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「蓮月尼」と「太田垣蓮月」 |
滔天、北一輝はともに日本史では今だに二流ないしは傍流の人物視されているというのが実情である。具体的な例をあげれば、家永三郎著『検定不合格日本史』(三一書房)は、もともと高等学校用の日本史教科書として書かれた著書であるが、二・二六事件は当然のこととして触れられているが、そこに北一輝の名はない。まさか文部省によって削られたわけでもあるまいが。
となると、これからの日本の後継世代は北一輝などという人物とどこでいつめぐりあうこととなるのであろうか。ついに北一輝とはめぐりあうこともなく、ある日突然に第二、第三の“北一輝”と対面する、日本の歴史はそういう具合に進行するものなのであろうか。
そうであっては困る、それはふたたび歴史学徒が若い世代を賊うことになりかねない。誤り導くことになりかねぬ、という危惧が、この解説を引き受けた立場である。
蓮月尼
幕末の烈婦で歌人。二度結婚に破れ、子供も二回死なせた。三十三歳で黒髪を切り、亡夫と来世の契りをむすぶ。だが、絶世の美ぼうをしたい、いい寄る男が絶えない。このため「烈婦すなわち千斤の秤を引き、自らの歯を抜く。一歯を抜くごとに粛々声あり。滴滴血ほとばしる……」
つまり、亡夫への貞節を誓って、クギ抜きで一本一本、自分の歯を抜き取り、自らの美ぼうを傷つけたのだ。俗念を払うため、自分の両耳をそぎ落とした明恵上人の例はあるが、日本女性では珍しい。彼女は余生を和歌、陶芸、社会事業にささげた。
慶応四年(1868年)、幕府追討の官軍が、まさに京を立とうとした時、蓮月尼は西郷隆盛に、つぎの一首を短ざくに書いて渡した。
あだみかた勝つもまけるも哀れなり
同じ御国の人と思えば
おかげで江戸城は、無血開城されたという。
世間の人々が明治を身近に感じていたうちは、維新の英雄たちも人々の意識の中で生き生きと活動していた。講談風に脚色されたものも含めると、その生き様は、憧憬や憎悪など、さまざまな心の動きとも一体化しうるものでもあった。そして、彼らの周囲にいた人々にもそれなりの役割としかるべき場所が与えられていた。しかし時間が経って明治の影が薄れていくにつれ、一人また一人と忘却されていった。「烈婦蓮月尼」などはまさにそうした形で消えていった一人である。この人物に再び脚光が当てられた時、そこに浮かびあがったのは研究者が研究対象として取り上げる「歌人太田垣蓮月」という、かつての姿とは別のものであった。