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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2012年 10月 18日
虎石をめぐって(1) 江戸時代前期の案内記
虎石町の町名由来となった「虎石」の話。

地名辞典の類をみれば、柳馬場押小路下ルの法泉寺にそういう名前の石があったことに基づくとする説が有力である。そしてその場所は親鸞上人遷化の地で、「虎石」の名前も、庭石が虎の伏した姿に見えるというところから、親鸞上人が名付けた云々。

こういうマトメ方がよく行われているというのは、先にも書いたが(参考までに)、内容自体は江戸時代の地誌や旅行案内記の類でよく見かけるものであるということにも触れた。ただ井上頼寿『京都民俗志』もいうように、諸説が混じり合ってわかりづらい状態になっているキライはある。そこで孫引きで書くのではなく、直接確認のできるものはどれかという方向で調べてみた。もっとも資料的な限界もあり、実際にあたったのは京都叢書だけで、かつ索引から辿れる範囲での話であることは、最初に断っておく必要がある。

最初に出てくるのは浅井了意『京雀』。寛文四年(1664年)ということだから、江戸時代も前期の話である。万里小路(今の柳馬場)の項に「とらいしの町」とあり、
昔本願寺の開山親鸞上人此町に住給ひて遷化あり。その南庭の築山泉水の石に虎に似たる大石あり。太閤秀よし公聚楽の城に引とりて築山に居すへ給ふ後に城を伏見に引うつされし時、虎石をも引とられたり。石田治部少輔反逆して伏見の城代鳥井彦右衛門をうちとり城は破れてかの虎石は今は狼谷の日蓮宗の寺にありといひつたへし。
*原文句読点なし
とある。真偽はさておき、この記述が挙げているのは、
(1)虎石が親鸞宅の庭石だったこと
(2)秀吉が聚楽第へ接収こと
(3)聚楽第から伏見城へ移されたこと
(4)伏見落城の後は狼谷の日蓮宗寺院へ移されたこと
である。この寛文期の『京雀』の記述は、後の案内記にも継承され、元禄期(貞享/元禄/宝永:1684~1710)のものにも類似の内容が多く見られる。違った内容を記すのは、貞享三年(1686年)刊行の黒川道祐『雍州府志』であり、親鸞ゆかりの虎石とは関係のない、別の虎石を取りあげる。巻第八古蹟門上にいう。
射場町 報恩寺ノ前ノ町也。曽(かつ)テ室町家ノ射場在リ。斯(か)ノ処ニ今、東面人家ノ後園ニ大石有リ。伝ヘ言フ、射場ヲ掌ル者ノ斯ノ石ノ陰ニ在リ、射ル者ノ中(あた)ルト中ラザルトヲ択(えらみ)見ル也、斯(かの)石ヲ虎石ト号スト。
*原文かな交じり漢文で句読点なし
大石の陰にいるという「射場ヲ掌ル者」、あるいは「中ルト中ラザルトヲ択見ル」ということの中身はわかりづらいが、石に宿っていて、命中するかどうかを差配する射的の神様みたいなものをいうのだろうか。ここに挙げられているのは報恩寺前、すなわち堀川寺之内の射場町にあったという虎石なのだが、射的とのからみで言われている。

これと同様に射的がらみになって面白いのは、浅井了意が晩年にまとめた『出来齋京土産』で、ここには前掲『京雀』とほぼ同じ記述があり、それ続けて
物毎にまことを思へ虎石の
  石に矢の立つ例もそある   でき斎
とある。親鸞旧跡の文脈からは射的の話は出てこないのだが、暗黙の前提でもあるかのように「石に矢の立つ例」という。案内文の後ろにくだけた俳諧歌っぽいもの(狂歌?)を添えるのは同書のスタイルなのだが、虎石にまつわる歌として、矢が立つか否かを問題にしているのが注目される。というのも、虎と石と矢の三つが揃い踏みすれば、江戸人の教養でいえば、出てくるのは李広将軍の故事ではないかと思われるからである。

漢代の猛将として名高い李広の伝に
広、猟に出で、草中に石を見て以て虎と為す。而(しか)してこれを射るに石に中(あた)りて鏃(やじり)没す。これを見るに石なり。因て復(ま)た更にこれを射るに、終に復たと石に入る能はず。
『史記』列伝より(書き下しは私案)
というものがある。『史記』が伝えるのは、李広が石を虎と見誤って射たところ、最初の一矢かぎりだったのだが鏃まで石にもぐりこんだという、その常人ばなれした強弓エピソードである。これは、後代には、強烈な覚悟のもとで行えば矢を石に突き立てることもできるという主旨にアレンジされ、現代でも使われる慣用句「一念、岩をも通す」へと連なる。狂歌にいう「虎石の石に矢の立つ例」とは李広伝説を指すものである。

この伝説が当時は有名な部類に数えられていたことは、『毛吹草』に「ねんりきはいはをとをす(念力は岩を透す)」という俚諺が載せられていることからも推測できることだが、浅井了意から離れて、黒川道祐も「虎石」を射的に結びつけていることを思えば、虎石を親鸞旧跡がらみだけから捉えるのは考え直した方がよさそうである。

(1)江戸時代前期の案内記 / (2)宝暦の『京町鑑』 / (3)『都名所図会』より / (4)虎石と墓石 / (5)虎石と虎刈り /


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by office34 | 2012-10-18 14:42 | 京都本・京都ガイド