Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2012年 10月 25日
虎石をめぐって(3) 『都名所図会』より
虎石をめぐる解説で、浅井了意の文章から離れるのは、まったく別の虎石を取りあげた黒川道祐『雍州府志』を除いておけば、秋里籬島『都名所図会』になる。安永九年(1780年)に上梓された同書は、それまでの案内記とは趣を一変させ、ビジュアル重視の体裁となっている。見開きの図版をふんだんに盛り込むなど、視覚に訴える点で案内記=ガイドブックの地平を大きく開いただけでなく、項目ごとの解説でも、先行案内記の引用や孫引きといったものではなく、籬島自らが収集した情報を記しているようである。

虎石についていえば、浅井了意の記述を踏襲するもの(京羽二重や京町鑑など)であれば柳馬場押小路の虎石町にまつわるネタとして紹介される。それに対して『都名所図会』では大谷(東大谷)の項で触れているのである。『都名所図会』は、日文研が作成・公開する「平安京都名所図会データベース」に収録されているので、そこから引用しておく。
大谷は双林寺に隣りて、艮にあり、東本願寺の祖廟なり。阿弥陀堂の本尊は安阿弥の作、親鸞聖人の廟塔は後の山腹にして、墳上に虎石あり、石の形虎に似たれば名とす。此石はじめは開山聖人往生の地、柳馬場押小路虎石町に有、秀吉公の御時伏見城中に移し給へり、其後かの地より又こゝにうつす。聖人の御墓ははじめ東本願寺の境内七条の北にあり〔世の人旧地を御墓町と呼ぶ〕。夫より此地に遷して元禄年中に造営あり、廟前の荘厳に微妙見えたり〔大谷の名義は初めに載るごとく、花頂山の旧号をもつて名づくるなり〕。此地にも桜多くして弥生の頃は貴賎群をなせり。
「都名所図会」
(日文研「平安京都名所図会データベース」より)
浅井了意『京雀』以来の、虎石町がらみでの記述は、続編である『拾遺都名所図会』の方に「法泉寺」という項目を立てて記されるが、ここでも浅井了意の記述をそのまま載せるのではなく、新しい情報が加わっている。
法泉寺〔万里小路押小路の南、虎石町東側にあり、東本願寺に属す。本尊阿弥陀仏は慈覚大師の作、立像三尺許。原は天台宗、封境方一町にして善法院角之坊と号し、親鸞聖人の舎弟深有僧都の住職し給ふ所なり。舎兄聖人関東より上洛の後、時々此寺に来つて大乗易行の法流を弘め給ふ、満齢九十歳の時遷化し給ふも此地なり。故に聖人旧跡の一員とす、聖人滅後今宗となる〕
〔本願寺伝記に曰、禅房は長安馮翊の辺、押小路の南万里小路の東と云云〕
法泉井〔当寺の庭中にあり。往昔親鸞聖人止住の時、此井を掘らしむるに水底に石あり、これを引揚るに形虎の臥に似たり。故に聖人銘して虎石となづく。今東大谷祖廟の上にあり、前編に委し。町号此石より起り、寺号此井より起る〕
「拾遺都名所図会」(同上)
ことの真偽については確認がとれないが、浅井了意『京雀』と秋里籬島『都名所図会』『拾遺都名所図会』の説明を総合すると、だいたい次のような具合になろうか。

虎石は、親鸞上人遷化の地である善法院角之坊(後に法泉寺と改められる)にあった庭石である。もとは、同所で井戸を作ったときに地中より掘り出されたもので、虎の伏した姿に似ていたところから「虎石」と名付けられ、角之坊の南庭に据え置かれた。親鸞遷化の後は長らく角之坊に置かれたままだったが、秀吉によって聚楽第さらには伏見城へと運ばれた。その後、一時期、狼谷の日蓮宗寺院(深草大亀谷の宝塔寺か)に置かれていたが、東大谷の祖廟が整備されるに併せて親鸞御廟の上に置かれた。

さて、どうだろうか。『都名所図会』の記述を厳密に信じるとすれば、虎石は伏見城から他へは移されずに東大谷へもたらされたことになる。東本願寺のサイトには、東大谷は、寛文十年(1670年)に造営され、元禄期に「御廟の改装、守堂の建立」がなされたとあるので、『都名所図会』のいう「元禄年中に造営あり」が指すのは、元禄期の工事のことだろう。一方、伏見城は関ヶ原の前夜に一度落城してはいるものの、その後、再整備されて寛永年間(1624~44)あたりまでは使われていた。しかし、それを踏まえて伏見城中にあった期間を長く見積もっても元禄までには届かない。そうすると、やはり一時期は所在不明とせざるを得ないので、狼谷か大亀谷かのどこかに移されていたのかも知れない。

また黒川道祐『雍州府志』が記すように、この親鸞ゆかりのものとはまったく別の虎石が存在していたことはすでに見た通りである。そうすると、狼谷の虎石は親鸞旧跡→聚楽第→伏見城と移ったものとは別の虎石であるとの可能性も否定できない。つまり、親鸞ゆかりの名石に与えられた固有名ではなく、普通名詞として「虎石」なるものがあったという理解も成り立つのではないかということである。そうした方向に傾くと、興味深いものが、奧能登の輪島にみられるという「虎石墓」なるものである。

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『都名所図会』の「東大谷」。親鸞祖廟に上に虎石らしきものが……。


(1)江戸時代前期の案内記 / (2)宝暦の『京町鑑』 / (3)『都名所図会』より / (4)虎石と墓石 / (5)虎石と虎刈り /
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by office34 | 2012-10-25 20:53 | 京都本・京都ガイド