Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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カテゴリ:伝説を旅する(モニター)( 12 )


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2005年 04月 18日
週刊 日本の伝説を旅する(武蔵野)
 関西圏の話であれば、旧国名と現在の土地名との対応はおおよそできるつもりでいる。「大阪府」といっても旧国名でいえば摂津・河内・和泉になり、摂津の一部は兵庫県に及んでその範囲は神戸から須磨周辺までで、そこから西のほうは播磨、北の方は但馬・・・といった感じの話である。ところが話が関東のほうに飛んでしまうと、土地鑑が少ないぶん、かなり戸惑ってしまう。

 『日本の伝説を旅する』の話なのだが、第10号で扱われているのは「武蔵野」である。武蔵野というからには東京と埼玉のあたりだろうと思っていたが、ふと思い出したのは、以前に「江戸」という括りであったということ。それじゃ江戸≒23区ということにしておいて、今回は23区外から西は埼玉まで含むといったエリアなのだろうと思ってみたが、メイン記事には世田谷と中野が入っている。こうなってくると右と左、北と南といったレベルまでも混乱してくる。そもそも中野って23区だったっけとか、よく聞く地名だけど下北沢や吉祥寺ってどの辺だっけとか、それ以前に東京都と埼玉県の位置関係って東西?・・・「武蔵野」という言葉を突きつけられただけで、ほとんどなにも理解していないことを思い知らされてしまった。

 と、こちらの不勉強な話はさておき、『日本の伝説を旅する』シリーズに話を戻しておこう。今回は「武蔵野」という地名に因んで話を始めたのだが、最初の号からずっと通して引っかかっていたことの一つに号名(サブタイトル)の付け方がある。今回の10号は「武蔵」ではなく「武蔵野」である。京都や北海道を1と2に分けたパターンもあったから、それに合わせて武蔵1と武蔵2になるべきところなのだが、実際には「江戸・伊豆七島」と「武蔵野」という分け方になっている。伊豆七島についてはここで改めて触れるつもりはないが、江戸/武蔵野という立て方では、都市名とエリア名が並んでいることになって違和感がある。

 そこで10号までの号名を振り返ると、一言でいって無秩序としか言えない。「加賀・越前」や「河内・摂津」といった旧国名を用いているものもあれば、「那須・福島」「岐阜・大津」といったものもある。要するに旧国名/エリア名/現行の行政区分名/都市名といった、カテゴリー的にバラバラな地名群の中からランダムに選んでいるとしか言いようがないのである。「伝説」なるものの雰囲気を表に出すために旧国名を使うのであれば、全巻通して旧国名に統一するべきだろうし、エリア名を表紙のどこかに出したいという意図があったのなら、号名ではなくてデザイン上の別な工夫をとったほうがよかったと思う。現状ではただ印象度の強い言葉、何となく目立ちそうな言葉を並べているだけであり、その結果、無秩序といった印象のほうが先に感じ取られてならない。

 伝説の選び方や紹介のスタイルについて無秩序感があることは以前にも触れた。それに加えて今回、号名についても同じことを言わねばならないとなると、結局はシリーズ全体を通してのコンセプトが希薄なのではないかと疑わざるを得ない。悪い言い方をすれば、とりあえず伝説をネタにしたビジュアル刊行物にしておけばいいだろうといった程度の大雑把さが透けて見えるということである。

 今回取りあげられている伝説の中身についても触れてみよう。メイン記事で紹介されているのは「深大寺縁起」「鷺草哀話」「中野長者」の三本。このうち「深大寺縁起」「中野長者」の二本が中島惠子の文章になっている。この二本については、単にストーリーを紹介しているのではなくて、二三の周辺事情を加味して膨らませているので面白く読むことが出来た。たとえば中野長者の話では、淀橋にまつわる伝説から大正二年にあったというイベントの話なども紹介されており、伝説と地域の関わりが立体的に見えてきて、今までにないおもしろさもあった。

 ちなみに文章には「この橋が、現在、西新宿と中野の境にある淀橋である」とあるが、西新宿+淀橋とくればヨドバシカメラとの関わりも想像してしまう。西新宿に淀橋という地域名もあるので全く関係ないのかも知れないが、中野長者ゆかりの淀橋とヨドバシカメラに関係でもあったりすればかなり面白い。というのも、ブライダル関連ほか新生活用の電化品もたくさん揃えているヨドバシは、実は!とかいっか感じで、ちょっとした皮肉にもなって小ネタとして使えるというわけである。

 話を戻そう。今回の10号でモニター期間が終わったことになる。全30巻のうちの10巻を無料で送るのでブログに評価記事を書いてほしいというのがそもそもの出発点だった。最初は暗にPRを依頼されているのかとも思ったが、そういうつもりはないとの確認も取れたので好き勝手に書かせてもらった。とはいえ、タダで本を貰っているのだからもう少しは好意的に書くのが、いわうる<言わずもがな>の話だったのかもしれない。実態無視のPRはハナっからするつもりはなかったのだが、気になる点には目をつぶって、いい点だけを大きく紹介すればよかったのかも知れないということである。もっとも"いい点"が少なかったというのも正直な感想だが、それにしても積極的には褒められなかったところには心苦しいものがある。もちろん11号以降に面白い内容のものが出てくることもないとは言えないのだが、ブログ上での紹介は今回で終了にしたい。
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by office34 | 2005-04-18 21:08 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 04月 13日
週刊 日本の伝説を旅する(河内・摂津)
 タイトルは「河内・摂津」となっているが、河内・摂津・和泉、すなわち大阪の伝説であるのは言うまでもない。大阪エリアを舞台とする伝説での有名どころとなると、古代には難波宮の仁徳天皇や四天王寺の聖徳太子がいるし、住吉大社は平安貴族の間でも信仰の篤い社だった。あるいは戦前の日本における国民的英雄・楠木正成と正行親子の物語が展開されるのも大阪エリアだし、自由都市・堺の盛衰は一つのドラマにもなる。それらに加えて豊臣秀吉の時代や江戸時代の話になると、もうネタには事欠かない。

 そうした中で今回取りあげられているのは、「鉢かづき姫」「大坂城落城物語」「くらわんか船」の三本。このうち「鉢かづき姫」は御伽草子の世界で形を整えていったものだが、今回紹介されている文章も御伽草子の本文に依っているようだ。「大坂城~」については出どころはよく分からないが、戦国時代ネタであれば機械的に湯浅常山あたりかな?と思ってしまう。「くらわんか船」については、文章の中で『東海道中膝栗毛』の中で取りあげられている話として紹介されている。

 まあ、話の出どころはどうでもいいのだが、種本が豊富すぎるエリアからわずか三本しかピックアップできないのだから、どれを選んでも不十分とならざるを得ない。今回の組み合わせでいえば、中世から近世にかけてほどよくバランスが取れている。古代が手薄だとかのツッコミもできてしまうのだが、住吉大社縁起のあたりを厚くすると、今度は商都大阪の息吹が感じられないとかいった具合に、コチラを立てればアチラ立たず、アチラを立てればコチラが何とやら・・・そんな堂々巡りになるのは明々白々である。まあ伝説マップと併せて、さまざまな話を薄く広く紹介するというコンセプトから言えば、可もなく不可もなく、それが実現できている号なのではないかと思う。

 褒めているのか、貶しているのか、よく判らない書き方になってしまったが、より積極的褒めるとすれば、今回は目次ページの背景に当てられている四天王寺万灯供養の写真には響いてくるものがあった。この企画では、伝説の選定や文章そのものとは比較にならないくらい写真に配慮が行き届いているように思っているのだが、今回の四天王寺の写真は既刊号すべての中でも記憶に残る一枚である。小さくてもいいから撮影者の名前がどこかに入っていたら、なおベターというところなのだが、編集方針なのかもしれない。あくまでも個人的な好き嫌いの範囲ではあるが、詰まらない署名記事よりはよほど有意義だとは思うのだが、果たして如何なものだろう。


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by office34 | 2005-04-13 01:46 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 04月 03日
週刊 日本の伝説を旅する(加賀・越前)
 一口に伝説と言っても、いろいろな種類があるわけだが、オカルト系、怪談系が面白い。ということで、『日本の伝説を旅する』第八号では、「早百合ぶらり火」に着目する。
 「ぶらり火」というのは人魂のことであり、雨のそぼ降る夜に明滅しながら、上下左右にぶらぶらする様子から、そう呼ばれる。今回紹介されている話は、佐々成政の愛妾早百合が非業の死を遂げた後、その怨霊が成政を滅亡に追いやるといったストーリーで、四谷怪談パターンというか、尽きせぬ怨恨がその相手一人に執念深く付きまとうというものになっている。

 ところが標題にもなっている「ぶらり火」の話は、やや色合いが違っており、早百合が処刑された河原には夜な夜な人魂が飛び交うようになったとか、女の生首をもった鬼が出没したとかの形で語られることが多い。佐々成政個人を離れ、いわゆる地縛霊パターンになっているのである。このあたりはタイトルと中身がズレているような感も与えるのだが、巨視的な見方をすれば、早百合以上に、佐々成政その人こそが伝説の主人公としての資格を持っていることの証にもなる。

 今回の記事、「早百合ぶらり火」の筆者は藤本義一である。記事のアウトラインは佐々成政を破滅に導く早百合の怨霊の話になっているのだから、テーマから逸脱しているとは言えない。しかし記事全体のトーンは、早百合のほうが狂言回しで、佐々成政が主役の仕上がりになっている。タイトルが最初に与えられて、それに従って書いた文章なのかどうかは分からないが、早百合の怨霊をテーマに書くべきところが、”佐々成政外伝”のような記事になってしまったとすれば、佐々成政の持つ磁場がよほど強いということなのだろう。

 伝説の主人公は、まずは悲劇的でなければならない、とはよく言われる話である。その点、佐々成政は要件は十二分に満たしている。数年前の大河ドラマ『利家とまつ』では、前田利家とともに、馬鹿馬鹿しさを通り越して滑稽なほどヒーロー仕立てにされていたが、伝説の中の佐々成政はああいうものではない。今回の記事の中にも触れられているのだが、直情径行にして粗暴かつ誇大妄想癖云々と、なかなか救いがたい性格の人物だったようだ。そういう性格の人物が安穏とした老後を送れるはずはなく、破滅的生涯を突き進んだ・・・というか、破滅的生涯を突き進んだ人物だからこそ、その性格は直情径行にして粗暴かつ誇大妄想癖云々と語られるものなのかも知れない。いずれにせよ、早百合ぶらり火の話も、実際のところは佐々成政伝説の一ページに過ぎないのである。

 『日本の伝説を旅する』シリーズでは、巻末に井沢元彦のエッセイ「伝説の住人」が添えられているのだが、今回は佐々成政ではなく、八百比丘尼をピックアップして、なおかつその扱いが浅薄を極めるありさまだったから、その点は非常に残念である。織田信長や豊臣秀吉のような、歴史的な偉業を成し遂げたわけでもないのに、広くその名前が知られている佐々成政は、まさしく伝説の中でしか生きていない人物なのだから、成政のほうを掘り下げてもらいたかった。

 ちなみに、井沢元彦がエッセイで取りあげた八百比丘尼のほうだが、長寿伝説で取りあげてどうするんだというのが、当方の意見である。八百比丘尼のように、全国各地に足跡を残したのは、行基か弘法大師レベルであり、江戸時代の初期(だと思うが)といった限定された一時期に突然爆発的に巷間に広まった話なんて、まさに口裂女並み。電波メディアのなかった時代だから、巷間説話が全国に広まった事情は口裂け女の場合とは異なるが、噂とか伝説とかいったものの生成過程を推測するには、格好の材料になる話なのだ。それなのに、ありふれた長寿伝説のひとつとしてしか見えないなんて、がっかりのひと言に尽きる。ま、こちらのほうも機会があれば、もう少し書いてみよう。

参考 「佐々成政とクロユリ伝説」



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by office34 | 2005-04-03 11:08 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 29日
殺生石伝説・補遺
 もう少し殺生石伝説に触れておこう。この伝説にはさまざまなバリエーションがあるが、大筋では九尾の狐の話とその後日譚とに分けられる。まず九尾の狐の話。これが、いわば本編とでもいえる部分なのだが、乱暴にまとめると、長生きをして妖力を身につけた老狐が、中国・インド・日本を跳梁するというもの。その行動パターンは一貫しており、ときの妃に取りa0029238_1421670.jpg付いて王を惑わせるのである。殷の妲己、周の褒姒、天竺の華陽夫人など、悪名高い傾国の美女や魔性の女の行跡を取りあげ、それらはすべてこの妖狐のせいであると語る。そして、その九尾の狐が日本に渡来して姿を現したのが、鳥羽院寵愛の玉藻前である、と持ってくる。

 そこで玉藻前の話。多くの場合、玉藻前の色香に惑わされた院が政治を顧みなくなるとか、日に日にやつれていくとかのケースで語られる。そうした院の姿を憂えた側近たちが安部晴明の子孫、安部泰成に占わせた結果、その正体が見破られて調伏されることになるのだが、東へ飛び去った妖狐は下野那須野の地に再びその姿を現し、土地の人々に災いをなすようになった。しかし勅命を帯びた上総介と三浦介の活躍によって、遂にその命を絶たれてしまう。殺生石とは、殺された妖狐の魂が宿った石のことであり、今も那須野の地にあっては、執念深く毒気を吐き続けているという。

 ここまでの話を本編と位置づけるとすれば、後日譚扱いされているのが、殺生石に宿った霊を供養する話である。殺されてもなお石に魂を宿した妖狐が、石に近づく人間をはじめ、鳥獣までも殺してしまうことが続いていた。そのため、その石は殺生石と呼ばれて恐れられていた。その話を聞いた玄翁が殺生石のある那須野の地に赴き、経文を唱えて杖を振り下ろしたところ、石は砕け散って妖狐の霊も成仏したというのである。ちなみに、謡曲「殺生石」では、語られる順序が逆になっている。廻国修行の途次、那須野の地は殺生石に立ち寄った玄翁和尚の前に石魂が現れ、殺生石の由来として玉藻前の話を語った後、自らの供養を懇願するというストーリー展開になっている。

 殺生石のほうから入って玉藻前物語にさかのぼるのか、あるいは時間軸に従って玉藻前物語から殺生石の話のほうへ下ってくるのかの違いはあるにせよ、玉藻前物語+殺生石の物語+その供養譚というのが、この伝説の基本セットになっているのである。

 なおこの伝説を巡ってはさまざまなバリエーションがあるとしたが、中でも江戸時代の後期に上梓された「絵本玉藻譚」は、ストーリー構成の上でもメリハリがあって面白い作品である(すでに流布していた話を取り入れて、巧妙に一つの物語としての体裁を整えたに過ぎないという見方もある)。その「絵本玉藻譚」では、玉藻前物語の部分だけでなく、後日譚の部分にもかなりのプラスアルファが加わっているのだが、特に後日譚の部分にある石屋大徳の話は独立した笑い話として楽しめる。絵のほうも滑稽なので、ちょっと紹介してみよう(現代語訳・江戸の伝奇小説3『飛騨匠物語/絵本玉藻譚』[須永朝彦,国書刊行会,2002]に基づいて要約する。絵も同書より)。

 時は南北朝のころ、石屋大徳という聖がいた。廻国修行の中で下野国那須野の地に到った石屋は、その地に伝わる殺生石の話を耳にする。そこで石屋は己れの力でその霊を成仏させようと考え、一人那須野の殺生石までやってきた。しかし、そこにあったのは漆を塗ったように黒々とした怪石と、その周囲に散乱する骸骨の山。その景色を目の当たりにした石屋は、「これはとても自分の手に負えるものではない、命あるうちに人里へ帰ろう」と考える。そこで殺生石に背を向け、来た方向を振り返ると・・・・目に前に身の丈三〇メートルほどもある真っ黒な仏が立っている。しかも目をランランと輝かせ、真っ赤な口を開けてはニタニタ笑っているのである。

 あまりのことに腰もぬけんばかりだったが、這々の態で、石屋はその場を逃げ出した。しばらく走ると、同じ方向に逃げていく女がいる。きっと同じ黒仏を目撃して逃げていく者なのだろうと思い、その後を追った。ほどなく息が切れたのか、女はその場に倒れこんでしまう。石屋があわてて駆け寄り、助け起こしてみると、思いの外の美女である。
「気を確かに持ちなされ、こんな所で倒れては妖怪の餌食になってしまうぞよ」と語りかけると、女のほうも気が付いたようで、石屋にすがりついてくる。
「私は近くに暮らす寡婦です、亡夫の墓参りに出掛けたところ、道に迷ってしまいました。すると、どこからともなく小さな子供が現れて道案内をしようと言うのです。案内されるまま、歩いていたのですが、私を導いてくれた場所は殺生石の近くだったのです。きっとあの子供も化生のものだったのでしょう。そして恐ろしくなって早く家に帰ろうとすると、黒仏が現れたものだから・・・」。
 さめざめと涙を流して美女に抱きつかれると、石屋のほうもまんざらではない。
「さあ早く立ちなされ、拙僧がお宅までお送りいたしましょう」と言い、手を取り合って二人で那須野を駆け抜けていった。

 二人はようやくのことで野原を抜け出して、一軒に庵にやってきた。
「ここが私の庵です。こうして助けていただいたのも何かのご縁でしょう。粗末な場所ですが、一晩泊まっていかれてはどうしょうか」。
 石屋は少なからずの下心はあったものの、女のほうから誘ってくるとは思ってもいなかった。それが予想外の成り行きとなったものだから、はやる心を抑えながらも「それでは今宵はこちらでご主人の菩提を弔わせていただきましょう」と応える。そして案内された室内はどこか由緒ありげな雰囲気が漂い、野婦の仮住まいとも思えない。詳しくはいずれ分かることだろうと考えて、とりあえずその部屋でくつろぐことにした。
「今日はあまりのことだったので、くたびれてしまいました。急いで夕餉の用意をしてもらえないでしょうか」
「寡婦の一人暮らしゆえ、たいそうなことはできませんが、しばらくお待ちくださいませ」。
 女はそう言い残し、襖を立てて台所のほうへと入っていった。ところが、それからいくら待っても料理は出てこない。そればかりか、襖の向こうでは調理をしている気配も感じられない。不審に思って、そっと襖を開けてみると、そこで目に飛びこんできたのは・・・・象のように膨れあがった女が素っ裸で横たわってゴウゴウと鼾をかいている姿。さらに何を食らったものやら、口の周りには血がねっとりとこびりつき、あたりには異臭までも漂っている。
 今度ばかりは石屋も手足が動かなくなり、その場に座り込んでしまった。すると、それまで由緒ありげな雰囲気を醸し出していた建具が、その色を薄めていったかと思えば、あたりは草野原、よく見れば、他ならぬ殺生石の前である。しかも石屋自身がしゃがみ込んでいるその場所は、命を落とした者たちの骸骨の山、まさにその上に座っていたのである。
 その時、殺生石の中から声が響いてきた。「石屋よ、この俺を何者だと思っておるのだ。金毛九尾の狐が亡魂なるぞ。貴様ごときに祈り上げられるものではないわ。石屋よ、貴様もここで命を失うことになるのだが、しばらくは貸しておいてやろう。急ぎ都に上り、当代第一の聖を呼んでこい。そうして俺の魂を祭らせよ。俺の怨恨を漱がせるのだ。それができれば、貴様には天寿を全うさせてやる。だが、しくじればその命はたちどころに尽きてしまうぞ」。
 その大音声が消えると今度は一陣の風が吹き寄せてきた。そして石屋の身体を巻き上げ、そのまま人里へと吹き飛ばしたのであった。石屋は、取るものも取りあえず都へと上っていったのである。
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(上・黒仏、下・象女)



 ラフカディオ・ハーン「むじな」のように、二段構えでの怪異現象である。「絵本玉藻譚」で語られている多くのエピソードは、その出所が確認できるという意味で、独創性が薄いといえば、確かにその通りである。しかし、この石屋のエピソードに限定すればどうだろう。同時代的に流布していたゴシップ的なものを脚色したのか、それとも作者・岡田玉山によるまったくの創作なのか、そのあたりはわからない。ただ「絵本玉藻譚」の中では、この石屋が玄翁和尚を殺生石の前に引き寄せるきっかけとなったのだから、このエピソードの配置も意図的なものであるのには違いない。
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by office34 | 2005-03-29 01:31 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 28日
週刊 日本の伝説を旅する(那須・福島)
 いよいよ九尾の狐が登場。『日本の伝説を旅する』の話である。第七号で取りあげられたのは那須・福島ということでメイン記事には安西篤子「玉藻前と殺生石」が充てられている。妖怪モノの世界では真打ちクラスになる九尾の狐だが、そのエピソードがもっともまとまった形で語られるのが殺生石伝説なのである。多くの伝説同様、この殺生石伝説も中世謡曲の世界で明確な姿を獲得し、その後に歌舞伎や浄瑠璃、あるいは読本、講談などの中でさまざまなバリエーションを成長させていったものである。

 さて今回の安西篤子「玉藻前と殺生石」であるが、またしても恣意的な書き換えが加えられている。伝説なるものは恣意的な書き換えの積み重ねで成長していくものだから、手を加えること自体は問題ではないのだが、それでも根幹にあたる部分が変わってしまうのはどうだろう。玉藻前となって宮中に入り込んでいた妖狐が陰陽師の祈祷によって正体を顕すくだりについてである。おそらく一番広く語られているのは、陰陽師の験力に耐えられなくなって玉藻前の姿がフッと消えてしまうというものだと思うのだが、安西篤子「玉藻前と殺生石」では正体を顕さず、人間の姿のまま死んでしまう。さらに「ほんとうに、玉藻前は、金毛九尾の老狐だったのだろうか、それとも薄幸の一女人に過ぎなかったのか。いまとなっては知るよしもないが云々」ともっともらしい解釈も加えられている。これでは中国やインドで跋扈したあと日本にやってきた大妖怪の話と切り離されてしまって、玉藻前物語の意味がなくなっている。苛立たしさに近い違和感を感じてしまった。

 そもそも殺生石伝説は、玉藻前=九尾の狐という大前提があって成り立っている話なんだから、その部分に手を加えてしまっては”伝説を紹介”していることにはならない。というか、これでは伝説を元ネタにして、別の小説を書いているに過ぎないのではないか。もちろん殺生石伝説の換骨奪胎ものは、それが小説であれ戯曲であれ、すでにたくさん発表されているから、もう一つ新しい玉藻前物語を作ることも悪くはないのだが、『日本の伝説を旅する』は伝説を紹介するものであって、創作小説を載せるものではないはず。紹介の仕方にアクセントを付けるというレベルを逸脱していると言わざるを得ない。


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by office34 | 2005-03-28 15:38 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 22日
週刊 日本の伝説を旅する(岐阜・大津)
 お城特集を狙ったわけでもないのだろうけど、『日本の伝説を旅する』第六号は城ネタが盛りだくさんのラインナップになっている。現在の行政区分にこだわっていると見落としてしまうのだが、【岐阜・大津】というエリアは湖東一帯を広くカバーする、すなわち東国と都を結ぶルートのノドに相当する交通の要衝である。その周辺にはおのずからキースポットになる城もたくさん築かれた。今号ではカバー写真およびメイン記事の岐阜城を筆頭にして、「名所巡り」のコーナーでは城ばかりをピックアップしたページもある。さらに同じコーナーの織田信長関連ページでも安土城跡や居館跡も入っているから、全体的に城がたくさん取りあげられている印象を与える。

 これはテーマがはっきりしていることになるから好意的に捉えたい。とはいえ、細かく見ると無秩序よりはいいという程度かもしれない。というのも、意図して城にスポットを当てたのなら、扱いは小さくても犬山城や大垣城あるいは彦根城なども視野に入ってくるはずだし、それらが触れられていない以上は半端と言わざるを得ないのである。

 もっとも五号までの流れから判断すれば、今回の城特集モドキも、もしかして偶然の結果なのかも知れない。そうすると、あれこれツッこんでも何も出てこないというのが実際だろう。しかし不十分ながらも、これだけ城が集められていると、そこに意味らしきモノを感じる人もいる。【岐阜・大津】という一見すれば、機械的に余りものを集めたような半端なエリア区分だが、実はかなり意味深な設定でもある。

 ところで城というと、それだけで歴史的な遺構と思われがちだが、たいていは復元城郭である。復元だから悪いというわけではない。でも補修を重ねながらも建造時から連綿と残ってきた城郭と、客寄せ的に復元されたバッタモンとは、きちんと区別して欲しい。今回の中でいえば、長浜城なんかは、まだ二〇年ぐらいしか経っていないはず。学生のころ、長浜出身の友だちが「帰省したら城が出来ててビックリした」と言っていたのを、ふと思い出してしまった。もちろん古文書などを調査したうえでの復元なんだろうから、ケチばかり付けていてはいけないが、墨俣城のように歴史無視としかいいようのない天守閣がそびえている例に至っては、ちょっと弁護の余地はない(京都に関しても伏見桃山城というスゴいのがあるから、大したことは言えないのだけど)。

 なお今回紹介されている中で正真正銘の遺構といえるのは小谷山城くらいか。実際のところ、石組みなどしか残っていないから、小谷山城跡としたほうが正しいのだが、麓から遺構を辿りながら山頂まで歩くハイキングコースも設定されているので、山城とはどういうものだったのかということも、実感レベルで確認できる。

 あ、建物は失われているのなら、安土城も触れられていたか・・・

【参考】お城めぐりFAN


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by office34 | 2005-03-22 19:48 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 14日
週刊 日本の伝説を旅する(天草・高千穂)
 「日本の伝説を旅する」第五号は、ちょっと肩すかしを食らった感じ。といっても、こっちが勝手にトンデモ級の内容を予想をしていただけの話なのだが・・・。メイン記事で取りあげられるのが島原の乱であり、天草四郎だからさぞやぶっ飛んだ伝説が出てくるのではと期待していたのだが、事件の経緯を物語風になぞっただけのものだった。せっかく天草四郎を取りあげるのなら、天草四郎は生きていた云々のレベルまでかっ飛んでくれたら面白かったが、どこかにそういったお馬鹿な伝説が語られている土地はなかったのだろうか。あるいは島原の乱には真田幸村が一枚噛んでいるといった話、これもかなりトンデモ級だが、実際にそういう伝説は語られているらしいから、そんなネタでも面白かった。でも、これも却下ということらしい。う~ん残念。

 それにしても天草四郎生存説なんかを持ちだしたりすると、「魔界転生」にかぶれ過ぎ!と叱られかねない。しかし伝説の話をあれこれするとすれば、こんな荒唐無稽な話でも阿呆らしいのひと言では切って捨てられないところもでてくる。というのは、仮定の話として<伝説はかく創られる>といった感じの想定をしてみると、「魔界転生」なんかは格好の材料になりそうな気がするのだ。実際、映画「魔界転生」は放っておくとしても、山田風太郎の原作に関しては筆者自身が創作の動機として「講談の世界で馴染んだ剣豪たちを戦わせてみたかった」といったような話をしていたと記憶している。出所不明の談話なので、当方の記憶違いの可能性もあるが、こんな発言こそ、伝説が創られる過程とオーバーラップするのではないか。

 創刊号で紹介されていた小野小町伝説にしても、歴史上の人物の名前と、後世の願望から作られたイメージとが重なったところにできたもののようだし、源義経にしても義経=ジンギスカン説などは、願望の産物以外の何物でもない。要するに「かの有名な○○は××であってほしい、△△なら面白い」といった、人々の間で潜在的に広まった欲求が、何かのきっかけを得てストーリー性を備えて、そして尾ひれがついて、あげくの果てには伝説と呼ばれるようになるのではないか、ということだ。

 もしそうだとすれば、何かとナゾの多い天草四郎のことだから、もっともっと謎のベールに包まれていて欲しいといったような期待も担っているのに違いない。そんなところへ山田風太郎の小説が好評を博し、映画化してもそれなりに成功ということだから、これをきっかけにして「伝説」が創られていく可能性は備わっている。もちろん数年のスパンではなくて、山田風太郎の名前も「魔界転生」という忍法小説も風化してしまうくらいの年月が必要になるのだが、いつの日にか、「原城陥落後も天草四郎は生き延びていた」と、まことしやかに語られるようになったとしても不思議ではない。

 なんやらウン百年後の予想図みたいな話になってしまった。その話は横に置いておくとして、今回の記事の中で取りあげられている内容についても触れてみよう。メイン記事のトップに充てられているのが、白石一郎「天草四郎時貞」という文章だ。これは島原の乱を物語風タッチで描いたものである。創刊号の安西篤子「小野小町」同様、読み物として読むぶんにおいては楽しめる。ただ、ふと気になったことがある。内容があまりにも物語的だから、どこまでが実際に語られている伝説であり、どこからが作家の創作かといったことだ。それで、ちょっと調べてみたのだが、予兆とされた朝焼け夕焼けの話や、天草四郎が見せた奇跡などは、事件後のかなり早い時点で語られていたようだ。さすがに、空の色を農民の血の色であり、キリシタンの血の色であると噂しあったというくだりは創作だが、予言の存在や天変地異の話が早い段階で人々の口に上っていたことには、少なからず驚かされた。

 ちなみに蛇足になるが、面白く思った話をもう一つ。朝焼け夕焼けの奇瑞や天草四郎が見せた奇跡に関して、当方が確認した史料は「島原記」という江戸時代の軍記物である。島原の乱が終息してほどなくまとめられたらしく、史料価値も高いという。その最初に部分は、キリスト教の日本伝来史とでもいった内容になっているのだが、基底にあるのは、「蛮人の主が日本の乗っ取ろうとしたが武力で攻めるのは得策ではない、そのかわり宗教で国を奪い取ろうとしたのである」という発想である。片言隻句にこだわらなければ、これってかなり近代的な史観なのでは・・・・。極東の片隅にある島国で、しかも一方的な視点からまとめられた書物であるにも関わらず、後世に定説となる史観を先取りしている、とまで言えば、やはり言い過ぎだろうな。


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by office34 | 2005-03-14 02:07 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 07日
週刊 日本の伝説を旅する(鎌倉)
 「日本の伝説を旅する」第四号は鎌倉編。こんな伝説がありますよ-と紹介するだけでは物足りないというのが当方のスタンスである。そのため、いつもあら探しに流れがちになって恐縮至極なのだが、今回はなかなか面白かった。以前から源頼朝周辺の怪人物たちについては興味を持っていたし、今回のメイン記事のひとつ「鎌倉幕府の伝説」(沢史生)が、ピンポイントでツボにはまってしまったのである。

 怪人物のひとり、文覚については、せっかくの機会だったので本丸のほうにも雑文を載せておいた。その文覚については、当方の考えるところとかなり違っているから措いておくとしても、目を引いたのは隠れ里の"風"の話である。鎌倉を中心に頼朝が軍団を形成し、政権を確立する過程においては、いわゆる「隠れ里」の力を利用したのではないかというのはよく言われている。しかし、その詳細についてはほとんどわかっていないのが実際だろう。沢史生の記事では、それを「弁天社、稲荷社、御霊社の神人、巫女たち」として、さらに彼らを"風"と呼んでいる。興味を引いたのは、隠れ里の人々が暗躍していたという指摘ではなく、そこで使われた"風"という言い回しである。こうした指摘だけであれば目新しいものではないし、想像でモノをいうのは勝手というところに落ち着いてしまう。しかしその言い方が面白ければ、反応も変わってくる。それほど"風"という言葉に対しては、ピクピクと感じる何かがあったのだ。

 隠れ里の"風"から、マンガでも使われる「風魔」にまで行ってしまうと言葉の一人歩きが過ぎる。だが根っこのところまで戻ると、重なってしまう何かがイメージされているような気がしてならない。実体がつかめない何からの集団があって、それはときには山伏や修験道の験者の姿でイメージされることもあれば、マンガ的な方向に膨らませると忍者集団にまでなってしまう、そんな彼らを沢史生は"風"と呼んだわけだが、その言葉遣いが興味深いということである。読み物的なおもしろさを膨らませるためのレトリックに過ぎないのかも知れない。でも、たとえそうであったとしても、なぜ"風"という言葉を選んだのだろう。

 些細な言葉遣いだが、"風"にこだわったのは、ふとサンカのことが頭に浮かんだからである。漂泊民とも先住民の末裔ともいわれる山の民のことである。そのサンカに対する呼称として風を意味する古語「シナド」という言葉が使われたことがあったという報告を思い出したのだ。もしかして沢史生は、隠れ里の人々にサンカの姿を重ねたうえで"風"といったのではないかということなのだ。

 サンカの実態はもとより、そもそも隠れ里の人々のことも、頼朝に加勢したとされる謎の力についても、学問的な観点からでは確認などできるシロモノではない。そのぶん憶測と期待が混じり合って勝手なイメージで語られる。しかし、史料の上で確認できる事柄をつなぎあわせる作業だけが歴史叙述だというのでは無味乾燥のそしりを免れない。小林秀雄だったか誰だったか、記録というのは死骸であり、それに血を通わせるのが小説家の仕事だとかいったニュアンスの文章を書いていた人がいた。今回の沢史生の文章は、電気ショックを加えてフランケンシュタインでも作ってしまいかねない大胆さもあるが、そのぶん刺激的でもあった。


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by office34 | 2005-03-07 20:14 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 03月 02日
週刊 日本の伝説を旅する(北海道1)
 「日本の伝説を旅する」モニター企画第三弾。第三号は「北海道1」ということで道南・道央編である。企画のスタイルとして定着した感のある"週刊百科"系だが、このタイプの刊行物では、写真に力を入れているものも少なくない。そこで、今回は写真にウエートを移して駄言贅言を並べてみよう。

 分類するなら「伝説を旅する」はガイドブックである。そこで使われる写真は芸術性に走る必要はない。役割は本文の内容を補足することであったりイメージを喚起することだろう。あるいはアイキャッチャー的な役割というものを入れてもいい。書店で本を手に取ってパラパラとめくったとき、読者の目を留めさせることができるかどうかということだ。そういう方向でみれば、このシリーズでは写真はよく選ばれているなという印象がある。

 少し以前の話になるが、某ハイキング雑誌で淀川ウォーキングの特集が組まれた。淀川の河川敷に沿って琵琶湖から大阪湾までを歩くというものだ。企画の中身は面白かったのだが、残念ながら写真は酷いのひと言。たまたま切り取ってきた風景写真を並べているというだけではなく、カラーページであるにも関わらず画質の荒いデジカメ写真を大伸ばしにしているありさまなのだ。文章を読む前に、なんじゃこりゃという印象、あるいはそれを通り越して見るに耐えないという感想が先に来てしまった。経費の関係か何かの事情があったのは推測できるが、やたら安く上げればいいってもんじゃないだろうといったところへ視線が向かってしまったのだ。

 悪い例との比較で言っても始まらないが、「伝説を旅する」では写真にも配慮が行き届いている。もちろん、今回使われているものは撮り下ろしばかりではないだろう。多方面に写真の提供を依頼しているようだが、どういう意図でその写真を載せているんだろうと首を傾げるルーズな写真が少ないところをみれば、十分に吟味しているのに違いない。とはいっても完璧というわけではない。たとえば武田信広の記事。思わず古井戸?と疑う志海苔舘跡の写真が載っているが、コシャマインの乱関係で道南十二館の位置関係を示した図を作ったほうがマシだった気もするが……。そうした些細なところではいくつかは注文もつけたくなるが、全体としては効果的な写真もたくさん使われている。その結果と言っていいのかどうか、伝説の紹介の仕方や選び方に注目した1号や2号では好意的なコメントはできなかったのに、今回は写真誌としても楽しめて好感が持てた。ちなみに気に入った写真というか、ほぉといった感じで目が留まったものを挙げるとすれば、P17の江差海岸、P25の湯の川温泉など。湯ノ川温泉の写真などは広告写真を借りてきたのだろうが、出所を云々するつもりはない。光影のバランスなど写真としての出来映えが素晴らしいと思った一枚だ。


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by office34 | 2005-03-02 22:19 | 伝説を旅する(モニター)
2005年 02月 28日
週刊 日本の伝説を旅する(江戸・伊豆七島)
「日本の伝説を旅する」第二号は、江戸・伊豆七島を紹介している。創刊号については、それぞれの伝説に対する切り口についてツッコミをいれておいたが、今度はメイン記事に充てられた伝説の選び方について考えてみよう。

 第二号で取りあげられているのは、「八百屋お七」「太田道灌」「伊豆七島の伝説」の三本。このうち、一番最後の「伊豆七島の伝説」は、為朝伝説などの六本が盛り込まれたオムニバスだから、伊豆七島「も」取りあげたいという視点で選ばれた感が強い。酷な言い方をすれば、江戸を取りあげたついでに、東京つながりから「伊豆七島も」となっているのではないかという気がしてならない、ということである。こうしたことを問題にするのは、江戸をキーワードとしたとき、なぜ「お七」と「道灌」の話が選ばれたのか、よく見えないからだ。この二本に共通する積極的なテーマが見えないので、伊豆七島が入っていることも現代の行政区分に即した機械的なピックアップにしか見えてこないのである。江戸を取りあげるのであれば、江戸に限定して伊豆諸島などは号を改めて離島編といった感じにしたほうが、よかったような気もする。

 たくさんの読者を念頭におき、幅を持たせたテーマ設定、言い方を変えれば明確なテーマを設定しないという方針、これも一つの方針には違いない。しかし、個人的にはわかりやすいテーマがあったほうが面白いと思う。結局は個人的な嗜好ということになってしまうが、江戸を取りあげるのなら、もっと「お江戸の町」を彷彿させる伝説のほうがよかった。

 もちろん「八百屋のお七」については、"火事と喧嘩は江戸の華"といわれた江戸の町の江戸らしさが詰め込まれたお話である。ただ、それとセットにするのなら、「太田道灌」じゃないだろう。おどろおどろしい方面をつついて「将門伝説」(伝説地マップに簡単な紹介あり)を取りあげてもよかったし、コミカルな巷間説話ということで本所七不思議に焦点をあててもよかった。あるいは、お化け話の中では定番中の定番だが、のっぺらぼうの話だって、江戸を舞台にしたものである。ハーンが紹介した「のっぺらぼう」の出現スポット「紀の国坂」が現在、確認できるのかどうかも知らないが、その紀の国坂の現在といったような紹介写真であれば、方向性も見えてよかったのではないか。江戸開府以来、急成長を遂げ、世界レベルでも大都市に入っていたお江戸の町、その息づかいと陰影が浮き出てくるような話が選ばれていたら面白かったのだが、どうだろう。


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by office34 | 2005-02-28 03:28 | 伝説を旅する(モニター)