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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 04月 23日
太子道(3) ~太子道と旧二条通
太子道の話ばかりを続けるのもアレなんだが、気になるものだからちょろちょろと調べてみた。東の起点は千本通(出世稲荷の前)であり、広隆寺への参詣道という点はおおよその資料で変わらない。いつ頃に開かれたとかの話も、軒並み不明となっている。そうした中で、比較的わかりやすくまとめられている説明として挙げるなら、『新撰京都名所図会』だろうか。
井戸(*注:壺井地蔵のある井戸)の前の道を俗に太子道というのは、聖徳太子を祀る太秦広隆寺にいたるからで、一に旧二条通ともよぶ。出世稲荷の前から西へうねうねと曲がりながらのびているのは、むかしの田圃路をそのまま利用したからで、「太秦の太子さん」にお詣りする人がしばし休憩した「お茶所」は、いまも壺井地蔵の西にのこっている。近年この南側に新道が開敷され、花園安井までのバスが通じるようになった。
[壺井地蔵の項]
旧市街と呼べるのは、千本通か七本松通のあたりまでだから、そこから西は田畑の中に作られたあぜ道のようなものだったろう。その中の一つがいつしか固定的に参詣道となって「太子道」と呼ばれるようになったのに違いない。

「旧二条通」という呼称に関しては、かなりの難問めいた気配が漂っている。まずその出自はわからない。いつ頃、そういう呼称が使われていたのか、皆目、見当がつかない。それに、旧市街の二条通と比べると、太子道は位置が離れすぎている感がある。つまり、なにゆえに太子道が二条通となっているのか、しかも「旧」がつくとは、どういうことなのか、まったくお手上げである。

ただ『京都通り名ものがたり』(洛東タクシーグループ古都研究会編、平成十六年、発行責任者・編著:有村政則、私家版)という冊子があり、そこには興味深い記述がある。
昭和三年(1928)の京都市告示では、それまでの「旧二条通」を「太子道」と改称されているが、広隆寺門前の京福電車の停留所「太秦」も以前は「太子道」だったという。
この告示なるものがどういうタイプのものか未確認だが、昭和三年の時点では、すでに「旧二条通」という呼称があったように窺える。そうであれば、新しく開かれたか拡幅されたかの関係で、どこかに「新しい」二条通が出現しており、それにともなって出世稲荷の前から西へ延びる小道が「旧二条通」と呼ばれるようになったとの推測もできなくはない。

裏付けは全くない話だが、可能性のみの次元でいえば、こんな感じになるだろうか。

出世稲荷のあたりから西へ延びる田中の小道があった。広隆寺への参詣道として使われていたことから、その道は「太子道」と呼ばれていた。明治になり、西ノ京のあたりでも田野の整備が進められ、太子道の南方に新道が敷かれた。その道は、旧市街にある道路との位置関係からすれば、二条通の延長線上におおよそ相当していたことから、「新しい」二条通といった形で認知されるようになった。この「新しい」二条通は、本来は存在していなかった場所に登場した点で「新しい」のだが、いつしか古い二条通を改修、移動させたかのように思われるようになり、それに伴って古い二条通(本当は存在していない)に宛てられたのが「太子道」であった……。

空想の領域だけが広く、はっきり言えばデタラメな推測である。それを承知の上で、あえて地図と付きあわせてみよう。

(1)陸地測量部地形図(明治二十五年作成)
天神川の東には、太子道に相当するものは描かれている。その南に位置する東西の道で目立つものは、三条通である。三条通の北に1本ある点線は小道か?

(2)京都市実地測量地図(明治四十二年刊行)最新京都市街地図(大正十年刊行)
二条停車場(現在のJR二条駅)の西側から出る道が描かれている。これが「新しい」二条通なのかも知れない。

(3)大京都市街地図2種(昭和二年刊行)(昭和十五年刊行)太子道に相当する道と三条通との間に描かれた東西の道は、前者で2本、後者で5本となる。

仁丹の町名看板は、昭和初期の確実な史料とみることができるので、出世稲荷から西へ延びる道が「太子道」と呼ばれていたことは確かであり、それは昭和三年の告示を受けてのことと考えられる。そこからさかのぼると、大正末年や昭和の初年を想定しての話、あるいは「旧二条通」という誤用が定着しつつあったのかも知れない(昭和三年の告示はそれに対する訂正か?)

屋上屋を架すどころか、空想に空想を重ねる操作である。自分でもいい加減に何を書いているのか分からなくなってきたのを潮時に打ち止めとしておこう。


一応、参考までに地図をペタっと……

太子道(3) ~太子道と旧二条通_a0029238_15215463.jpg太子道(3) ~太子道と旧二条通_a0029238_15215456.jpg
太子道(3) ~太子道と旧二条通_a0029238_15215564.jpg太子道(3) ~太子道と旧二条通_a0029238_15215399.jpg

(1)(2a)は日文研データベースより拝借。(2b)(3a)は架蔵


太子道(1)~太子道の町名看板 / 太子道(2)~仁丹・町名看板、謎の1枚 / 太子道(3)~太子道と旧二条通 / 太子道(4)~まとめに代えて


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by office34 | 2011-04-23 05:33 | 京都本・京都ガイド