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大津事件 |
私が京都市の参事会員であり疏水工事の常務員であつた時代、露国の皇太子が日本内地漫遊に来られて京都ホテルに宿泊せられ滋賀県大津に御越しになつて琵琶湖を見物の上疏水工事を御覧になる事になつて居つた、それで京都市は歓迎の為に種々の準備をして居たが、私は朝から水利事務所につめて種々指図をして居つた。然るに最早や御越しになる時刻が来て居るのに一向に来られないので余り待ち遠くて大津へ電話で問ひ合すために電話口に立つた。其の頃は電話と云つても特設のものばかりで、この電話は水利事務所とつないであつた処が、この電話線は京都府の警察署と滋賀県の警察署との電話線と同一の電柱に架設してあつたので、私が電話機を耳に当てた処が、大津の警察署と京都の警察署と頻りに話をして居るのが何処かで混線してよく聞きとれた。それ故、話の済むまで待たねばならぬけれども、其の警察の話がよく聞えるから興味半分に話を聞きながら待つて居つた。この手の回顧録や自伝は、厳密な意味でのリアルタイムとは言えないし、立場や関係者への配慮から時には誇張や美化(あるいは歪曲)が含まれることもあるだけに、正確さを担保するとは言い難い。それでも、このくだりに関していえば、そこまで警戒して読む必然性もなさそうだし、単純に初期的な電話の姿が髣髴されて面白く思えたのである。
話は露国皇太子が三井寺から滋賀県々庁へ行かれる途中に、道路の警戒に出て居つた津田三蔵と云ふ滋賀県の巡査が皇太子の人力車が通過されると直ちに抜刀して後から車に近寄り一刀斬りつけた。皇太子は後頭部に傷を受けられた。この時、京都ホテルの車夫二名が其の巡査の足をとらへて引き倒した。供奉の露人は車から飛び降りて抜剣して巡査の背中を斬つたと云ふ意味の報告であつた。
大変な事だ!これでは最早疏水の見物どころではないからと、事務所を片づけて直ちに市役所に戻つて来た。暫らくすると皇太子は頭部に繃帯をしてホテルに帰られた。
この時分に日本人が露国を見る事は欧洲に於ての強大国であつて、ニコライ帝と云へば閻魔大王の様に思つて居る時代であつたので、上下の驚きは一方ではなかつた……(以下略)