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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2006年 09月 04日
天災は忘れたころに
天災は忘れたころに_a0029238_361535.jpg 九月一日は防災の日ということで、その日や近くの土日にいろいろ防災イベントが行われている。この日付は、かの関東大震災の日ということなのだが、のど元過ぎればなんとやらとの箴言があるように、自然災害の怖さなるものは、直接体験を持たないものは言うに及ばず、直接体験のある人の場合でも時間の経過とともに薄れがちになる。関西にいると、歴史年表の遥か遠くに記されている関東大震災よりは、やはり阪神淡路大震災のほうがイメージしやすいのだが、幸いなことにいうべきか、小生は当事者感覚を持つには至っていない。テレビ画面が伝える三宮の惨状に驚いた記憶はあるのだが、ニュースで知るまでは、あれほどの被害を出した地震だったとは気づきもしなかったのである。

 さて、こういう話を始めたのは、防災の日の九月一日に、とある古道具屋に立ち寄って無目的に物色していると、とある新聞記事の切り抜きの束を発見してしまったからである。スクラップは写真を中心に切り抜かれたもので、未整理のまま放置されたものなのだが、写っていたのは水没寸前の渡月橋や三条大橋であったり、奔流に押し流された上賀茂橋や五条大橋であったり、腰近くまで水に浸かった中を人々が歩く四条河原町の様子であったりと・・・水害記事を中心に集めたものであった(写真クリックで拡大)。

 スクラップの束は年次が確認できるものとできないものがあり、すぐに判る範囲では昭和三十四年八月十四日夕刊と昭和三十五年五月二十四日夕刊、それに年次はわからないが裏面の記事などから日付が判るものでは六月二十九日夕刊がある。そして手がかりなしの数枚。昭和三十五年五月二十四日のものは京都関連の写真はなく、北海道や三陸を中心としたものである。これは一面の記事も確認できるし、日付からもチリ沖地震による大津波のものであることがわかる。昭和三十四年八月十四日夕刊と某年六月二十九日のものは京都の写真であり、前日から降り続いた集中豪雨による被害を伝えるもののようだ。

 これら災害の詳細は資料館etcで確認はできるに違いない。しかし、事実関係を知るということに留まらない衝撃を当方に与えてくれた。未整理状態で放置された写真という形で目に飛び込んできただけに、その度合いには著しいものがあったのである。「関東大震災の記録」とか「阪神大震災の記録」とかの形でまとめられた資料であれば、見るにあたっての心構えもできるのであろうが、あまりにもいきなりであり、それだけに生々しく、自ずと瞠目してしまったというわけである。

 これが折しも防災の日であったというのは天の啓示だったのか、はたまた日頃をのほほんと過ごしている小生に対するちょっとした戒めだったのか、そのあたりは、後日改めて考えることにしよう。


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by office34 | 2006-09-04 03:15 | 橋のはなし