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京都景観賞 |
at 2014-02-23 23:05 |
仁丹町名看板「下椹木町通千本.. |
at 2014-02-21 19:58 |
レプリカ仁丹 |
at 2014-02-19 14:18 |
曾根崎心中・道行き(通釈) |
at 2014-02-15 01:07 |
曾根崎心中・道行き |
at 2014-02-13 05:15 |
漢字の読み方 |
at 2014-02-11 06:03 |
鬼めぐり |
at 2014-02-08 14:26 |
鬼の話 |
at 2014-02-05 23:22 |
献灯の刻名 ~山国隊(6) |
at 2014-01-31 23:29 |
葵公園 |
at 2014-01-29 02:24 |
山国隊スタイル ~山国隊(5) |
at 2014-01-22 21:34 |
鏡ヶ原 ~山国隊(4) |
at 2014-01-20 23:17 |
桜色? |
at 2014-01-18 23:39 |
戊宸行進曲 ~山国隊(3) |
at 2014-01-16 20:50 |
雪の木の根道 |
at 2014-01-12 16:55 |
山国隊灯籠 ~山国隊(2) |
at 2014-01-09 19:01 |
山国隊(1) |
at 2014-01-07 22:03 |
祇園閣・京都タワー・時代祭 .. |
at 2014-01-04 03:43 |
時代祭、大いなる仮装行列 ~.. |
at 2013-12-30 16:58 |
本物でないということ ~キッ.. |
at 2013-12-28 15:48 |
初期段階のディスカバージャパン ~イメージの嵐山(3)
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さっそく会議を始めたものの、出てくるのは「万博の代りに東北三大まつりを宣伝しよう」「4人がけのボックスシートを割引で売ろう」というありきたりな案ばかり。このあと、英単語の認知度(当時)の関係などから「ディスカバー・ジャパン」が導かれ、補足的なサブタイトルの「美しい日本と私」が生まれた経緯が語られる。ディスカバージャパン誕生を語る重要な一文であるには違いない。しかし、これがリアルタイムのものだったかを考えるとどうだろう。
私は「旅」の意味に立ち返るしかないと思った。人間にとって旅とは何か。それは景色や事物を見ることではなく、それを見ている自分が何物かを知ることではないか。60年代を鮮やかに彩ったのはテレビの登場であった。だが、テレビにうつる風光明媚な景色を見ても、自己を発見することはできない。だからこそ「旅」の意義があるのだ。
真っ先に思いついたフレーズは「ディスカバー・マイセルフ」、私自身を発見しようというわけだった。『DISCOVER JAPAN 40年記念カタログ』(藤岡和賀夫編著,2010,PHP研究所)より初出「ディスカバー・ジャパン仕掛け人」(文藝春秋2005年6月号)
私はたじろぎましたね。彼のお説の通りなのです。もちろん、このキャンペーンはある意味ではイメージ・キャンペーンですから、敢えて方法論は求めなくてもいいという論法はあります。しかし、彼に指摘されるまでもなく、このキャンペーンをイメージ以上に確かな手触りで盛り上げるよい方法があるのなら、私はその方法論を探していた、と言っていてもよい。ここに登場する「彼」とは、「お寺の宿」企画の素案を持ちこんだ利井明弘氏のこと。キャンペーンが行われた時代よりおよそ15年後の文章だが、ディスカバージャパンがイメージキャンペーンだったと振り返っている点が興味深い。当初の会議では国鉄からのキャンペーン依頼に対して具体的な企画がいろいろ発案されたが、それらを統合するコンセプトが欠けていたところから藤岡氏の違和感は生じていたのではなかったか。会議を重ねた結果、電通が国鉄に対して提示した答えは、個別の企画は二の次にしたコンセプトであり、そのコンセプトを端的に表現するコピーが「ディスカバージャパン」だったといえるのではないか。初出『藤岡和賀夫全仕事・第一巻ディスカバージャパン』(1987年)
国鉄は六日、役員会を開き、十四日の鉄道記念日から「DISCOVER JAPAN」(日本発見)のキャンペーンを全国で展開することに決めた。ポスト万国博の乗客減を防止する対策で、海外に奪われがちな国民の目をもう一度国内の自然美、伝統、人情などに向けさせ、鉄道旅行のブームを呼ぼうという企画。国鉄がおこなった記者発表に基づいた記事かと思うが、一連の流れは以下のようなものだったろう。(1)国鉄から電通へのキャンペーン依頼→(2)電通内部での数次にわたる企画会議→(3)電通から国鉄へのプレゼンテーション→(4)国鉄内での検討~採用決定→(5)国鉄・電通による具体的な肉付け→(6)記者発表。なお上記の記事では、具体的な企画の内容に「記念スタンプの設置」「記念入場券の発売」「"D・J列車"の運転」「季刊誌の発行」といったものが挙げられている。
「単に増収だけがねらいでなく、かくれた日本のよさをみんなで発見し、それを守り育てようというキャンペーンだから、公害追放の国策にも共通する」というのが国鉄の解説。ノーベル賞作家の川端康成氏もこの趣旨に賛成し、キャンペーンの副題に「美しい日本と私」と名づけた。
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