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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 05月 06日
中京区釜座町(平成版)
中京区釜座町(平成版)_a0029238_1338099.jpg
森下仁丹が平成の町名看板を掲出していることは、すで知られている通り森下仁丹のプレスリリース。気が付くと、あちらこちらで設置が進んでいるようだ。

先日、中京区釜座町のものが目に留まった。看板に表記されているのは「三条通西洞院東入釜座町」である。平成版の町名看板については、それはそれ、あえてコメントするに及ばずというスタンスなのだが、「三条通西洞院東入釜座町」については、ちょっと黙っているのが難しい。

まず掲出されている場所。西洞院通と三条通の交差点である。そんなことは町名看板を見れば、わかるじゃないか、なんて言うなかれ。本来であれば、通り名グリッドで記されている以上、その掲出されている場所もピンポイントで絞られる。ところが、釜座町のものは、厳密なところを問題にすると、昭和のルールがみごとに無視されているのである。

もう一度、表記を確認する。
「三条通西洞院東入釜座町」である。

もしもこれが昭和の町名看板であれば、
(a)看板自体は三条通に面した場所に掲出されている、
(b)西洞院通を基準にして東へ入ったところへ掲出されている、
といった二つの情報が示されている。三条西洞院の交差点北東角には郵便局があるのだが、従来通りのルールに則っていれば、その郵便局の南面、もしくは三条通を挟んだ反対側に掲出されているはずである。だが実際のところ、釜座町の町名看板が掲出されているのは、南東角からわずかに南へ下がった場所になっている。三条通ではなくて、西洞院通に面しているので、昭和風の書き方にするのなら「西洞院通三条下ル」となる地点なのである。

昭和のルールは昭和のルールに過ぎない。事細かに平成に受け継ぐ必要はないという論理も成り立つ。しかし、どちらの通り名を優先して記述するかなど、神経質なくらいに細かいのが昭和の町名看板の特徴であり、同時に面白さであると考えている。そのぶん、肝心なところが無視されている釜座町の町名看板には、かなりがっかりさせられた。どうせ平成版だからこの程度だろうなんて言い草は、できれば使いたくないのだが、中京区釜座町のものに対しては、そう言わざるを得ない。

中京区釜座町(平成版)_a0029238_23324478.jpg難癖を付けたくなるのは、もう一点ある。それは作り方があまりにも雑じゃないかということだ。実は最初に目が留まった時は、平成のものとは思わなかった。というのは文字のところどころが剥落していたからである。経年劣化を思わせるような剥落、しかし、よくよく見れば平成版である。なぜ、こんなに雑な出来になっているのだろう。

思うに、書き手が特殊フィルムに文字を記入して、それを熱かレーザーで琺瑯看板に転写しているのだろう。その作業はもちろん専門業者の仕事になる。ところがこの業者の方がいいかげんだったのか、文字が定着していないうちにフィルムを外してしまった……といったあたりではなかろうか。よくよく観察すると、仁丹のロゴの部分や周囲の青ラインの部分には剥落は見られない。琺瑯看板の製作過程がどうなっているのかの問題も絡むところだが、琺瑯を製作する業者と、文字を焼き付ける業者が別になっているような気がする。もし、そうだとすれば、雑な出来になっている責任は文字を焼き付ける業者にあって、クライアントの森下仁丹は責められない。あえて責めるとすれば、いい加減な形で納品されたものを、黙って受けとった点だろうか。

明治時代以来おこなわれてきた森下仁丹の町名看板掲出は、その思想でもある「広告益世」の実践である。その平成の復活版である『京都町名琺瑯看板プロジェクト』は、町名看板という形で蓄積されてきた広告資源の活用という側面はあるだろうし、好事家にとっても好ましいことだ。しかし、そうした功利性や趣味性だけで語られる企画ではない。「広告益世」の思想があるからこそ、平成の世に復活させる意義が認められるのである。簡単に言えば、事業自体は非常に有意義なものである、ということだ。それだけに、釜座町の雑な町名看板をみると、返す返す残念に思えてならない。


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by office34 | 2011-05-06 23:46 | 町名看板