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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2013年 08月 19日
雨の嵐山(1977年) ~イメージの嵐山(7)
嵐山と嵯峨野のイメージを流行歌の世界から見るとすれば、触れておきたい歌が二曲ばかりある。一つは、長渕剛が黒歴史として自らのディスコグラフィから抹消した(?)との噂がある「雨の嵐山」(1977年)。もう一つはタンポポというフォークデュオが歌ったらしい「嵯峨野さやさや」(1975年)。

まず「雨の嵐山」(歌詞参照)から。この歌に注目するのは、嵐山を知らない長渕がイメージだけで歌詞を作ったことが窺える点である。長渕を悪し様にいう文脈ではよく取り上げられるネタのようだが、歌い出しの「雨の降る京都の嵐山を二人、息をきらしながらのぼり始めてゆく」の部分。ターゲットになるのは「嵐山」を「のぼる」場所として描いている点であり、解説風にいえば嵐山は地名であって山の名前ではないというツッコミである。嵐山は元来は山の名前だったとか、嵐山と名づけられた標高382mの水準点が存在しているとか、実はモンキーパークを目指していたんだろうといった逆ツッコミを認めたとしても、「嵐山にのぼる」というフレーズは特殊であり、平均的な京都の常識に照らせば実地を知らない者の言葉として片付けられる。1977年リリースの歌なので、いわゆる「京都歌謡」の全盛期からは少し遅れてはいる。それでも歌詞に京都の地名を入れておき、メランコリックな印象に仕上げておけば形になると考えられていた時代を引きずっているとすれば、こうした歌詞が"生産された"ことも理解できる。

もっとも歌詞の間違いを弄るだけでは揚げ足取りで終わってしまう。問題はそうした歌詞が書かれて実際にレコードが販売されたという事実の方だろう。レコード会社がルーズな体質だったとか、新人歌手だからケアがほとんどされなかったとか、妙な歌詞のままプレスされた原因はいろいろ考えられるのだが、状況判断を優先させると70年代後半には「嵐山」という地名がデートスポットとして一人歩きしていた風潮が影響していそうだ。しかも細かいところは抜きにしてイメージだけで語られるスポット、文字面での「嵐山」はすでにそんなスポットになっていたのではないかと思われる。また本来の嵐山が景勝地であることをセールスポイントにしていたとすれば、ここに登場する文字面の「嵐山」はすでにそれとは異質なものであることも重要だろう。実地の嵐山を知らずして書かれた歌詞なので細かいところをつついても意味がないのだが、嵯峨野との混濁の果てに生まれたイメージに導かれているようにも思われる。

この「雨の嵐山」は粗製濫造された歌謡曲の一つだったに違いない。後に長渕が有名になって、その幻のデビュー曲といった見方をされることで知る人も増えたとのことだが、本来は売れなければそのまま闇から闇へ葬られる一枚だった。そんなレコードに記された歌詞であるがゆえに、逆にイメージの普遍性を窺うこともできる。斉藤光氏が「『アンノン族の京都』から『彼氏と行く京都』へ」というエッセイの中で、雑誌「an-an」の誌上に書き捨てられたコピーを手がかりに、イメージの京都がどのように変わっていったのかを追求しているのだが、その手法に倣うとすれば「雨の嵐山」の歌詞に注目する必然性は認められる。本来であれば、世間の記憶に残ることなく消えてしまう運命にあっただけに時代の実情を伝えているようにも思えるのである。



<イメージの嵐山>
(1)ディスカバージャパンとアンノン族と嵐山と/(2)嵐山と嵯峨野/(3)初期段階のディスカバージャパン/(4)街化する嵯峨野/(5)哀しみの系譜/(6)祇園歌謡と京都歌謡/(7)雨の嵐山(1977年)/(8)嵯峨野さやさや(1975)/(9)祇王寺の話/(10)エリア名の「嵐山」



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by office34 | 2013-08-19 06:19 | 京都本・京都ガイド