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Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2008年 08月 22日
仁丹版@左京区
 行政区分の表記が「左京區」となっている仁丹版町名板の六連発である(写真クリックで拡大)。
仁丹版@左京区_a0029238_17302635.jpg

仁丹版@左京区_a0029238_173189.jpg

仁丹版@左京区_a0029238_17311794.jpg

 まずは一枚ずつ、目撃地点の説明をしておこう。
「一乗寺地蔵本町」
高野の交差点から少し北上したところ、東大路通沿いの左手(西側)にある廃屋?の壁にて目撃。同じ場所に貼られているフジイダイマル版は「赤ノ宮町」となっている。現在の境界線に照らし合わせるとフジイダイマル版の方が正しく、地蔵本町は東大路通の東側になる。しかし、仁丹版の町名板が貼られた当時は東大路通がこの界隈まで伸びていなかったはずだから、赤ノ宮町と地蔵本町の境界線が現在と同じだったとは限らない。
「山端森本町」
大原街道を北上して川端通と合流する手前の、右手(東側)にある建物の二階部分にて目撃。
「山端川岸町」
大原街道が川端通と合流した直後、川端通の左手(西側)にある、山端平八の北側の建物の二階部分にて目撃。
「上高野鐘突町」
花園橋から八瀬方面に向かう途中、国道367号線から分かれて南側の路地に入る。叡電三宅八幡駅から見て上り側(出町方面)の踏切を越えて少しのところ、左手建物の二階部分にて目撃。
「松ヶ崎中町」
松ヶ崎橋から北山通の一筋北側の路地に入る。松ヶ崎小学校に向かう曲がり角をやり過ごしてしばらくのところ、右手(北側)の建物二階部分にて目撃。
「松ヶ崎平田町」
宝ヶ池スポーツ広場の東側に隣接する建物の二階部分にて目撃。

 以前、難波町(夷川通川端のあたり)の界隈で「左京区」となっている仁丹版町名板を見たことがあったが、聞くところによれば、あれは区名を書き換えているものだったらしい。その時に撮していた写真を確認すると、表記は「左京區」でも、確かに上書きの痕跡が確認できる。同様に「中京區」となっている仁丹版が堺町竹屋町にあるが、これも書き換え版である。堺町竹屋町の仁丹版については、その書き換え方が巧妙だったので、当初は気付かず、仁丹版に「中京區」があったのかと驚かされたのだが、あっけないオチが待っていた。

 これらに対して、今回、取り上げた六枚は、この盆明けに所在の確認ができた、正真正銘の左京區バージョンである。これらは、左京区の成立から拡張の過程を重ねると、どの時点で設置されたものかが想像できる点でも興味深い。たとえば「松ヶ崎中町」。左京区の成立は昭和四年でも、松ヶ崎村が編入されるのは昭和六年のこと。ということは「左京區松ヶ崎中町」という表記は昭和六年以降でなければ通用しないので、この町名板は昭和六年以降のものと推測できるわけである。

 左京区の沿革は、同区のホームページで確認する範囲では、
(大正七年)愛宕郡白川村,田中村,下鴨村が上京区に編入
(昭和四年)これらの地域を中心として上京区から分区
(昭和六年)修学院村,松ヶ崎村を編入
(昭和二十四年)岩倉村,八瀬村,大原村,静市野村,鞍馬村,花脊村,久多村を編入
となっている。修学院より南側の一乗寺界隈は昭和四年の時点で左京区となっていたと考えられるが、山端は昭和六年の時点だろう。そして上高野となると、岩倉や八瀬の近くだから昭和二十四年を待つことになるのではないだろうか。このあたりは、正確に調べ直す必要もあるが、「左京區上高野鐘突町」の仁丹版などは、いつ頃設置されたのか考えさせられる部分が残る。

 ところで『京都・もう一つの町名史』(水谷憲司氏、永田書房、平成七年)という本がある。この巻末には筆者の水谷氏が確認した町名板の一覧が載せられていて、その中には(左京區)「松ヶ崎壹町田町」というものも挙がっている。この「壹町田町」というのは、現在の町名でいえば、「山端壱町田町」となるはずだから、その現物が確認できると、話がいろいろな方向に広がりそうなので、期待して探してみた。しかし、結果は発見には至らなかった。本の刊行からすでに十数年の歳月が経っており、筆者が調査をしたのは、さらに数年さかのぼるのだから、十五年から二十年ほどが経過していてもおかしくはない。そうしたことを思うと、(左京區)「松ヶ崎壹町田町」の仁丹版は、すでに消滅してしまった一枚であったとしても致し方ないのだが、つくづく残念である。

 なお今回、修学院や山端のあたりを徘徊して修学院の仁丹版も発見できなかったのだが、ネットに上がっている情報によると、「修学院川尻町」というのが残っているらしい。これは2006年付けで記された記事なので、当方の見落としである可能性が高い。


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by office34 | 2008-08-22 18:34 | 町名看板