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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 10月 14日
「哲学の道」を哲学してみよう(前編)
「哲学の道」を哲学してみよう(前編)_a0029238_23541754.jpg
とある夏の日の「哲学の道」

そもそも哲学とは何ぞやというあたりからコケてしまうこと請け合いだが、とりあえずはあれこれとごちゃごちゃ考えることというふうにしておこう。と、そんな前振りから始まるわけだが、「『哲学の道』を哲学」とはどういうことか?。簡単にいえば「哲学の道」なるネーミングをネタに、ごちゃごちゃ考えてみようということである。

前回の記事で取りあげたように、一般に「哲学の道」と呼ばれている場所と、水道局が出した告知でいう「哲学の道」は微妙にズレている気がするのだが、それ以前に考えねばならない問題、それは「哲学の道」という呼称の沿革である。

こういう切り出しをするとそんなこと有名な話じゃないかとのツッコミも来る。確かに、西田幾多郎が思索を重ねつつ散策するのが日課だったところから「哲学の道」なる名前が生まれたというお話はよく聞く。しかし、それはどのくらいの検証に耐えられるのだろうか。もしかすると、いつの間にか定説とされるに至ったアーバンレジェンドだったりしないだろうか、とそんな気もするのである。

最初の取っ掛かりは、いわゆる定説化しているものの中身確認。
「哲学の道」は、明治二三年に建設された琵琶湖疎水の支線沿いにある若王子橋から銀閣寺橋までの一・八キロほどの道をいい、桜並木の遊歩公園となっています。夏の夜には蛍が飛び交い、秋には紅葉が彩りを添えます。
 「哲学の道」は、日本哲学で世界的に著名な京都大学教授西田幾多郎(にしだきたろう 一八七〇~一九四五)が、研究や読書、思索の疲れを癒すために、毎日のように歩いたことで知られています。「人は人 吾はわれ也 吾行く道を 吾は行なり」と、その心境を詠んだ歌碑が近くにあります。
 名前の由来の詳細は明らかではありませんが、京都大学教授でのちに大阪経済大学初代学長を務めた黒正巌(こくしょういわお 一八九五~一九四九)が、ドイツに留学した時、ハイデルベルクにあった「哲学者の道 フィロゾーフェン・ウェヒ」を思い出し、昭和の初めころ名付けたと言われています。黒正巌は、百姓一揆の研究で有名な経済史学者であり、「道理は天地を貫く」の言葉を残しました。
 当時は「哲学者の小径」と呼ばれていたらしく、近くに住む知識人・文人や住民たちの憩いの散歩道となっていました。昭和四五年に京都市が遊歩公園として整備し、観光客でにぎわうようになり、「哲学の道」という呼び方が定着するようになりました。「日本の道百選」にも「哲学の道」として登録されています。
代表的な説明は何種類かあるはずだが、これは現地に掲示されている駒札の解説である。WEB上での京都観光Navi(京都市観光協会)が「東山のふもと、左京区・若王子神社から法然院下を銀閣寺に至る疏水べりの小道。約1.5キロ。日本の道百選にも選ばれた。哲学者西田幾多郎が散策、思索にふけったといい、この名がついた。春は両岸の関雪桜で花のトンネル、川面に散り流れる花ビラもひとしおの風情。市バス永観堂前400メートル、銀閣寺前すぐ」とシンプルにまとめているのと比較すれば情報量も多く、示唆にも富んでいるようだ。またウィキペディア[2011.10.13現在](参考までに→ウィペディアの「哲学の道」でも比較的短めの記述になっていることを思えば、この駒札の内容をベースに検討を進めるのがよさそうな雰囲気である。

まずいじってみたいのは「哲学の道」という言葉の発端。世間に流布しているパターンで、たぶん一番ポピュラーなのが、京都観光Naviのものではないかと思う。それに比べると、駒札の解説は微妙に毛色が違って、西田幾多郎の行跡とストレートにつなぐことにためらっているようにも読める。

観光Naviが「哲学者西田幾多郎が散策、思索にふけったといい、この名がついた」としているのに対して、駒札では西田の散歩コースであったという事実、歌碑が建立されているという事実、それらを紹介しただけで「名前の由来は~」の段に入ったかと思うと、それ以降では西田の名前は出てこない。むしろ、その段で黒正巌命名説が述べられているだけに、西田幾多郎からの流れではなくて、黒正が名付けたものであるとでも言っているかのように読めるのである。こちらの読解力に問題があるのか、なにがしかの新説が提起されているのか、悩むところなのだが、考え方を整理すれば従来の見解の枠内に収めることもできなくはない。

というのは、従来の説明を<西田の散歩ルート>→<西田の弟子筋の面々がいつしか言い出したもの>と図式化しておけば、黒正を<弟子筋>に含めるだけで済むからである。事実関係として黒正巌が西田幾多郎の教室に出入りしていたのかどうかは知らない。しかし『善の研究』が大正期の若い学生たちにとってはバイブル的な書物だったとすれば、<弟子筋>を直接指導を受けていた人々に限定するのではなく、西田が教鞭を執っていたころの学生たちと考えることもできる。黒正巌はそんな世代の一人なので言い出しっぺの候補として名前が挙がること自体はおかしくない。

次に黒正起源説の検証、といっても、これは駒札に記された解説だけではどうしようもない。駒札でも「名前の由来の詳細は明らかではありませんが」と断るだけでなく、「と言われています」と逃げの手を打っているくらいだから、誰が一番に言い始めたかというあたりに厳密さを求め始めると検証不能に陥るに違いない。それを承知の上でいえば、おそらくは、黒正の日記かエッセイ、その類の軽い文章で学生の頃の思い出に触れた一節があって、疏水分線に沿った道を「哲学者の小径」と呼んだとする内容のものが見つかっているのに違いない。

こうしてみると、「哲学の道」という言葉は、西田幾多郎の下の世代の学生が言い出したものと考えて良さそうだが、言葉の出自を<西田幾多郎の行跡>に求めるのか、<ハイデンベルクのフィロゾーフェン・ウェヒとの重ね合わせ>に求めるのか、この点では二説アリとしておくしかなさそうだ。具体的に黒正巌の名前が挙がってはいるものの、もともとは戯れ言、といって悪ければ特定グループ内での流行語的なものだったような気配なのだから、その厳密な規定も覚束ない。とすれば、とあるハイカラ好きな学生がハイデンベルクのフィロゾーフェン・ウェヒと重ね合わせて使い始めたものの、いつの間にかニュアンスが変わって、かの西田先生の散歩コースだったから云々という内容にスライドしたという方向で考えることもできる。

ところで、この「哲学の道」なる言葉については、その発端と併せて、もう一つの大きな問題がある。それが、言葉の定着である。観光Naviやウィキペディアでは触れられていないのだが、駒札の解説ではそこへの言及も見られる。駒札のものが示唆的だと思った所以でもある。こちらは、いくつか参考資料も見つかっていることもあるので、稿を改めることとする。

>>後編


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by office34 | 2011-10-14 09:00 | 京都本・京都ガイド