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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 01月 05日
鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社
 雪の鞍馬シリーズ、奥の院参道に入る前に文学碑の話をしておこう。昨日の投稿で「文学碑にしても雪をかぶった石碑というものはけっこう見栄えがする」と書いた手前、スルーして終わらせるには気が引ける。ということで鞍馬寺の文学碑(附・貴船神社)

 そもそも鞍馬寺には与謝野晶子歌碑をはじめ、数々の文学碑が置かれている。おそらく鞍馬寺という場所が文学的空間としての認知があるのだろう。ただ一般的な注目度という点でいえば、どうしても与謝野晶子ばかりに流れてしまい、他の句碑や歌碑についてはスルーモードに置かれている。もちろん、それだけ与謝野晶子の存在が相対的に大きすぎる証なのだが、九十九折りの道中には晶子碑以外にあと三基ある。

 山本青瓢氏句碑「火祭や鞍馬も奧の鉾の宿」
鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社_a0029238_13231228.jpg 由岐神社の境内を出てすぐ左手にある。義経公供養塔の近くなので、場所的にはわかりやすい。碑面は苔むしていてよく読めなくなっているが、傍らに駒札が設置されている。曰く「鞍馬の生んだ俳人山本青瓢は、こよなく古郷鞍馬を愛し多くの句を残した昭和三十五年六十八歳で歿 彼の名声をたたえ後世に残すため有志一同がこの句碑を建立 火祭や鞍馬も奧の鉾の宿 青瓢」。鞍馬の火祭というと、大松明の乱舞がよく紹介されるが、神輿や鉾なども登場する。由岐神社の由緒書の一節で火祭の様子を伝えるくだりには「午後八時頃菊、桐、蝶、葵、鳳、百足、寺の鉾や鎧を着た武者が仲間の宿から出てきますと、山門前には大小の松明を担いだ若者が集合してひしめきあい一大壮観を呈します」とある。当方自身はこの火祭を見に行ったことがないので実態がよくわからないのだが、鉾といっても祇園祭のような山車型式ではなく、担ぎ上げる原初的なものだと思う。「菊、桐、蝶、葵……」は鉾の種類のようにも読めるので、武具に装飾を施してそれらしい雰囲気に飾ったものなのかも知れない。これらの鉾が事前にさだめられた待機場所、すなわち「宿」に控えていて、所定の時間になると門前に集合してくるということなのだろう。「火祭や鞍馬も奧の鉾の宿」の句は火祭の日の様子を詠んだ一句と紹介されるが、厳密には「宿」に鉾が控えている段階の様子だろう。祭礼の本番を数時間後に控えてだんだんと高揚感が出てくる鞍馬界隈の雰囲気とした方がいい。「鉾」という言葉を聞くと祇園祭の山鉾が思い出されるかもしれないけど、火祭の日には鞍馬だって洛北の奧にある「鉾の宿」になるんだぞ、そういう故郷の誇りを高らかに詠んでいるのだと思うが、こんな解釈でいいのだろうか。

 丸山海道・佳子夫妻句碑「筒鳥に神尊ければ磴けはし 海道 / 花杉に息のにごりはゆるされず 佳子」
鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社_a0029238_13231214.jpg 円山公園でもみかけた丸山夫妻の歌碑である参考までに。円山公園のところでも少し紹介したと思うが、父君の鈴鹿野風呂氏のものとともに市内各所に歌碑が設置されている。数の多さでいえば、芭蕉、与謝野晶子、吉井勇などにも匹敵するのではないか。それだけ京都俳壇に大きな功績のあった方ということになるのだが、当方がその方面に詳しくないので、よくわからないというしかない。碑があるのは四脚門(中門)の近くである。門の傍らに信楽香雲師の歌碑があるが、それより少し下ったところの右手にある。前方に四脚門が見えてきたあたりで進行方向右手に注意をしておけば、見落とすことはないだろう。海道氏の句は石段の険しさを詠んだものとしておけばいいのだろうか。「筒鳥」を字面通りに野鳥の一種と解するだけでいいのかどうかなど分からないところばかりだが、単純に九十九折りの険しさのみをいうというのなら、なんとなく淡泊な感も否めない。佳子氏の句は神域の杉林が醸す神々しさを感じての一句ということだろうか。「息のにごり」の対極にあるものとして神の在すゾーンが意識されているかと考えてみたのだが、「花杉」とあるところから、あるいは神域という側面ではない、美的感興の方なのかも知れない。こちらもやはりよく分からない。ちなみに、曖昧な記憶で、もし記憶違いなら恐縮なのだが、佳子氏の方は鞍馬寺に月参りをしていたとの話を何かの本で読んだ記憶もある。そうした点も併せると、ここでも海道氏の句よりは佳子氏のものの方に惹かれるものがある。

 信楽香雲師歌碑「つゝらをりまがれるごとに水をおくやまのきよさを汲みてしるべく」
鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社_a0029238_13231316.jpg 駒札には「香雲」とあるだけだが、先代管長の信楽香雲師であるのは間違いない。与謝野寛の歌の弟子であり、与謝野夫妻それぞれの葬儀を執り行った方である。鞍馬寺に与謝野晶子書斎「冬柏亭」が移築されているのはよく知られていることだが、それも香雲師との縁があってのこと。四脚門の傍らに建てられているこの歌碑の解釈は、おそらく読んで字のごとしでいいだろう。参拝道の整備にあたって山下水を引く手水鉢を随所に置いたということか。「汲む」に水を汲むと雰囲気を汲むの二通りを掛けるレトリックはあるが、さして難しいレベルのものでもない。もともとは構えて短歌を詠んだというよりは、短歌形式に乗せた告知文程度のものだったのかも知れない。なお、信楽香雲師は鞍馬寺を天台から切り離して、鞍馬弘教として独立させた方でもある。魔王崇拝がどうのこうのなど新興宗教ネタでいくらかの指摘もあるようだが、戦後の鞍馬山および鞍馬寺を整備して、一般のアプローチを容易にした功績は大きく評価されるべきだろう。

 以上、とりあえず九十九折り参道にある三基の歌碑を紹介した。なお現在では奥の院参道の入口に、与謝野寛歌碑と並んで置かれている与謝野晶子歌碑も、当初は九十九折り参道にあったという(詳細な場所は不明)し、ケーブル駅舎内にある同じく晶子歌碑コクリコの歌碑ももともとは由岐神社の近くにあったものとのことである。これら二基の晶子歌碑をはじめ、上に紹介した青瓢句碑などを含めると、奈良の山辺の道ほどではないにしても、九十九折り参道はさながら文学碑の道でもあったかのような一面がある。枕草子でも触れられているなど、古くからの謂われもあったからだろうが、歩く人の詩心をくすぐる空気があるのかも知れない。

【おまけ】貴船の方の文学碑、ともに結の社から。鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社_a0029238_13231195.jpg鞍馬寺2011正月(2) 鞍馬寺の文学碑・附:貴船神社_a0029238_13231151.jpg
左:貴船より奧に人住む葛の花 松尾いはほ、右:老杉の花ふる結の社かな 高崎雨城

貴船神社の結の社では、和泉式部歌碑が有名だが、それ以外にあと二基ある。ただし松尾いはほ氏の句碑は破損している。

鞍馬・貴船の界隈ではものの本によれば、これら以外にも数点のリストアップがあるが、当方が現時点で確認できているのは以上である。



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by office34 | 2011-01-05 13:35 | 歌碑・文学碑など