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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2013年 05月 24日
身を知る雨(2)
前回の記事では「身を知る雨」というフレーズを取り上げてみた。ややくだけた感じでやっておいたのだが、フレーズの出所となる「数々に」の歌は厳密には解釈が難しそうだ。「数々に」といった語句レベルの解釈から一筋縄ではいかないが、何よりも一番の問題は「問ひがたみ」の部分だろう。形容詞の語幹+「み」の、いわゆる「ミ語法」が用いられているところまではいいのだが、この語法によって順接の条件句が示されていると考えた場合、その帰結はどうなるのだろうか。「尋ねるのが難しい」からどうだというのか、ということである。

和歌の文言に従うなら、下の句「身をしる雨はふりぞまされる」が来るところなのだが、これが条件に対する直接的な帰結でないのは文脈的に明らかである。それではどう考えるか。和歌が限られた字数に思いを託す表現形式であるとすれば、そして文脈に単純な論理性が見て取れないとすれば、言外に省略された何かを想像せねばならない。

もっともシンプルに処理すれば、(1)「あなたに尋ねることが難しいから」→「尋ねません」といったところ。少し掘り下げるとすれば、(2)「あなたに尋ねることが難しいから」→「尋ねないで私ひとりで考えてみます」というのもアリだろう。さらにストーリーを反映させるとすれば、(3)「あなたに尋ねることが難しいから」→「私ひとりで悲しみに暮れています」といったあたりまでは許容範囲に入る。言葉の上っ面だけを嘗めるのなら(1)で留まるが、言外の思いを汲み取れば(3)のあたりまで想像も広がってくる。要は、上の句をどこまで具体化させるかによって、全体の解釈も変わってくるということである。そして、そうした幅を承けての下の句なのである。

「身を知る雨は降りぞまされる」を、文字通り「雨」が降っているとだけ解釈するのか、雨に見立てた「涙」に暮れているとするのか、あるいはいっそう複雑に「心象風景としての雨」をいうものなのか等々、さまざまな解釈が生まれてくる。前回の記事では出典として『伊勢物語』を紹介しておいたが、この和歌自体は『伊勢物語』にも出てくれば、『古今和歌集』にも収録されている。そして、この二つが話題にあがる時にはそれぞれの前後関係が問われるのがお約束というものである。とはいえ決定的な前後関係が論証できるものでないのは言うまでもない。この二つは、互いに影響を与えながら形が整えられていったとするのが通説だろう。しかしこのエピソードに限定すれば、『古今和歌集』の詞書きよりは『伊勢物語』の方がストーリー的にまとまっている感が強い。しかも、かなりコミカルに読むことができるように潤色されている。

前回、この歌に対して
私のことをいろいろ考えてくれているみたいですね、でもお気持ちをダイレクトにお尋ねするのは怖いような気もします。だって私への愛情がどのくらいかを教えてくれるのがこの空模様というのなら、雨脚はだんだん強くなってきているみたいですから。
という解釈を出しておいたが、これはあくまでも『伊勢物語』に即してのものである。歌を受け取った敏行朝臣が慌てふためて濡れ鼠になってやってきたというオチに結びつけるためには、女の歌(業平が代作)にはそれぐらいの強さがあってしかるべきとの解釈である。

それに対して、濡れ鼠のオチがないとすればどうだろう。女の側の悲しみの表現というだけだとすれば風合いもかなり変わってくる。
お気持ちを尋ねるのは難しいようですから、私だけが一人で涙に暮れています。外の雨はますます激しくなっているようですが、心の中の雨も同じように強くなっています。
といった具合での、雨を心象風景に捉えることもできるはずである。また端的に「身を知る雨」=「涙」とするのも、これと同じ方向のものだろう。

『伊勢物語』のフレーズとして読むか、『古今和歌集』所収歌として読むかで変わってくるだけでも面倒なのだが、それに加えてさらに話をやっかいにしているのが、時代がくだって「身を知る雨」のフレーズがどういったニュアンスで理解されるようになったかという問題が加わってくる点である。そこに登場するのが『源氏物語』は宇治十帖、浮舟の物語である。

身を知る雨(1)/身を知る雨(2)/身を知る雨(3)/身を知る雨(4)/身を知る雨(5)/身を知る雨(6)


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by office34 | 2013-05-24 02:51