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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2011年 12月 19日
西郷隆盛とプリンセス・テンコー ~清閑寺(4)
「歌の中山清閑寺」というフレーズにこだわるあまり、煩わしい話を重ねすぎたようだ。ということで、このネタは〆にしておいて、おもわずビックリの方を紹介しよう。ただ、ビックリといっても、現場でそれを見た段階で驚くことはなかったのだが、後で調べて、なんじゃこりゃ?という思いになったと言う方が正しい。それが清閑寺境内に建てられていた「大西郷月照王政復古謀議旧址」の碑である。

大西郷とはもちろん西郷隆盛のことで、月照とは尊皇活動に奔走した清水寺の僧侶。この二人が陰でコソコソやっていたことや、時勢に恵まれずともに入水自殺(西郷は助かる)をはかったことなどは、紹介されることの多い幕末ネタだろう。事件そのものが歴史の大勢に影響を与えていなくても、ドラマチックに語るには面白いという意味で、フィクション色の強い歴史小説では好んで取りあげられる題材である。したがってここでその話をぶり返すつもりはない。ただ一応の手順も踏まねばならないので、現場に設置されていた解説板で説明に替えておく。
清閑寺は、幕末に清水寺成就院住職の月照上人と西郷隆盛が、しばしば勤皇の謀議をした所で、安政五年(1858年)、月照が水戸藩への密使降下に尽力し、幕府から狙われた時ここで西郷と密かに会い、都落ちの計画を茶室「郭公亭」で行われた。「郭公亭」は、鐘楼堂の上方にあったが、荒廃によって平成三年に惜しくも解体された。
話の大筋はこれだけなのだが、当方が引っ掛かったのは、その事跡を伝える石碑の建立者についてであった。

石碑自体は高さ2㍍以上はあろうかの立派なものである。そして刻字もはっきりと確認できる。その伝える事跡も有名な部類に属するものだったので、現物を見た時にはあまり響くものはなかった。唯一、建立者のところにある「奇術元祖中村天一建之」の文字を見て、へェ~と感心してしまったぐらいである。ただ、この段階では「奇術元祖」なる聞き慣れない肩書きを奇異に思ってのへェ~に過ぎなかった。そのため、詳しい情報はどうせ「いしぶみデータベース」に掲載されているだろうと高をくくって、建立年なども控えずに帰ってきてしまった。

しかし、いざ「いしぶみデータベース」にあたってみると、件の石碑は含まれていない。全件一覧からたどっても、全域地図からたどっても見あたらない(人名から辿れば発見できた?,2013.2.10追記)。清水寺から清閑寺に至る道中にある「歌の中山清閑寺」碑はあるのだが、清閑寺境内の碑は紹介がない。掲載されていないと知った時点ではじめて、詳しく控えを取らなかったことをしまったと後悔したのだが手遅れである。「奇術元祖」なる興味深い肩書きについても調査の糸が途切れたことになる。建立年が大正八年?だったかとの曖昧な記憶があるので、おおよそ明治~大正年間の人物という枠をもうけて、「中村天一」なる名前を調べる、という雲を掴むような作業しかないところへ入ってしまったのである。

それで、とりあえず「中村天一」なる名前をネットで検索してみると、現代でもさほど珍しいというわけでもないのか、かなりの数のサイトがヒットする。やっぱりダメかなやっぱりと思っていたところ、「浜松マジシャンズソサエティー」のブログなるものが引っ掛かってきた。そして記事の中に「天一一座の活動[平岩白風]…明治三十九年前後の天一一座の活動(1)」なる文字列を発見。

調べている対象が「奇術元祖中村天一」だけに、マジシャングループのサイトにおける「天一一座」なる言葉は魅力的だ。ただブログにあったのは「奇術研究」という雑誌のバックナンバー目次で、記事本文が確認できるわけではない。そのため、そのサイトから詳しくはたどれないものの、「天一一座」なる言葉がキーワードとして新たに設定されることになる。そして、その結果、ウィキペディアにも掲載されているレベルの情報にまで行きつくことができたのである。

以下、ウィキペディア「松旭斎天勝」(2011.12.18現在)より
1895年 (明治28年)、神田松富町の質屋の娘だったが家業が失敗、門前仲町のテンプラ屋に奉行人として勤める。店主が当時の一流奇術師・松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)だった事が縁で、器用さを見込まれ弟子として採用された。
明治~昭和初期に活躍した女流マジシャン松旭斎天勝に関する説明だが、どうやらその師匠が「天一」を名乗って興行をしていたらしい。師匠の姓が「中村」だったのかどうかも未確認だし、天勝が人気を博するに伴ってニセモノも横行したということだから、「中村天一」という名前だけで、松旭斎天勝の師匠を呼び出すのはムリがあるかも知れない。仮に、見込み調査が当たっていて師匠が中村姓だったとしても、なぜ京都の清閑寺に碑を置いたのかなどのところが解き明かされるわけでもない。それでも何の手がかりもなかった段階に比べると、かなり方向性が絞られた気配である。

とりあえずの作業はここまでである。これだけではもちろんながら、清閑寺の大西郷月照碑と松旭斎天勝の師匠との繋がりが見えたわけではない。しかし、件の碑を置いた人物が、その師匠本人かニセモノかなどの問題があるにせよ、「奇術元祖」を名乗っていることは確かである。「元祖」だの「本家」だのを公然と口にするところには、売名意図などのPR戦略が伴っているのが普通だとすれば、今でこそ「穴場」扱いされる清閑寺だが、大正の頃にはそうしたPRの場としてふさわしいと思われていた、といった空想も働くことになって、けっこう面白かったりするのではないか。

ちなみに、ウィキペディアには「二代目・引田天功(プリンセス・テンコー)も遡れば松旭斎一門へたどり着く」との記述もある。今回のタイトル「西郷隆盛とプリンセス・テンコー」とは、それにもとづく釣り以外のなにものでもない……反省。
(続)


西郷隆盛とプリンセス・テンコー ~清閑寺(4)_a0029238_13275481.jpg
清閑寺の大西郷月照碑



「歌の中山清閑寺」をめぐって~清閑寺(1) / 謡曲にみる「歌の中山」~清閑寺(2) / 「歌の中山」の語義 ~清閑寺(3) / 西郷隆盛とプリンセス・テンコー ~清閑寺(4) / 「大西郷月照碑」補足 ~清閑寺(4') / 清閑寺総括 ~清閑寺(5)


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by office34 | 2011-12-19 09:00 | 京都本・京都ガイド