ。大友のお多佳さんとちょっとした諍いごとがあったことを踏まえ、鴨川を隔てた大友へ送った一句がこれで、祇園白川と木屋町という鴨川を間においた位置関係に味が出てくるわけである。

 ただし、実は駒札には「木屋町御池の旅館『北大嘉』」とあるだけで、句碑のある御池大橋西詰の南側がピンポイントで北大嘉の場所だったとは書いていない。御池通が広くなったのや御池大橋が架けられたのは、漱石の時代よりはるか後のことなので、当時の地形を現在の道路の形状とぴったり重ね合わせるのは難しいことを考えると、だいたいこのあたりということで設置されたのだろう。

 そんなツッコミどころがいろいろある句碑なのだが、御池通が通行量の多い車道であることに加えて、ぶらぶら歩きに適した木屋町通からも微妙に離れている、そして句碑自体の背丈が植え込み程度しかないなどなどの理由から、目立ち度は低い。ガイドブックやウェブサイトで西詰に句碑があることを知って意図的に探すとすぐに見つかるが、予備知識を持たずに通りがかって目に留まるというものではなさそうだ。句碑自体の設置は昭和四十一年だが、傍らの駒札が立てられたのは、最近の平成二〇年。当時、地域ニュースなどでも取りあげられたときに、句碑の存在が忘れられがちになっているので駒札を立てた云々と関係者が話していたのを覚えている。

御池大橋西詰の漱石句碑(附:謎の石造物)_a0029238_2244198.jpg ところで、この句碑のある御池大橋西詰の南側エリアでもう少しキョロキョロしてみると、実は不思議な石造物が鎮座しているのが目に留まる。石碑といえば、石碑だが、かなり謎の度合いが高い。というのも、石碑っぽい体裁でドンと置かれてはいるものの、文字ないし絵が刻まれているはずの場所には何もないのである(写真クリックで拡大)。

 細かい文字がびっしり刻まれていて、遠目からではわからないくらいまで摩滅しているのかもと思って近づき、さらには手で触れてみたが、摩滅などではない。つるつるした表面には何か刻まれていた形跡はない。試しに軽く叩いてみると、ポコッポコッと音がする。固い文字板をはめ込んだというよりは、黒塗りの木の板かプラスチック板を上に貼り付けて、下にあるものを隠しているような印象なのである。

 果たして、これはいったい何者なのかと悩んでいたが、一つの可能性として浮かんだのは、もともとは橋の名前でも刻まれていたのが、何かの事情で隠さなければならなくなったという説。四条大橋を例をとれば、橋の西詰め南側の親柱のすぐ横に「四条大橋」と刻まれた石が置かれているが、位置関係からいえば、それと同じような場所なのである。もしかすると、最初に架橋された時には「御池橋」という名前で、橋の名前を刻んだ石が置かれたが、幅員が広げられた際に「御池大橋」という名前になって、昔の名前を隠したのではないかという考えである。その後、まあどうでもいいかとかの感じで、そのまま放置されて、現在に至っている……? 実際のところは、関係方面にでも問い合わせなければ分からないが、街角に眠る謎の一つと言うことで紹介しておこう。ちなみに、御池大橋の来歴は、『京の橋ものがたり』(松村博氏、松籟社、平成六年)によると、最初の架橋が昭和三十九年で、五十九年と六十三年に拡幅工事が施されているとのこと。


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by office34 | 2010-03-27 22:58 | 歌碑・文学碑など