Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 06月 06日
錦天満宮
 このところバタバタすることが続いて、ブログの更新も停滞気味だが、以前にちょこっと触れた新京極の神社仏閣の話をぶり返してみよう。新京極にならぶ寺や神社を簡単に紹介しようという目論見なのだが、いまのところ、地上げ対策でテナントビルへと姿を変えた正覚寺を取りあげただけで終わっている。テナントビルと思いつつ、実はお寺でしたというオチはユニークなので、この正覚寺ネタはお気に入りの一つなのだが、新京極界隈で、それに匹敵する話となると、……あまり思いつかない、と言ってしまっては身も蓋もなければ元も子もない。というわけで、強引を承知で唐突に錦天満宮の話を切り出してみる。

 ただ、錦天満宮の話といって、ビルにめり込んだ鳥居を紹介するだけなら、二番煎じ、三番煎じもいいところだ。それで何か面白そうなネタはないものかと思いつつ、行き当たりばったりで秋里籬島の『都名所図会』を引くところから始めてみる(以下、日文研データベースより)
錦天神にしきのてんじんの社は京極きやうごく錦小路にしきのこうぢ東行当ゆきあてにあり、祭まつる所天満てんま天神也。鳥居とりゐの額がくは天満宮てんまんぐうと書しよして、青蓮院しやうれんゐん尊英そんえい法親王はふしんわうの筆ふで也。拝殿はいでんの額がくは宝鏡寺宮はうきやうじみやの理秀尼公りしうにこうの筆ふでとぞ。宗旨しうしは時宗じしうにして、紫苔山したいさん歓喜光寺くわんきくわうじ河原院かはらのゐん六条道場でうのだうぢやうと号がうす、開基かいきは一遍ぺん上人の甥をひ聖戒しやうかい上人也、元亨げんこう三年二月十五日寂じやくす。〔当寺の旧地きゆうちは東六条本願寺ほんぐわんじの境内けいだい枳殻馬場きこくのばばなり、左大臣融公とほるこうの住すみ給ひし河原かはらの院を改あらためて寺となし、六条道場だうぢやうとす〕千鳥池ちどりがいけ〔当寺庫裏くりの後うしろにあり、河原院にありしをこゝにうつす〕塩竃社しほがまのやしろ〔千鳥ちどりが池の中島なかしまにあり、祭まつる所河原かはら左大臣なり〕抑そもそも当社たうしやは寺内じないの鎮守ちんじゆにして、古いにしへは左大臣さだいじん融公とほるこうを祭まつれり、中頃なかごろより天満宮てんまくうを勧請くわんじやうしける也
ざっとみたところ、現在のガイドブック類とは視点が違うのは明らかである。現行の紹介なら、「錦の水」がでてくるし、天神つながりで学問成就のご利益とか撫で牛の話になる。そこへ小ネタ風に割って入るのが、左右の建物に突き刺さった鳥居であったり、機械仕掛けのおみくじだったり、あるいはややマニアックなところに走って、境内にある奴禰鳥居(ぬねとりい:社殿の左奧にある摂社の鳥居で、山形の額束が特徴的)の話だろうか。

それに対して、名所図会が取りあげるのは、まずは通り一遍の由緒来歴の話であり、プラスαの情報としては鳥居や社殿にかかる扁額の話、あるいは千鳥が池や塩竈社といった話になっている。時代がかわれば世間一般のものの見方考え方は変わるし、視点も変わるのは当然のことであって、どちらがいいという議論にはならない。ただそれにしても、これほどみごとに不一致があると、そのこと自体が興味深くもなってくる。

ところで名所図会の記事を読んでいて、ふと思ったのは、何故にこの場所が「天神」なのかということである。思えば、八幡宮や天満宮といった看板は全国各地にあって、それぞれにご本家(宇佐八幡宮、北野天満宮)となにがしかの縁を主張する。認知度が高くて神社の存在自体が当たり前になっているところでは、縁のアピールが少なくなるケースもあるが、そういう場所では往々にしてが、本来の由緒が忘れられていることもある。

錦天満宮の場合はどうだろう。秋里籬島のいうところによれば、もともとは聖戒上人がひらいた歓喜光寺であるという。その歓喜光寺は、本来は河原院跡地でもある枳殻馬場にあったとのことで、天神を勧請したのは後世の話とのこと。寺院の境内に鎮守の社を置くのは、明治以前まではごく普通のことで、いうところの話は鎮守の社として天神社が勧請されたということだろう。ただ、これだけでは、天神信仰との関連は後付けになってしまうし、それ以前に「錦」とのつながりも分からない。

 ここへ他からの情報を加えていくことになるが、まずは「錦」とのつながり。これは明快で、秀吉時代の強制移転で歓喜光寺が錦小路の東端へ来たことによる。さらに明治の神仏分離策で、本体の歓喜光寺が別所へ移転し、錦の地には鎮守社のみが残されて独立、その際に錦天神や錦天満宮の通称が、正式の神社名となった云々。

それでは、そもそものところ、なぜ天神なのかという問題はどうだろう。ここまでの話では、歓喜光寺の開基より時代が下がってから天神社が勧請されたというところしか見えていない。ウィキペディアには「長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸『菅原院』を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して『歓喜寺』が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる」との由緒が紹介されている。これによれば、聖戒の歓喜光寺よりまだ二百年ほどさかのぼることになるが、「天満宮」との縁、すなわち天神信仰とのつながりははっきりとしている。ただ、いかなる史料にもとづいて長保五年云々とピンポイントの年次が示されているのかは不明である。

新京極にある神社仏閣の中では人気スポットに入る錦天満宮である。観光客もたくさん訪れる場所だから取っつきやすかろうとタカを括っていたが、いざ調べてみると、わかりづらいところが多々ある。手持ち資料でのやっつけ調査では埒が開きそうにないので、一旦、切り上げておいて、また改めて挑戦してみることにしよう。


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修学旅行生、外国人観光客等々、いろいろな人でいつも賑わう境内

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by office34 | 2011-06-06 05:01 | 京都本・京都ガイド