Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2014年 01月 22日
山国隊スタイル ~山国隊(5)
“祭りの花形”というと、どういう存在を思い浮かべるだろうか。岸和田のだんじりで、あのだんじりの上で飛び跳ねるように音頭を取っている人は、まさに「花形」というに値する。しかし、同じように屋根の上に乗っていても祇園祭の屋根方は「花形」ではなさそうだ。曳手であったり音頭取の方がずっと注目されやすい。そもそも「花形とは?」と問いかけられるとすれば、目立っているかどうかというあたりが大切になってくるからである。さらにいえば、イベント全体の中での意義というか、位置づけみたいなものが、たとえ脇役であったとしても、目立っていさえすれば「花形」であるかのように思われてしまう場合もある。

たらたらと回りくどいことをいうのは止めて単刀直入に行こう。京都の時代祭についての話である。時代祭の花形といえばなんだろう。神事としての性格を重んじるのなら、神幸列の御鳳輦でなければならない。しかし、それに注目している観光客は、はっきり言って皆無である。ほとんどの人は先導する仮装行列に目を奪われる。そうして一番目立っている、もっとも注目されているという基準からいえば、先頭を進む「維新勤皇隊列」を挙げておけばいいだろう。中には江戸時代や中世の女性列、あるいはものものしい出で立ちの武者行列やコミカルな徳川城使列のパフォーマンスに注目している人もいるだろうが、多数決で決めるとすれば、勤皇隊列の方に軍配が挙がる。

そうすると、維新勤皇隊列は時代祭のシンボルであるとも言えるのだが、かの衣装については少々ツッコミがあってもいいだろう。というのは、時代祭の解説をするにあたって、黒の羽織と紺の袴が維新軍の標準であり、それを再現している云々といったルーズな説明も出回っているからである。勤皇隊列の目立ち方を思えば、勢い余ってそう言ってしまいたくなく気持ちは分からなくはない。しかし、もちろんのことながら間違いである。かの装束は、維新軍、正確には新政府軍または東征軍というべきだが、その軍に付き従った農兵隊の「山国隊」に由来している。そもそも新政府軍といっても、慶応四年(明治元年)の時点では新政府には正規軍はなく、薩長を中心とした諸藩の軍隊の寄せ集めである。実質的な行動は各藩ごとに指揮系統があり、兵の出で立ちは洋式の軍服が主流になっていたはずである。羽織・袴に胴巻きなどの武具をつけるのは、軍制改革ができていない旧式部隊のものであり、新政府軍というよりは、むしろ旧幕府勢力に多く見られたはずだ。

さて、こうした話を前提にして、前回の最後に触れておいた藤野斎『征東日誌』の記述である。
同夜自京師、胴腹三才羽織等到着ス。一隊へ分付ス。シヤモノ仕立方甚粗、且不恰好也。一同大不満心ナルモ、不能止シテ着服ス。
山国隊の人々は士農工商の身分制度に当てはめれば農民なのだが、時代劇で固定的なイメージのもとに描かれがちな貧困層ではない。農村や山村に隠然とした支配力をもっていた名主階級、つまり富裕層である。出征の費用も自前でまかなうことができるぐらいの階級だったから山国隊という部隊も実現させ得たわけである。とはいえ、戦闘のプロでない以上、軍装は寄せ集め品が多かったらしい。因幡藩の指揮下に入ることで旧式銃が貸し与えられているが、上記の引用にあわせて注目したいのが隊の装束である。二月二十二日、藤野のもとに届けられたのは、隊の制服となるはずの注文品だろう。「『胴腹』『三才羽織』等」とあるうちの「胴腹」とは胴丸と腹巻つまり武具のことで「三才羽織」は三斎羽織か。「シヤモの仕立方」云々とある「シヤモ」は股引のような袴の一種らしい(参考)。これらを纏った姿は、洋式軍服と並べるとかなり時代がかったものに見える。日誌に続けて記されている「且つ不恰好なり。一同、大いに不満心なるも、やむを能わずして着服す」というのも、「こんな関ヶ原みたいな格好するのか?」とかいう類いの不満だったのではないか。

仲村研氏は、このくだりを「その晩、京都から胴腹、三才羽織などがとどき、隊員に配布されたが、仕立がわるく不恰好で、全員ぶつぶつ不平をこぼしながら着用した」とまとめ、その上で藤野が京都へ送った手紙を紹介している。そこには
(さりながら)(あつら)へ通リトハ一向粗末ナル仕立様ト申、約束トハ大ニ違ヒ、三才ノ袖ノ行短ク、夫々(それぞれ)一向不揃(ふぞろい)ニテ困リ入申候……
とある。仕立て方が雑だ云々だけでなく「それぞれ一向不揃い」だのといった文句も並べられており、考えていたものとの隔たりが途方もなく大きかったことが窺われる。想像するに、制服になるはずのこれら衣類は新しく仕立てられたというよりは、形の似たものを適当にかき集めてきた?みたいな感じだったのではないか。山国隊にはのちに「(さきがけ)」の文字をあしらった熊毛の陣笠が支給されている。これが山国隊のシンボルになると同時に、隊士はその陣笠を意気に感じていたらしい。しかし三斎羽織に股引のような袴を穿き、頭に熊毛の陣笠を乗せた姿は、見る者には滑稽にも映ったようだ。『征東日誌』の慶応四年四月十七日条には、
一隊彼黒毛陣笠ヲ着シ意気鷹揚然トシテ進軍。人見テ、ガワタロウ隊ト云リ
との記述がみえる。「ガワタロウ」とは河太郎、すなわち河童のことである。カッパ隊だと笑われたと記しているのである。

この山国隊スタイルがどの時点で義経袴に変わったのかは分からない。仲村研氏の『山国隊』には、日露戦争後まもなくの頃という集合写真が掲載されている。それをみればすでに裾の広い義経袴である。実戦面での都合を考えるとシャモの方が動きやすいように思えるので、あるいは時代祭参加にあたって見映えのする姿に改めたのかも知れない。仮に三斎羽織と義経袴の組み合わせが時代祭に合わせて用意されたものであるとすれば、その姿は歴史上のいずれかの時点を再現していることにはならない。さらにいえば、現在の時代祭に登場する維新勤皇隊列は、三斎羽織と義経袴だが、山国隊のシンボルだった熊毛の陣笠は被っていない。山国隊の奏楽を改めて戊宸行進曲を作ったのと同じように、忠実に山国隊を写すのではなく、新規に維新勤皇隊列なるものを編成するという意識が働いたのだろうか。もしもそうだとすれば、維新勤皇隊列は、三斎羽織と義経袴の山国隊に輪を掛けて歴史ばなれをした架空のものということになってしまうわけだが、そこまでいうのは言葉が過ぎるだろうか。
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by office34 | 2014-01-22 21:34 | 京都本・京都ガイド