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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2012年 07月 11日
阿弥陀寺(寺町頭)の芭蕉句碑
阿弥陀寺(寺町頭)の芭蕉句碑_a0029238_1641113.jpg

阿弥陀寺の話を少しばかり……といっても、清水寺や金閣寺のように、名前だけでピンポイントに絞ることのできる寺院ではない。そもそも、このブログの範囲でさえ「阿弥陀寺」の名前で触れているのは、大原の奧、古知谷にある阿弥陀寺である。という書き方をするということは、今回の阿弥陀寺はまた別の阿弥陀寺ということになる。それが寺町頭の阿弥陀寺なのである。

寺町頭……この言葉もまた曖昧だろう。寺町通と聞くと大多数の人は新京極と並行するショッピングストリートを思い浮かべる。そんな大多数に入らず、歴史的なところに興味がある人でも、まだ御所の東側を念頭に置くのではないか。ところが「寺町頭」というと、寺町通には違いないが、今出川よりまだ北へあがったあたりの寺町通なのである。要するに、寺町通をどんどん北上し、今出川通を越えて、鞍馬口通に突きあたるあたりのことなのである。そして「寺町」の名前に恥じぬとばかり、このエリアにもまた多くの寺々が並ぶ。

阿弥陀寺はそうした並びの中の一つだが、観光物件的な視点からではけっして浮かびあがってこないこの寺に対して、当方のアンテナが反応したのは、文学碑がらみの話からである。

知名度の高い観光地に文学碑を設置するのは、その人ないしは作品に対する顕彰行為である。多くの人が目にする場所にしかるべき碑を据えることで、ことさらに作者の名前、作品の名前を高らかに謳いあげる。ところが「観光」という視点から遠のいた場所にもいくらか文学碑は置かれている。当方が気になり始めたのは、そうした人知れず(?)置かれている碑の意味合いについてである。

厳密なところを追求すれば、ゆかりの場所に碑を置いただけの話で、態とらしい下心などはないといえば、確かにそうだろう。しかし、どちらかといえば、注目されやすいところにある碑の方が「らしさ」も持っている。それに対し、こんな場所に碑をおいて誰が見るんだろうと首を傾げてしまうケースなら、それだけにその碑の意味合いが気になってくるわけである。

少々、話が雑に流れすぎているが、簡単にいうと、普通なら誰も注目しないところに置かれている芭蕉句碑が気になっていたということなのである。その場所というのが寺町頭の阿弥陀寺というわけである。

問題の句碑は
春立つや新年ふるき米五升
というもので、実に意味の分かりづらい一句である。しかし「似合はしや新年古き米五升」や「我富めり新年古き米五升」といった改訂を経ているということ、「五升」とは乏しさのイメージであることなどが分かれば、自ずと句の風合いに見えてくる。年が改まっても、手許にあるのはたった五升の米なのだけど、私にはそれでも十分だよ、といったあたりのところだろう(参考)

解釈はこんな具合でいいかと思うが、それよりも大切なのは、なぜ阿弥陀寺に米五升の句碑があるのかということである。阿弥陀寺が芭蕉顕彰に尽くした蝶夢(芭蕉より半世紀ぐらい後の俳人、僧侶)の寺であることがポイントだろうし、蝶夢自身が「五升庵」なる号を使っていたあたりに解答がありそうだ。阿弥陀寺の境内には、「米五升」の句碑とともに蝶夢の「我寺の鐘と思はず夕霞」という句を刻んだ碑も置かれているのだが、そうしたところから考えると、蝶夢を顕彰すべく蝶夢その人の句碑と、彼が敬愛していた芭蕉の句碑、中でも号にもしていた「米五升」の句を選んで碑を建てたということなのではないだろうか。つまり、芭蕉句碑という見方をすると阿弥陀寺と芭蕉との関係性が見えなくなってしまうのだが、芭蕉を顕彰する碑ではなく、むしろ芭蕉を通して蝶夢を讃える碑なのではないかということである。

以上は当方の勝手な想像である。したがって碑の建てられた事情を伝える史料(それがあればだが)に当たれば、正確な背景も見えてくるに違いない。ところで、寺町頭の阿弥陀寺を俎上に載せる場合は、実はもう一つ、注目すべき事柄がある。それが織田信長との関係についてである。


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by office34 | 2012-07-11 04:49 | 歌碑・文学碑など