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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2012年 02月 13日
明治5年の地名表記 ~「京都新聞」(8)
仁丹の町名看板がきっかけとなって、地名表記の方法やその古態などが気になっていた時、そういう関心なら古い新聞記事を見るのが一番だろうというアドバイスをもらったことがある。「東今出川」の問題を扱っていた時のことだったろうか。現在の「出町柳駅前通り」がかつては東今出川通と呼ばれていたのではないかとの推測を立て、それの裏付けになる事柄を探していた時だった。駅前通りに貼られた仁丹の町名看板に「東今出川」の名前が出ているのだから、それ自体が証拠には違いない。しかし唯一の事例から導かれる事柄を一般論風に言い立てるのは、けっして望ましいものではない。古くから「今出川通」と呼ばれた道は鴨川にぶち当たって終わっており、そこから川を越えてさらに東、知恩寺方面へ進む道は現在の駅前通りと重なるのは古地図からも推測できるが、その道がどう呼ばれていたかを示す同時代史料を探していたのである。それで、そうした内容をとある知人に持ちかけたところ、一撃即答「そんなの簡単だ、当時の新聞でも虱潰しに読めば何か出てくるはずだ」。

確かに仰せの通り! ナクヨうぐいすの頃ならいざ知らず、大正昭和の頃だから、たかだか百年程度しか経っていない。依るべきものが消滅や散逸の危機に瀕している時代ではない。問題はそれを適切に料理する力量や見識があるかどうか、あるいはそうした膨大な作業を始めるだけの気合いや度胸があるかどうかだけである。結局、東今出川問題はその名回答によってペンディングモードに入ってしまったのだが、今回、明治5年1月の「京都新聞」を読む機会があったのに刺激されたのか、昔の話が思い起こされた。

というわけで、明治5年1月「京都新聞」に見られる地名を具体的に書き出しておく。かねてからの懸案である東今出川問題と直結するものではないし、ここから何か画期的な見解が飛び出すわけでもない。それでも、いつかは何かの参考にもなるだろうぐらいの心づもりはあるので、コネタ程度に眺めていただければ幸いである。
  • 下京二五番組油木町
  • 下京三拾番組芳野町
  • 下京廿七番組清水町三丁目
  • 下京廿五番組夷町
  • 同組三条白川橋東入四丁目
  • 上京四番組中筋智恵光院西入
  • 下京三十三番組祇園町
  • 上京廿一番組鏡屋町
  • 下京四番組堀之上町
  • 上京一番組姥ヶ榎木町
  • 下京六番組鍋屋町
  • 新河原町通四条上ル加茂川筋
  • 下京廿一番組七条油小路西入町
  • 同六番組四条裏寺町
  • 下京九番組油小路御前通下ル町
  • 堀川木津屋橋上ル町
番組制度がはじまってほどなくのことなので「○○番組××町」というのが、このころの基本スタイルで、いわゆる碁盤の内側では通り名による表記が行われることもある……個々の事例についてコメントするだけの用意はないが、おおざっぱにいえば、こんな感じだろうか。

取りたてて言うべきものでは「七条油小路西入町」のように、通り名で記した後ろに「町」をつけるスタイル、これが明治の初頭に見られたことは抑えておいてもいいだろうか。少し時代がくだった頃のものであれば、時折、目にしていたので興味は持っていたが、そこそこ古くからある表記スタイルのようだ。他にもネチネチやってみると、なにか面白いネタになりそうなものもある雰囲気だが、とりあえず事例の紹介のみで止めておこう。なお「新河原町通」については、ちょっと粘着したいので機会を改める。
(続)



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by office34 | 2012-02-13 23:59 | 町名看板