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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 08月 08日
三条大橋マニアックツアー(4) ~擬宝珠の謎
三条大橋マニアックツアーもいよいよ架橋ならぬ佳境である。三条大橋に立って、細かく見て回ると、一般にはかくかく言われているが、本当だろうかという問題が出てくる。擬宝珠の数を十四としている説明もあるが、それは昭和十年の京都大水害の際に四個が流失して十八から減じた時の数字で、現在のものではない。十四から十二になった経緯は不明だが、現在は十二である。

そして、今回のテーマは、その擬宝珠は一般には天正の秀吉時代のものとされているが、どうだろうかということだ。[南・東2]のように明らかに昭和製となるのはともかく、「洛陽三条」云々で始まる銘文を刻んだ残りの十一個が本当に天正のものなのかどうかである。昨日の記事では、[北・東1]にみられる謎の記名に基づいて、天正のものではないんじゃないかという疑問の芽が生じた旨を書いたのだが、今回はその続編である。

もっとも続編と言ったところで、決定的なネタが用意できたわけではない。前もって、結論を述べるならば、いくつかの資料を調べた結果、秀吉時代のものとは言えないのではないかという疑いが濃くなった……というのが関の山なのである。芽が出て双葉が開いた程度に過ぎない。擬宝珠を撤去して、どこどこの工場で新しく鋳造したとかの記述が登場することを期待していたが、当然のことながら、そこまで都合良くは運んでくれなかったわけである。

とりあえず、今回あたってみたいくつかの資料を紹介してみよう。まずはネットの上で京都府や京都市が開いているサイトにどう記されているか。これはおおむね擬宝珠を天正時代のものとしているようだ。「京都府観光ガイド」などは「高欄の擬宝珠14個はその当時のもの」と逃げ場のない記述になっているが、「京都観光Navi」では「豊臣秀吉が大改修したときの銘入り擬宝珠が残り」とあるだけで、大きく逃げ道を残している。「豊臣秀吉が大改修したときの」が掛かっているのは「銘」だけだと言われたら間違いにはあたらないし、「擬宝珠」にも掛かるだろうとツッこんだとしても、一個でも該当するものがあればセーフになるからである。ただ、常識的な読み方をすれば、これもすべて天正のものと暗に言っているようなものなので、疑問符はいくつか付けざるを得ない。

ところでこれらは観光客を想定した説明文であり、厳密な考証を経たものではない。当方と同じ穴の狢というか、どこかの売文業者に投げて原稿を書かせたものだろう。そして、その手の原稿のたいていは、依拠することが常識の範囲で許される事典類の記述を微妙にアレンジしたものに過ぎない。

それではということで、活字に目を転じてみる。事典・辞典と名の付くものでは『京都事典』(村井康彦編、東京堂出版、1993)や『京都大事典』(佐和隆研ほか編、淡交社、1984)、あるいは『国史大辞典』(吉川弘文館、坂本太郎ほか編、1979~1997)あたりが挙げられるのだが、『国史大辞典』では擬宝珠への言及が見られず、『京都事典』では銘文の一部を紹介するに留まっている。そんな中、おや?と目を引いたのが『京都大事典』だった。
中京区と東山区との境にあり、鴨川に架かる橋。平安京の三条大路を踏襲した三条通が通じ、近世には東海道の西の事実上の起点。中世末には架橋されていたと推定されるが、恒常的な橋を建造したのは天正一八年(1590)で、豊臣秀吉の命により、増田長盛がつくった。以後たびたび流失したが、幕府が管理する公儀橋としてすぐ修復。三条大橋西詰は高札場とされた。現在の橋は昭和二五年建造の鋼材を使用した木造橋で、旧態をとどめる擬宝珠高欄がある。長さ七三メートル
『京都大事典』(佐和隆研ほか編、淡交社、1984)
「東海道の西の事実上の起点」のあたりもそうなのだが、議論をふっかけられそうな部分では巧妙に煙幕を張っているのである。擬宝珠のくだりについても、架橋当時のものなどといった危なっかしい記述は使わず、「旧態をとどめる」としているに過ぎない。これなら、記述自体にツッコミを入れる余地がなくなってしまうのだが、裏返せば、擬宝珠は天正のものではないのかも知れないという、執筆担当者の逡巡も伝わってくる。

そうこうしていた折、とある新聞記事と出会うこととなった。「升本直一」の件で京都市歴史資料館を訪れた際、『資料収束名橋高欄擬宝珠銘』という本(この本は奈良定吉という方が個人的に蒐集した書籍や新聞記事をスクラップした上で一冊に整理・製本した私家版)を紹介してもらったのだが、その本に引かれていた記事で、昭和三十七年の後半、京都新聞が連載していた「橋」というコラムである。そのコラムの最終回(12/29)は「上がり」ということで三条大橋が取りあげられていたのだが、その文章にはこう書かれていたのである。
元禄、明治、大正とかけかえられ、いまの橋は昭和二十五年、工費千四百八十六万円でかけたもの。長さ七四メートル。ギボシは秀吉当時のものに似せてあるそうだ。
京都新聞 S37.12.29夕刊、「橋」107回[三条大橋]
もちろん、こうした記述が出てくるだけでは解決にはならない。これの裏付けを取らねばならない。しかし、想像でいえば、こうも言える。

このコラムを書くにあたって記者は関係者に問い合わせるなど、しかるべき取材を行ったのだろう。「似せてある」云々はその中で出てきた話のような雰囲気である。記事が昭和三十七年だから、二十五年の架け替えを担当した責任者がその取材対象だった可能性もある……と。

今となっては雲を掴むような話だが、天正のものではあるまいという方向が少しは具体的になってきた感がする。

三条大橋マニアックツアー
(1) 擬宝珠はいくつ? / (2) 擬宝珠銘の異同 / (3) 「升本直一」って誰? / (4) 擬宝珠の謎 / (5) まとめにかえて



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by office34 | 2011-08-08 03:20 | 橋のはなし