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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2010年 06月 12日
丑の刻詣り@貴船神社
 和泉式部歌碑に対して粘着モードになってしまったようだが、貴船神社を話題にするのであれば、もう一つ、大切なトピックがある。いわゆる呪いの定番、丑の刻詣りである。貴船神社は古くから丑の刻詣りが行われる場所として有名で云々という形での紹介がよくされるように、もしかすると和泉式部よりも有名なトピックかも知れない。

 さて、その丑の刻詣り、お約束というわけではないが辞書的な説明から始めてみると以下の如し。
丑の時(今の午前二時ごろ)に、神社に参り、境内の樹木に憎い人物に擬したわら人形を釘で打ちつけ、相手の死を祈る呪い事。白衣で、頭上の鉄輪にろうそくをともし、胸には鏡を下げ、頭やからだを赤く塗るなどして行う。七日目の満願の夜に願いがかなうと信じられていた。丑の刻参り。丑の時詣で。
『大辞泉』「うしのときまいり」の項
 行為の段取りもかなり詳細に書かれてはいるものの、こういう形に固定されたのは、おそらく江戸期かあるいは明治以降にことだろう(ウィキペディアでは「丑の刻参りの方法は、江戸時代に完成した方法を基本的な部分では踏襲している」となっているが、具体的に参照している資料を示しているわけではない)

 一方、貴船神社がらみでよく紹介される資料といえば、謡曲「鉄輪」だろうか。岩波の旧大系本『謡曲集』に収録されているものの、世阿弥や宮増などの作品に対して「その他の能」というカテゴリーに入れられ、参考資料扱いになっている関係からか、一部ダイジェスト的に端折られている。それで実際の文章がどういうふうになっているのかは心許ないのだが、登場人物である女が貴船神社にやってきて、鬼の姿になるくだりは、次のような感じである。
日も数添ひて恋衣、日も数添ひて恋衣、貴船の宮に参らん。
蜘蛛の家に荒れたる駒は繋ぐとも、二道かくる徒人と、頼まじとこそ思ひしに、人の偽り末知らで、契り初めけん悔やしさも、ただわれからの心なり、あまり思ふも苦しさに、貴船の宮に詣でつつ、住むかひなき同じ世の、中に報ひを見せ給へと
頼みをかけて貴船川、早く歩みを運ばん。
通ひ馴なれたる道の末、通ひ馴なれたる道の末、夜も糺の変はらぬは、思ひに沈む御菩薩池みぞろいけ生けるかひなき憂き身の。消えん程とや草深き、市原野辺の露分けて、月遅き夜の鞍馬川、橋を過ぐれば程もなく、貴船の宮に着きにけり、貴船の宮に着きにけり。
[所作解説*]
わらはがことにては候まじ人違ひに候ふべし
[所作解説**]
これは不思議のおん告げかな、まづわが家に帰りつつ、夢想のごとくなるべしと
言うより早く色変はり、言うより早く色変はり、気色変じて今までは、美女の形と見えつるが、緑の髪は空さまに、立つや黒雲の、雨降り風鳴る神も、思ふを中をば離けられし、恨みの鬼となって、人に思ひ知らせん、憂き人に思ひ知らせん
 謡い物の曲節に即した独特の言い回しなので、単語を置き換えていくレベルでのストレートな現代語訳では対応できないが、要は、信じていた夫に裏切られた悔しさに耐えかねて、女が貴船神社にやってきて鬼になってゆくという展開である。ここに引用した旧大系本のスタイルでは、主要な登場人物のセリフを抜き出しているようだが、丑の刻詣りの様相を知りたいという関心から読む場合は、女に対して社人が語りかけるセリフにも重要なポイントがある。ところが、それはあいにく[所作解説*]の箇所で要約された形になっている。すなわち、
アイが座を立って出、シテに向かって、「ご神託によれば、鉄輪に火をともして頭に頂き、顔に丹を塗り、赤い着物を着て怒る心を持てば願いがかなう」と言う
 続く[所作解説**]のところでは
アイは、「たしかにあなただ。もうこう言う中に顔色が変わって来た。恐ろしや恐ろしや」と言って幕へ退場する。
と説明風に書かれている。

 主役(シテ)はもちろん鬼となる女である。「鉄輪」の文脈では、最初から決められた呪いの手順を踏んでいたというより、怒りのあまりに無意識のうちに鬼と化しているようにも読める。ここで社人(アイ)の詞がどういう形で挟まってくるのかによって、はっきりするとは思うのだが、この資料だけではわからない。ともかく鉄輪を頭に載せて蝋燭を灯して顔には丹を塗る云々というのは、貴船神社に女がやってきた段階で初めて教えられた内容のようである。

 もちろんこれはあくまでも謡曲「鉄輪」に即してのことである。「鉄輪」を離れると、平家物語に引かれる橋姫の話があり、それが謡曲「鉄輪」のモチーフになっているとも言われるので、これも紹介してみよう。
嵯峨天皇の御宇に、或る公卿の娘、余りに嫉妬深うして、貴船の社に詣でて七日籠りて申す様、「帰命頂礼貴船大明神、願はくは七日籠もりたる験には、我を生きながら鬼神に成してたび給へ。妬しと思ひつる女取り殺さん」とぞ祈りける。明神、哀れとや覚しけん、「誠に申す所不便なり。実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬れ」と示現あり。女房悦びて都に帰り、人なき処にたて籠りて、長なる髪をば五つに分け五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて三つの足には松を燃やし、続松を拵へて両方に火を付けて口にくはへ、夜更け人定りて後、大和大路へ走り出で、南を指して行きければ、頭より五つの火燃え上り、眉太く、かねぐろにて、面赤く身も赤ければ、さながら鬼形に異ならずこれを見る人肝魂を失ひ、倒れ臥し、死なずといふ事なかりけり。斯の如くして宇治の河瀬に行きて、三七日漬りければ、貴船の社の計らひにて、生きながら鬼となりぬ。宇治の橋姫とはこれなるべし。さて妬しと思ふ女、そのゆかり、我をすさむ男の親類境界、上下をも撰ばず、男女をも嫌はず、思ふ様にぞ取り失ふ。男を取らんとては女に変じ、女を取らんとては男に変じて人を取る。京中の貴賤、申の時より下になりぬれば、人をも入れず、出づる事もなし。門を閉ぢてぞ侍りける。
平家物語 剣の巻(J-TEXT 日本文学電子図書館より引用)
 ここでは、生きながら鬼となって憎い女を憑り殺したいという某公卿の娘に対して、貴船の明神は「姿を改めて」宇治の川瀬に浸れというだけで、詳細な指示は出していない。それに対して、娘が自らの判断でさまざまな趣向を凝らしたようになっている。それを列挙すれば、こういう具合である。髪で五つの角を作る(髪を固めたり、結ったりして逆立てることによってか?詳細不明)。顔に朱を塗り、からだには丹(朱と丹はともに赤系の顔料)を塗る。鉄輪をかぶって三つの足には松明を結わえ、それとは別に両端に火を点けた松明を口にくわえる。そういう恰好で、街なかから宇治まで駆けていったというのである。

 ここでの女の姿が、謡曲「鉄輪」における神託の内容に反映されているのは、容易に推測できる。そして、それがいつしか丑の刻詣りの所作として一般化されていったのであろう。ちなみに、江戸時代の絵師、鳥山石燕(1712年~1788年)の描いた『今昔画図続百鬼』には、「丑の刻参り」の場面(ウィキペディア参照)も含まれており、そこに添えられた説明は、
丑時参 丑時うしのときまいりは胸に一つの鏡かがみをかくし頭に三つの燭ともしびを点てんじ丑三つの比、神社じんじやにまうでゝ杦すぎの梢こずゑに釘うつとかや。はかなき女の嫉妬しつとより起おこりて人を失ひ身をうしなふ。人を呪詛のろはば穴あな二つほれとはよき近ちかき譬たとへならん
となっている。呪いを行っている傍らで、牛がおネムしていることは放っておくとして、肝心のくずし字の読解はこんな感じだろう。後半部分に怪しいところがあるが、おおよその内容は変わらないと思う。室町時代から下って江戸時代になる頃には、呪いを行うべき時間が限定され(これによって「丑の刻参り」というネーミングが確立する)、胸に鏡をかけるという要素と、杉の木に釘を打つという要素が加わっている。ただし、この段階では、まだわら人形が登場していないのは、やや興味深い。

 謡曲「鉄輪」では、女の呪いに対して、安倍晴明が呪い返しをする道具として藁人形が用いられている。また人形ひとがたが呪的行為に用いられていたのは、もっと時代を遡らせることができる。これらのことを併せて考えると、丑の刻詣りとわら人形を用いた呪いは、鳥山石燕の時代よりもう少し下ったところで、合流したのだろう。


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by office34 | 2010-06-12 23:31