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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2014年 01月 16日
戊宸行進曲 ~山国隊(3)
時代祭の鼓笛隊すなわち朱雀学区の維新勤皇隊を取り上げて「山国隊を模した」と書いたが(参考までに)、正確ではなかったようだ。山国隊の存在を知らない場合はともかくとして、時代祭の風俗行列について調べたことがある人なら山国隊から朱雀学区の維新勤皇隊へという流れがあることはわかっているはずである。京都検定の公式テキストを標榜する本*の記述を見れば「山国隊は現在の京北町からの奉仕であったが、明治三十五年から五年に一回の奉仕となり、大正十年から現在の朱雀学区が山国隊を継いで『維新勤皇隊列』に加わるとともに第八社となった」とある。仲村研氏の『山国隊』でも、冒頭で「毎年十月二十二日、秋の日ざしをあびて、京都の都大路をねりあるくのは時代祭の行列である……必ずその先頭を切るのは、例の『錦の御旗』をいただいた山国隊である」と書き出しておき、復活版の山国隊が時代祭への参加を辞退するに至る流れのところで「けっきょくのところ、京都市内に新山国隊を結成し、代役をだすことで解決した」と記す。
(*)初版第四刷、『京都・観光文化検定試験公式ガイドブック』(森谷剋久氏監修・京都商工会議所編,淡交社,2004年)は第一回検定が実施された時に刊行されたものだが、内容の間違いや誤植が数多く指摘された。この時代祭の記述については訂正情報は出ていない。

こうした説明を見れば、旧山国村から出張していた復活版・山国隊をコピーするように、装束や軍楽を継承したと思ってしまうのは当然かも知れない。しかし、厳密にはそのままのコピーが行われていたとは言えないようなのである。装束についてはかなり忠実に再現されているのかも知れないが、少なくとも軍楽については整理しておかねばならない。

京都府立資料館に『山国隊軍楽の謎と維新勤皇隊軍楽に連なる音楽』(仁井田邦夫氏著・刊、1986年)と題された小冊子が保存されている。それに昭和二年頃に「元京都女子音楽学校長 奥村静」**という方が勤皇隊理事に宛てて書いた手紙が掲載されている。
近歳は山国隊の曲を模楜せし曲を行進に使用然る時は山国隊の支部と名誉ある勤王隊を下落せしめてあるは如何なる事情あるは○(1)維新勤皇隊として貴学区(2)名誉と洪誉り(3)とする作曲がありながら山国隊を模写せしか預って(4)要領を得(5)是には(6)種々苦心あるは貴学区の名誉となるべき御話も多く有るは御尽考として申上侯……
(1)不明,(2)は,(3)不明,(4)預て,(5)不明,(6)是れに
手紙の原版に加えて、その翻刻と現代語訳も載っているのだがいくぶん不審な箇所がないでもない。上記引用は手紙の主題に触れる部分の翻刻で下線部が翻刻の疑問箇所。そして、このくだりの解釈は「近頃山国隊の曲を真似て行進をしているが山国隊支部と名誉ある勤皇隊をバカにしているのは何故か。維新勤皇隊として朱雀学区には、ほこりと名誉ある曲がありながら、山国隊の真似をしている事についてなっとくがいかないとのことを聞いている。色々と苦心があると思いますが、貴朱雀学区にも名誉となるべき多くの話しも聞いております……」となっている。しかし、この解釈では奥村氏のところに不評のいくつかが届いており、それも含めて相談したい旨に読めるのだが、どうだろう。当方が考える限りでは、「近歳は~行進に使用」することが山国隊支部と勤皇隊をおとしめることになるようだが、貴学区ではどう思っているのか、という形で奥村氏ご自身の疑問がぶつけられているように思う。

手紙の前提として、この奥村氏が勤皇隊が組織されるにあたって、当時の市長代理安川助役より作曲の依頼を受けたという事実ある。それを踏まえれば、その曲が実際に演奏されていないことに対するクレームと読めばいいのではないだろうか。もっとも、この手紙を紹介するのは「山国隊より受け継いだ頃は、全て山国隊軍楽の真似をしていたようで大変悪い批判を受けている。次に挙げる、昭和2年頃に差し出したと思われる奥村静女氏 (ママ)からの手紙で、その当時の事がよくわかる」という文脈なので、山国隊以来そのままの楽曲が使われていることに対する不評が出ていたことを示す資料と解釈すれば、大きな問題にはならない。
(**)「京都女子音楽学校」および「奥村静」については未調査。上掲冊子では女性として紹介されているが、ここでは詳細不明としておく。

これを今回のテーマに引きつければ、現在の維新勤皇隊が演奏している楽曲は山国隊のものとは別の楽曲である、ということになる。そして、その曲というのは、この冊子に譜面も掲載されている「戊宸行進曲」というものらしい。現在の維新勤皇隊の演奏は「宮さん宮さん」であるとの記述も見かけることもあるが、トコトンヤレ節に品川弥二郎が詞を付けたとする「宮さん宮さん」とはかなり雰囲気が違っていて、そのアレンジでもない。奥村静作曲「戊宸行進曲」という、まったく別の楽曲のようなのである。

なお山国隊の中でトコトンヤレ節が歌われたこともあったようだが、それを演奏しながら凱旋をしたことは資料的な裏付けはなさそうだ。山国隊凱旋にあたっては、入洛時にも山国村に帰郷する際にも軍楽を伴っていたことは、藤野斎の『征東日記』からも確認できるにしても、曲の中身まで確定できるわけではない。ちなみに時代祭に山国隊が参加した頃に演奏していた楽曲というのであれば、山国隊軍楽保存会というところが継承するものがある。京北町の秋祭りとして行われている「山国さきがけフェスタ」で演奏されているのがそれかと思うのだが、当方はその演奏は聞いたことがない(これだろうか)


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by office34 | 2014-01-16 20:50 | 京都本・京都ガイド