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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 11月 11日
詩人・島岡剣石氏
詩人・島岡剣石氏について、いくつかの情報が寄せられたので紹介してみたい。

まずは、京見峠の歌碑の件だが、副碑には「昭和戊午年十月」とあった。すると、そこまでわかっているんだったら、新聞でも見たらいいんじゃないかとのツッコミ。なるほど……というか、いずれチェックしようと思っていた事柄なのだが、行動が遅いのが当方の悪癖である。実際に調べてみるより早くご指摘をいただいたという次第である。

というわけで京都新聞の縮刷版で昭和戊午十月、すなわち昭和53年10月の記事をみていると「北山に歌碑二基」との記事を発見する。10/22付のものである。その記事によれば、22日に現地で除幕式の行われる歌碑が二つあるらしい。一つは陶芸家・高山泰造氏の歌碑で北区大森東町に建立されるもの、そして二つ目が京見峠の島岡氏歌碑である。プロフィールもほとんど分からなかった島岡氏だったが、記事にはいくばくかの紹介がなされている。
島岡さんは、かつて左京区の哲学の道や大原一帯を主舞台に詩作を続けたが、最近の観光化に"詩心"を失い、同峠(注:京見峠のこと)に第二の哲学の道を求めた。そして昨春、同峠で「うつせみの 寂しさゆえに奥山の 辛夷(こぶし)は白く 鎮(しず*)もりて咲く」を作り、賛同者の助力をえて、除幕式にこぎつけた。
 歌碑は市内が一望できる峠茶屋前。鞍馬石(縦一・二㍍、横二・七㍍、厚さ四十㌢)に刻まれ、周囲にコブシやサツキを配した立派なもので、静寂な峠に新たな彩りをそえた感じとなっている。
(*注:現在の駒札では「鎮」の字には「うづ」とルビが振られている)
昭和53年当時は茶屋前からの展望があったのかと、余計なところに感心したのは措いとくとして、この記事を読む限りでは、いわゆる自然派詩人というタイプの方らしい。記事が掲載された時点で71歳という御歳も分かるので、世代の把握もできる。そしてもっとも大きな収穫が歌碑の性格なのだが、どうも島岡氏自らが置いたように読める。賛同者云々はおそらく資金的なところも含めての協力者なのだろう。個人的つながりのあるパトロンなのか、文学グループなのかは分からないが、副碑にある「心境同人」という集団、あるいは「歌碑建碑委員会」となっている人々のことに違いない。

また、昨日触れた『中根正親先生回想録』に寄せた一文には、かつては京華日報の記者であったことや両洋学園で教壇に立っていたことなどが触れられている。現代社会において、専門詩人なるものが職業上の括りとして成り立つのかどうかの議論はさておき、島岡氏の生業が「詩人」だったとする件については疑問を抱いている。もしかすると教職についておられる傍らで、本格的に詩作をもしている方なのかも知れない。

思えば宮沢賢治にしても、現代でこそ「詩人」または「童話作家」と呼ばれるが、そんな扱いが一般化するのは死んでからのことだった。職業が肩書きになったのだとすれば、生前は「教師」だったはずである。あるいは素封家でもあったので教職もまた賢治にとっての生業ではなかったのかも知れない。島岡氏については、まだ情報が少ないので無責任で礼を失した推測ばかりを重ねている感もするが、名前に添えて書かれている「詩人」は、アイデンティティの主張であって、肩書きとか職業とかの記載ではないのではないかと思うのである。

これらのほかには『京の文学碑めぐり』(京都新聞社編・発行、昭和56年)にかなり詳しい情報があるとの話も聞いた。この本は市内にある文学碑のあらましをチェックする際に利用したことはあった。そして、それぞれの碑に関するページでは作者に関しての踏みこんだ記述がなされていることも知ってはいた。しかし、肝心の本が手許になく、確認を怠っていた。本自体は図書館にあることも分かっているので、調べたうえで改めて報告する。

詩人・島岡剣石氏_a0029238_23343540.jpg
京都新聞、昭和53年10月22日の記事



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by office34 | 2011-11-11 09:00 | 歌碑・文学碑など