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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 09月 22日
芭蕉顕彰碑@金福寺(3) 建碑の経緯
芭蕉顕彰碑碑文の2行目後半から4行目前半まで。
翁冢所在有之姪道卿新建於東山詩仙堂南金福寺中請予銘焉予義祖伊藤担菴先生亦与 翁交担菴集中有謝 翁邀飲詩亦可以想 翁為人矣
金福寺を芭蕉追悼の地とするに到った経緯を記す箇所。以下試読。

芭蕉顕彰碑@金福寺(3) 建碑の経緯_a0029238_019995.jpg翁の冢[つか]、所在にこれ有れど、姪[てつ]道卿[だうけい]、新たに東山[とうざん]詩仙堂[しせんだう]の南、金福寺[こんぷくじ]中に建て、予に銘を請ふ。予の義祖[ぎそ]、伊藤担菴[いとうたんあん]先生は亦た翁と交はる。『担菴集』中に「翁に謝[しゃ]して邀飲[えういん]す」の詩有れば、亦た以て翁の人と為[な]りを想[おも]ふべし。

大意は以下の通り。

翁の墓は方々にあるが、甥の道卿が新たに京都は東山、詩仙堂の南にある金福寺の中に建て、私に銘を依頼してきた。私の義祖父である伊藤担菴先生は翁と交流があった。先生の詩集『担菴集』にも「謝翁邀飲(翁に謝して邀飲す)」という題の詩があるので、それによって翁の人柄も想像できる。

翁冢:芭蕉の遺言にしたがって大津の義仲寺に建てられたものをはじめ、四天王寺など、門人たちが年忌法要で建てたものが多数ある。
所在有之:「所在」は「あちらこちら」の意。
:兄弟の生んだ男児、現代語でいう「甥」。
道卿:樋口道立。清田絢の兄、江村北海の息。
新建:金福寺に芭蕉の墓が建てられたわけではない。この顕彰碑のことを「冢」と呼んでいるのだろう。蕪村の「洛東芭蕉庵再興記」は「風流の地に蕉翁の名を刻む遺跡があるのに、それが荒れるにまかせてしまうのは恐ろしいこと」と言い、俗に「芭蕉庵」と呼ばれている草庵を整備再興した旨を記してはいるが、墓を建てたとは言っていない。
伊藤担菴:越前福井藩に仕えた藩儒。「担菴は嗣子が早世したので門人清田氏を養つて嗣とした。即ち伊藤竜洲である。竜洲は播州明石の人で、伊藤家に入つた後、父の職を襲つて越前福井侯の文学となつた。竜洲に三男がある。伯を錦里、仲を北海、叔を〓叟といふ。伯は経を以て仲は詩を以て叔は文を以て各々に著はれ、世に伊藤氏の三珠樹といつた。かくて錦里は伊藤の家をつぎ〓叟は父の本姓たる清田氏を称したが、北海は後出でて宮津侯青山氏の文学江村毅庵の嗣となり、江村氏を名乗るに至つた。而して道立は実にこの江村北海の第二子であつた。即ち芭蕉庵の碑文を撰した清絢〓叟の姪である。」(穎原退蔵「道立」) 
〓:「憺」の扁をニンベンにした字
与翁交:蕪村「再興記」には「道立子の大祖父担菴先生は蕉翁のもろこしのふみ学びたまへりける師にておはしけるとぞ」とある。ただし、岩波新大系本『天明俳諧集』の脚注には「担菴に漢学を習った芭蕉は、京都の富豪那波祐英(彼も芭蕉と号した)のことで、俳人芭蕉とは別人。道立はこの二人の芭蕉を混同した」とある。
担菴集:未見、活字本未刊?
謝翁邀飲詩:詩の本文を見ていないので、内容はもとより、題の範囲も分からない。あるいは「邀飲」のみが題で、「謝翁」は清田絢による補足箇所かも知れない。なお「謝」には「あやまる」の他に、「あいさつする」等の意味もある。「邀飲」は「招待していっしょに酒を飲む」の意。
可以想:~に基づいて推測できるだろう。「菅野真道撰続日本紀、文才可想而詩殊不諧[菅野真道、続日本紀を撰センす。文才想オモふべくして詩殊に諧カナはず]」(詩史・巻之一)
為人:ひととなり、人柄、性格。「入江兼通、字は子徹。若水と号す……家千金を累カサぬ。人と為り不覊フキ(詩史・巻之三)

(1)概略 / (2)芭蕉略歴 / (3)建碑の経緯 / (4)俗流と翁風 / (5)本朝の大詩人 / (6)樋口道卿 / (7)銘に曰く / (8)まとめ



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by office34 | 2011-09-22 10:30 | 歌碑・文学碑など