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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2012年 01月 31日
明治の「新聞紙」観 ~「京都新聞」(4)
山本覚馬の「管見」(山本覚馬建白)の中で、「新聞紙」に触れている箇所は、先に挙げた「又人民勧懲の為新聞紙を作り偏く人に告知らしむへし」(変制)のところと、もう一つある。「貨幣」を論ずる段の、
然シ政事ノタメニ遣シモノナレバ自今以後年々三十万両ニテモ五十万両ニテモ元ノヨキ位ニ吹替悪シキ金ト混ジテ用ヒバ速ニ(建白では「遂に」)相当ノ品ニ改ルベシ、且金銀トモ銅何ホド入ト書物カ又ハ新聞紙ニテモ載セ、公然ト世界ヘ布告シ、外国ノ貨幣トテモ其侭日本ニテ通用スベシ
とある箇所である。「変制」のところの記述も注釈がいるが、こちらも簡単には読めそうにない。

まずは前者から。「勧懲」は勧善懲悪の意味で、「偏く」は「遍く」の誤、そして「告知らしむ」は「告げ知らしむ」と訓んで告知することの意味である。送り仮名と句読点を補って書き改めると「又、人民、勧懲の為、新聞紙を作り、遍アマネく人に告げ知らしむべし」となる。人々に善行を奨励して悪事を戒めるため、新聞紙をつくって、規範を広く世間に告知するべきである、といったあたりだろうか。「告げ知らしむ」の中身を規範という形で補ってみたが、これは「新聞紙」に掲載される内容と直結するので、少し検討した方がよさそうだ。

一方、「貨幣」の段は、金と銀の相場は金一両が銀六十目と定まっていたのに、幕府がおこなった銀を高めて金を下げる操作が人民の困窮に繋がった、という指摘に続く一節である。「自今以後」は今後、「吹替」は「吹き替え」と訓み、悪貨を回収して良貨に鋳造しなおすこと、「其侭」はそのままの意味である。通して解釈すると「[悪貨を流通させたことにより、幕府は人民に借金を負っていることになる]しかし、政治のために使うものだから非難ばかりでは始まらない。これからは毎年、三十万両でも五十万両でもよいから良貨に鋳造しなおし、悪貨と一緒に用いれば、すぐに(最後には:「遂に」の場合)本来の価値に改められるはずだ。また金・銀ともに銅がどのくらい入っていると書物か新聞紙に載せ、世界へ公表し、外国貨幣でもそのまま日本で通用させるのがよい」といったところだろうか。先の「変制」での記述と併せて、「新聞紙」なるものを情報伝達の器として捉えているのは明らかだとしても、どのような情報を伝えるものかと考えられていたかという興味から眺めると、官報的なものも視野に入ってくる。

「管見」を読むと、当時の世界情勢に対する目配せがなされていることがわかる。ロシアの南下政策やクリミア戦争、あるいはナポレオン3世によるフランス第二帝政樹立などである。ロシアの南下政策は日本が直接のターゲットにされているので、幕閣も危機感を抱いていた事柄だが、クリミア戦争における英仏の位置づけやナポレオン3世に対する評価などは間接的影響の事柄である。そうしたところへも言及があるのは、山本覚馬の視野の広さをいうのは当然だが、併せてそうした知識をそうした形で受容し得たニュースソースが何だったのかということも気に掛かる。

山本覚馬は、勝海舟や福沢諭吉のように自らの目で海外を見てきたわけではない。佐久間象山のもとで洋学を学んでいた折りに、原書と接することの大切さを教えられたとのことだが、そこでいう原書には一般にいうところの書物だけでなく、欧米で刊行された新聞も含まれていたと思われる。そして、もしそうだとすれば、日本人が自前で新聞を発行する段には、自らが「新聞紙」から受けた恩恵をそのまま再現できるものをイメージするのが当然だろう。

新聞の歴史を概観すると、江戸時代中葉ごろから存在していたとされる「かわら版」が、一方にはある。新聞のもう一つの源流とみなされている、このかわら版なるものは、火事・洪水といった災害記事や心中事件などゴシップ的な内容をもっぱらとしていたらしい。だとすれば、明治の知識人たちが、かわら版の発展形態で「新聞紙」を捉えたとは考えづらい。むしろ同じ情報ツールであったとしても、「新聞紙」には情勢分析や論評などもあり、知見を新たにする情報を伝えるものといった形で、「かわら版」とは似て非なるものと見ていたのではないか。「かわら版」という言葉が普通に使われているにも拘わらず、「新聞紙」という言葉を喧伝するようになったのも、違うものとの認識があったからだろう。西京新聞社の「京都新聞」緒言が新聞紙の効用を「智識ヲ開キ商賈ニ便リシ世態ヲ知ラシメ物理ヲ弁ヘシムル」と要約しているのも、それが発行者の思いであったとしても、同時代の知識人たちが持っていた認識と重なる部分が多いに違いない。
(続)



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by office34 | 2012-01-31 20:24 | 明治人物志