Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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カテゴリ:街角の風景( 171 )


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2014年 01月 29日
葵公園
出町の駅前から河合橋を渡って出町橋の手前から北上して下鴨本通りに合流する。土地鑑のある人なら、これだけの記述でどういうルートかはわかるはずだが、もう少し説明を付け加えるなら、賀茂川左岸の道路を北上して葵橋東詰で下鴨本通りと合流するという形だろうか。といっても、土地鑑のある人ばかりとは限らないので地図(googleマップ)でも貼っておこう。
a0029238_1515314.jpg

さて、今回のお題はこのコースを通る時、右手に見える広場である。公園のように整備されているのはよく知られていると思うが、かといって滑り台やジャングルジムなど遊具が置かれている児童公園ではない。また地図でみると高野川と賀茂川が合流する部分に見えるが、「デルタ」の通称で親しまれているゾーンでもない。ということで、この広場の位置づけがよく見えないのだが、鴨川の河川敷全体には「鴨川公園」という正式名称があるので、件の広場も鴨川公園の一部とみられているのだろうか。

実は、当方はこの広場については「鴨川公園」のうちに含めて考えていた。「葵公園」という名前も聞くには聞いてはいたが、それも俗称だろうと思っていたのである。下鴨神社に近いこともあって、賀茂のシンボルである二葉葵を借りての俗称だろう、そのぐらいの認識だった。ところが、さにあらず、実際はこの広場を特に「葵公園」とするのが正式名称だったようだ。そのことがわかったのは、上記の道を通るだけで、普段はほとんど入ることのない広場に足を踏み入れたからである。

広場の中程に銅像があることは、近くを通る際に気づいており、それが目玉の松ちゃんこと尾上松之助であることは随分昔にチェックしていた。だが銅像のあるところからさらに奥、つまり北の方向へ進んでみることはしていなかった。「葵公園」なる名称を知ったのは、広場の奥の方へ進んだところに石碑がおかれており、そこに大きく書かれていたからである。碑陰に刻まれていた文章によれば、葵公園として整備されたのは昭和15年のことらしい。もしかすると現在でこそ「奥の方」という印象になる石碑の周辺だが、整備された頃には入り口付近だったのかも知れない。つまり北側からも普通に入れる状態になっていたのかも知れないということである。

現在では広場全体に薄暗い印象があり、まわりを垣根状の植え込みが取り囲んでいる。それだけでも近づきがたい雰囲気になるわけだが、入り口ゲートの構造がそれに輪を掛けている。北と南の両方にゲートがあるものの、見るからに通りづらそうな構造である。「入ってくれるな」という意志が伝わってくるゲートとは、こういうものを言うのだろう。

もっともこういう状態になったのも理由がないわけではない。おぼろげな記憶で恐縮なのだが、二十数年前はこの広場には放置された自転車が山のように唸っていた。現在のような進入しづらい構造になったのは、それらが撤去された後のことである。自転車の大量放置に対処すべく公園の入り口を入りづらい構造にしたのだが、度が過ぎたのか、歩行者も入りづらくなってしまった、といったところだろうか。ともあれ、「葵公園」なるゆかしい名前が正式のものであることがわかっただけでも収穫としておこう。

参考までに碑陰の文章の書き取り。例によって現場での正確なチェックを怠ってしまったので、一部おぼつかない部分がある。後日要確認。
本園ハ昭和十五年二月大澤徳太郎氏ヨリ金貳萬圓ノ寄附ヲ得テ之ヲ工費ニ充テ官府有地參千五百餘坪ヲ劃シ專ラ体教散策ニ資センガ爲曩ニ三井家ニ於テ植栽セル黒松ニ加ヘ公園施設ヲ計畫シ昭和十五年三月起工同年六月竣工ス茲ニ公園ノ一隅ニ碑ヲ建テ記念トス
  昭和十五年七月
    京都府

a0029238_1515788.jpg
自転車は整理されたが、近年は狸が集まっているようだ




-追記-
碑陰によれば昭和15年に「官府有地參千五百餘坪」が整備されたことになっている。1坪≒3.3㎡で計算すれば約11,550㎡。それに相当する広さを想定すると、通称デルタから賀茂川左岸の河川敷および松ちゃん像周辺の広場ぐらいを含むだろうか。現在の家裁以南、つまり段丘の全体である。道路によって分断されているため、現在では別個の空間のような印象になっているのだが、戦前には河川敷もデルタも含めて周辺全部が「葵公園」だったのかも知れない。それが戦後になって鴨川河川敷の上流下流、左右両岸が整備されたため、河川敷部分だけを特に「鴨川公園」と呼ぶようになったとも考えられる。仮にそうだとすれば、「葵公園」の石碑も、デルタのど真ん中とか、かつては別の場所に置かれていた可能性もある。

-追記2-
碑陰の文章訂正
(誤)專ラ体教散策ニ資センガ爲 → (正)專ラ休養散策ニ資センガ爲
写真に収めただけで現地での確認を怠っていると、帰ってきてから文字が読めないという事態になる。「体教」の箇所は意味不明だったが、改めて現地へ行ってみると「休養」であることが判明。
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by office34 | 2014-01-29 02:24 | 街角の風景
2014年 01月 18日
桜色?
a0029238_2339022.jpg


1/16の夜、京都タワーが桜色にライトアップされた。なんでも受験生を応援するとのお題目で、“サクラサク”のイメージにするとのことだったらしい。これに限らず、京都タワーは時折、なにがしかの色にライトアップされている。しかし、それらは大抵は一日限りであり、しかも夜あるいは翌日のニュースetcによって過去形で知らされることになる。したがって何かのキャンペーンでのイメージカラーになっていたとしても、結局は現物を見逃してしまうわけである。それに対して、今回の桜色キャンペーンは、たまたまの巡り合わせだったのか、「今夜は……」という形で事前に情報を知ることができた。それで駅ビルへ出かけてみた。撮影スポットは例によっての例の如し、烏丸広場である。

出来映えとしてはどうだろう。もう少しマシなものを期待していたのだが、設定がよろしくないのか、それとも合格色らしからぬ禍々しいくらいの不気味さに色づいていた被写体が問題なのか、はっきり言ってパッとしない。これなら後追い的にニュースで教えてもらって、ヘェ~と他人事のように流しておいてもよかったかも知れない……。
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by office34 | 2014-01-18 23:39 | 街角の風景
2013年 12月 25日
祇園閣から京都タワーへ ~キッチュ愛(11)
キッチュ論議をする場合、贋物性なるものは大きな意味合いをもつ。"バッタもん度"といえばわかりやすいか、要するに手本となる「真正」があり、それを志向しているにも関わらず何かが足りない、足りなくて妙なものになっているetc……そういったシチュエーションである。C.グリーンバーグの"AVANT-GARDE AND KITSCH"でも問題にされていたことではあるが、大雑把にいえば、こんな具合か。キッチュの原義を問う時には真正なる芸術に手が届かないからバッタもん(simulacra)で間に合わせる、そうした要求に応えるのがキッチュである云々。これは極めて表層的な理解なのだが、少し掘り下げた言い回しも用意されている。すなわち、アヴァンギャルドは過程であり、キッチュは結果であるとする一節である。先人が残した真正の芸術を志向しつつ、その創造過程に意義を見いだす場合は、たとえ模倣行為であってもその内側には新たな独創性が芽生えていてアバンギャルドへと傾くのに対し、事物の外形のみを借りて製品を作る場合はキッチュであるというものである。マティ・カリネスクの文章にも、ミロのビーナスはさまざまなサイズのものが世界中に存在しているという内容のことが書かれているが、これは廉価なレプリカが大量生産されていることをいう文脈であり、キッチュの最たる事例として触れられている。このブログでも、天龍寺の達磨図を取り上げ、クリアファイルに印刷された達磨図はキッチュであると書いたが、それと同じ理屈である。

さてルーブル美術館に保管されているミロのビーナスと世界各地にあるさまざまなサイズの模造品、天龍寺庫裏入口に置かれている達磨図とクリアファイルに印刷されたデザイン、そういったシンプルな対比であれば、贋物性をキッチュの特徴として指摘するのは容易だろう。だが祇園祭に登場する長刀鉾と祇園閣といった対比になるとどうか。祇園閣が山鉾を模しているのは事実である。どこから見ても山鉾をイメージしているように見えるし、祇園閣碑や大倉喜八郎の伝記にもその旨ははっきりと記されている。だがこのケースは真正と偽物という対比ではない。伊東忠太が図面を引くにあたって、大倉のリクエストに従ったにせよ、山鉾を設計したわけではない。あくまでも楼閣を造っているのである。そういう意味ではバッタもん(simulacra)と断じることはできない。もちろんキッチュでなければアバンギャルドだとの二分法に依る必要もないので、祇園閣に芸術性を見いだすつもりはないのだが、贋物性という方向から祇園閣のキッチュ的な性質をいうことは難しい。むしろハチャメチャな大倉のリクエストに対して、一応は建築物として堪えうる範囲に収めた伊東の設計を評価するべきだろう。

ところで建築物に絞って話をするとすれば、レプリカはどの範囲までが許容されるのだろう。オリジナルの金閣寺に対して再建された金閣寺はレプリカではあっても贋物性が問われることはない。同様に、平安神宮の応天門や拝殿も王朝時代の内裏応天門と朝堂院を模しているとはいえ、否定的な意味での贋物性が云々されることはない。淡路島だったか、どこかのテーマパークにエッフェル塔や凱旋門が勢揃いしているところがあるとも聞くが、ああいうレプリカはキッチュであって、最初から芸術や歴史といった方面からの言及はなされない。そのぶんギャグの文脈で語られることになり、別な観点からの評価も生まれる。ここで問題にしたいのは、再建金閣寺タイプでもなければ、平安神宮応天門タイプでもない、またギャグでもない、致ってマジメに造られているのに、生憎なことに浅薄さが表出してしまっているケースである。そんな建築が京都にはないものかと見回してみると、思いつくのが京都タワーである。

京都タワーが建造された昭和三〇年代は高度成長期のただ中であり、東京タワーに刺激されたかのように、各地でタワーの建築が行われたようだ。もちろん電波塔の必要性という現実的な需要もあったろうが、近年のゆるキャラブームではないが、負けるな遅れるな的な発想で建てられたものもあったに違いない。そうした背景を思い描きつつ、京都タワーを眺めてみるとどうだろう。通天閣のような歴史性があるわけでもないし、高さも東京タワーの比ではない。それに電波塔としての役割を期待されたようでもなさそうだ。流行り物に乗っかるのなら、先行するものを圧倒するくらいの何かが必要なのに、単純に、京都にもランドマークになる高層展望台をといった感じで進められたプランであるように思えてしまう。もちろん時代と切り離して、独立した建築物として眺めるのであれば、下部のタワービルのデザインも含めて評価すべきポイントはたくさんある。何よりも展望室に登っての眺めは十分に楽しめる。しかしブームの中で登場した物件だからこそ、最初に貧弱さが目に付いてしまうのである。戦前からの歴史がある通天閣や高度成長期のシンボルのごとく語られる東京タワー、これらを傍らにおくと、京都タワーには、形態的に似ているというわけではない「贋物性」が見えてくるのである。


-追記-
文中にある「淡路島だったか、どこかのテーマパークに~」は、淡路ワールドパークonokoroという場所らしい。公式サイトによれば、園内の「ミニチュアワールド」には、ピサの斜塔やアクロポリス、コロッセオ、タジマハール宮等のミニチュアが造られているとか。なお凱旋門はあるが、エッフェル塔はない模様。






【キッチュ愛】
祇園閣とキッチュ / 俗悪・バッタもん・キッチュ / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(1) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(2) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(3) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(4) / 建築様式とキッチュ / 京都の近代建築 / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(2) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(3) / キッチュの大衆親和性 / 祇園閣のキッチュ性 / 祇園閣から京都タワーへ / 京都タワー擁護論 / 本物でないということ / 時代祭、大いなる仮装行列 / 祇園閣・京都タワー・時代祭

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by office34 | 2013-12-25 09:07 | 街角の風景
2013年 12月 23日
祇園閣のキッチュ性 ~キッチュ愛(10)
また間隔が長くなってしまったが、祇園閣の話を続ける。文化財指定も受けており、非公開文化財の特別公開で数年に一度、公開される時にはけっこうな人気スポットになる建物が「キッチュ」という概念で捉えられるのかどうかという話である。キッチュの定義をめぐって煮え切らない長談義を続けてきたが、オーソドックスな理解でいえばキッチュなるものは近代社会の産物であり、イタズラにケバケバしいものといったあたりで理解できる。その一方でキッチュのキッチュたる所以である「ケバケバしさ」こそが大衆社会を象徴する要素であり、現代文明それ自体であるといった理解もある。そうなってくると、頭ごなしの否定は難しくなり、それどころか、油断していると肯定と否定がすぐに逆転してしまうことにもなる。したがってキッチュなるものの定義といった難問はひとまず脇に除けておいて、祇園閣がキッチュにあたるのではないかと感じた最初のところへ戻ってみる。

まず祇園閣の姿は異様に目を引くデザインであることは疑いがない。しかし、その異様さはどこから来ているのだろうか。山鉾の形から来るものなのか、それとも固定された建造物が山鉾を模しているという事実からなのか。あるいは井上章一氏が帝冠様式をキッチュと断じた根拠であるところの、取って付けたような和風テイストから来るものなのか。確かに祇園祭は、京都のシンボル的なイベントであり、山鉾はその代名詞でもある。しかし、山鉾の存在自体が美しいかどうかと問われるとどうだろう。歴史的なところを振り返っても美的センスの追求云々といった次元ではなく、鉾町に暮らす町衆の意地や虚栄が懸想品の豪華さを生み出していったのは事実だろう。より目立つもの、より豪華なものが求められていたのであれば、その先に生み出されてくるものは紛れもないキッチュである。祇園祭それ自体にキッチュ性が見いだされるとすれば、その華やかさないし繰り出される山鉾の豪華さを建造物に再現しようとする発想は、紛れもなくキッチュ志向である。見る者を驚かせるというニュアンスでいえば、楳図かずおのまことちゃんハウスに通じるものがあるのかも知れない。

なお祇園閣のキッチュ性を問うのであれば、その誕生秘話は紹介するに値する。大雲院の所有となっている祇園閣は、もともとは大倉喜八郎が晩年に建造したものであるのは、多くのガイドブックが紹介するところである。大倉財閥の創始者であり、日本近代を代表する政商、大倉喜八郎である。そうした事実だけで成金臭をかぎつける向きもあるが、こと祇園閣一つを取り上げてみれば、実は絵に描いたような成金ぶりが発揮されている。『鯰 元祖"成り金"大倉喜八郎の混沌たる一生』という本がある。喜八郎の息子、大倉雄二氏の著作である。サブタイトルにも現れているように無条件な礼賛に満ちあふれた偉人伝ではない。また同時代のルポライターがスキャンダラスに描く筆致とも違い、微妙な風合いを醸す喜八郎伝となっている。その中に、晩年のエピソードで祇園閣の一件が紹介されているのだが、描く対象と筆者との間合いが感じられる一節でもあるので、長めに引用してみる。
 喜八郎はいつのころからか、京都東山区祇園の円山公園に隣接する一帯、約五千五百坪を所有していた。通称真葛ヶ原といい、京都全市を一望のもとに納める高台である。
 ここを手に入れたのは、伊藤博文公の記念に神戸市へ大倉山を寄付したあとに違いない。京都に別荘を持つことが明治期の富豪のステイタスシンボルであった。山県有朋はもちろん、多くの貴顕富豪がこの地に洒落た庵を結んだ。のちに彼は、そのうちの二千坪を宅地にする。苔寺を模して杉苔を敷き詰めた庭には振りのよい赤松が風に鳴り、風雅な建物の蔀戸越しに東山が見え、杉戸を開けば鞍馬石のつくぱいの陰に微かな流れの気配がする。春はウグイスが啼き秋は雁が渡る。
 万事、源氏物語絵巻風なのは夫人の好みである。八十歳代にこれを建てた喜八郎は、ここを将来の隠居所にするつもりでいた。
 設計したのは日本建築界の草分け、伊東忠太である。ある日、喜八郎は彼を自宅に呼んで、別荘の敷地の中にこういうのを建ててくれと言いだして伊東をびっくりさせる。
「わしは子供のとき、雨風の強い日に使いに出されて、土手を歩いていると傘がおちょこになった。あの形が、あなた、面白いと思いましてね」
「私もありますよ。ぼっという音と一緒に傘の柄に来る手応えがたまりませんでした。思い出しますなあ」
「そうですか、あなたもあれが面白いとお思いか。じゃったら、わしの望みを聞いてくださらんか」
 彼が伊東に頼んだのは、おちょこになった番傘を高い屋根に載せた塔であった。それをこの苔庭のある落ち着いた京風の屋敷内におっ建てて、「わしという男が生きていた印とわしの幼時の記念にしたいのじゃよ。どうですか伊東さん」、とにこにこ笑っている喜八郎の顔を見たとき、彼は開いた口が塞がらなかった。
 一度言いだしたらそれが絶対命令の彼をよく知っているから、珍妙な石膏模型を造って彼に見せた。たぶんできるだけ恰好の悪い、どうやらオブジェのような見ただけでおかしくなりそうなのを造って見せ、「これはいかん」と言わせてそのプランは中止になった。
 しかし、喜八郎がおとなしく引き下がるはずはない。きっとまたへんてこな注文を出してくるぞと言っているうちに、研究室にまた電話がかかってきた。
 今度は、祇園の山鉾をそのまま建築にして高い石積みの上に二層の展望台を造り、京都名物にしたいと意気込んでいる。これは伊東も、前のよりはましだと引き受けた。
『鯰』(大倉雄二氏,文藝春秋社,1990)
真葛ヶ原に別荘を営むのはさておき、その庭にトンデモ物件を置こうとする発想に対しては好意的な評価は難しい。大倉雄二氏の筆に描かれる伊東忠太の反応も「伊東をびっくりさせる」「~開いた口が塞がらなかった」「またへんてこな注文を出してくるぞと言っているうち~」等々、喜八郎の依頼がトンデモ物件であったことを伝えている。この顛末は、喜八郎の追悼文集『鶴翁余影』によせた伊東忠太の文章が下敷きになっているわけだが、祇園閣の発端となった逆番傘タワーの計画は、今風の言葉でいえば、まさに"想像の斜め上を行く"ものだったようだ。そしてその逆番傘タワーはお蔵入りとなったものの、その延長線上にあって、まだ現実味の感じられるものとして出てきたのが祇園閣プランであった。とすれば伊東の判断で「前のよりはましだ」となったものであるにせよ、祇園閣も金持ちの道楽というか、成金趣味が炸裂するものであったことは想像に難くない。

ところで、喜八郎が第二案で出してきた山鉾風の楼閣に対して伊東が「前のよりはましだ」と判断したのは、帝冠様式が念頭にあったように思われる。井上章一氏に掛かれば、様式それ自体がキッチュとのレッテルを貼られるのだが、和風を前面に主張する近代建築は当時の伊東にとっても身近に感じられるテーマだったに違いない。

こうやって見てみると、モチーフとなった祇園祭にもキッチュに通じる属性があるだけでなく、祇園閣実現への局面の一つひとつにキッチュ性もしくはキッチュに隣接するなにがしかの要素が見て取れる。




【キッチュ愛】
祇園閣とキッチュ / 俗悪・バッタもん・キッチュ / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(1) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(2) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(3) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(4) / 建築様式とキッチュ / 京都の近代建築 / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(2) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(3) / キッチュの大衆親和性 / 祇園閣のキッチュ性 / 祇園閣から京都タワーへ / 京都タワー擁護論 / 本物でないということ / 時代祭、大いなる仮装行列 / 祇園閣・京都タワー・時代祭

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by office34 | 2013-12-23 18:43 | 街角の風景
2013年 11月 28日
建築様式とキッチュ ~キッチュ愛(7)
東山の祇園閣に関連して「俗臭」という言葉を用い、「キッチュ」という言葉へ発展させたばかりに、言葉の本義を確認せねばならなくなった。それでしばらくグリーンバーグの「アヴァンギャルドとキッチュ」にこだわってきたわけだが、あいにくグリーンバーグの時代とは社会環境が大きく変わっており、いま現在使われているキッチュという言葉の説明には馴染まない。キッチュという言葉を用いてグリーンバーグがアプローチを試みたのは、大衆文化が急速な成長をみせた1920年代のアメリカ社会あるいはヒットラーやスターリンの台頭を招いた1930年代のヨーロッパ社会である。言葉自体は、特定のニュアンスを帯びて現代にも生き残ってはいるが、グリーンバーグの使い方とは意味するところも変わってしまっている。それでもグリーンバーグのキッチュ論は文化の大勢に関する世界史的な視点を提供しているのは確かであり、現代的なニュアンスでいうところのキッチュを棚上げにすれば、1928年(昭和3年)に建造された祇園閣の性格を照らし出す手がかりになる。

こうした視点は、もちろんのことながら、当初から思い描いていたものではない。当初の見込みは、祇園閣の見てくれが金満趣味全開で俗っぽいものだから、キッチュという言葉から切り込めるのではないかというものだった。ひと月ほど前までは、キッチュ=ケバケバしくてチープなものという理解だったから、そんな見取り図を描いていたわけだが、それは見込み違いだった。しかしキッチュという言葉が文化現象全般で使われるだけでなく、とりわけ建築の分野で取り沙汰されることが多く、なおかつ日本における1920年代後半からの時代的特異性とも結びつきやすそうなので、想定外の形とはいえ祇園閣へ帰ってくることとなった。

具体的に見ていこう。建築におけるキッチュ志向は、グリーンバーグの文章にも見られる。第四節でムッソリーニがモダニズム建築を信奉しているかのように装いつつ、いつの間にか「新帝国様式」を主張するようになったのを、
(当初モダニズムを推奨していたのは)多分、ファシズムは仕えている裕福なエリート層の趣味に従いたかったのであろう。とにかくムッソリーニは、後日その支配者の文化的趣味よりもイタリア大衆のそれを満たすほうが自分に役に立つであろうと気づいたようである。大衆には、賞賛と驚異の対象をあてがわなければならない。支配者層は、そういうものはなしで済ますことができる。だから、いつの間にかムッソリーニは「新帝国様式」を表明するのである。
藤枝晃雄・編訳『グリーンバーグ批評選集』より
と説明する。ここでいう「新帝国様式(new Imperial style)」は、専門家の間で普通の使われている建築史の術語なのかどうか、詳しくは知らない。しかしナチスが主導した「第三帝国様式」のイタリア版とみておいて間違いあるまい。「第三帝国様式」に関しては、井上章一氏『戦時下日本の建築家-アート・キッチュ・ジャパネスク』(朝日選書、1995年、朝日新聞社)には「ナチス・ドイツがさかんに宣伝させた建築様式」との説明がある。そしてナチス政権下でのドイツでは「ナチス体制によりドイツの国家は生まれ変わる。世界に冠たる大帝国へと変貌する。このイメージを内外の人々に植え付けようとして、建築によるプロパガンダを断行した」とのことであるが、その際に採用された様式のことのようである。さらに詳細については「クラシック建築からディテールを削ぎ落とし、その骨格を前面に押し出した様式、いわゆる新古典主義に属する様式」ともされているのだが、要するに威圧的な荘厳さを演出した建築様式のことと解釈しておけばいいだろう。

見る者を圧するごとくの建築物を用いてプロパガンダを行うのは、教養のない大衆はビジュアル的に壮大なものに靡きやすいとの認識があってのことであり、グリーンバーグがくり返し指摘する構図とも合致する。またキッチュの話を始める最初のところで紹介した『文芸用語の基礎知識(88五訂)増補版』の記述「【発展】これが次第に、ナチ時代の醜悪な新古典主義的な建築様式で、しかも大衆の感動を糾合しうるような、コケオドシの美に対しても用いられるようになった」(参考)は、まさにこの点を念頭においてのことである。

さて、世界史的にも見いだしうるこうした見てくれの派手さを現出せしめたのが、キッチュに向かう大衆嗜好だったとするならば、昭和初期の日本はどんな状況にあったのだろう。この点が『戦時下日本の建築家-アート・キッチュ・ジャパネスク』で井上章一氏が分析を加えた問題であり、同時に当方の課題である祇園閣に直結する事柄である。

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花灯路でライトアップされた祇園閣(2008年)






【キッチュ愛】
祇園閣とキッチュ / 俗悪・バッタもん・キッチュ / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(1) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(2) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(3) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(4) / 建築様式とキッチュ / 京都の近代建築 / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(2) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(3) / キッチュの大衆親和性 / 祇園閣のキッチュ性 / 祇園閣から京都タワーへ / 京都タワー擁護論 / 本物でないということ / 時代祭、大いなる仮装行列 / 祇園閣・京都タワー・時代祭

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by office34 | 2013-11-28 06:21 | 街角の風景
2013年 11月 27日
とある京都タワー
こういったアングルも、まあ悪くはない。
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別に深い意味があるわけではないが・・・・
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by office34 | 2013-11-27 00:40 | 街角の風景
2013年 11月 12日
岡崎あたりの紅葉
気がつくと、疏水べりはそれなりの色合いになってきているようだ。個人的には慶流橋からの眺めが気に入っていたりするので、それを貼ってみる。あと、オマケで神宮道の銀杏と三条通のハナミズキ。

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今回もキッチュはお休み・・・第三節はアヴァンギャルドとキッチュの関係みたいな話になっていて、面白いのだが少し充電が必要になるかも。
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by office34 | 2013-11-12 18:55 | 街角の風景
2013年 11月 08日
駅ビルに映る京都タワー 付・アクアファンタジー
“キッチュ”ネタはちょっとお休みしておいて、今日は繋ぎのコネタ……

JRの京都駅ビルは、その鏡張りの外壁に京都タワーが映り込むように設計されているとか。しかし、厳密にはタワーの全景がきちんと見えるわけではなく、場所によっては上部の展望室の部分だけだったり、逆に展望室を欠いた首の部分だけだったりと、どうも煮え切らない。もちろん、タワーを映すことを何よりも優先させたわけではないのだから致し方なのだが、あちらこちら歩き回って探してみると、どこかに全景がきちんと映り込んだ景観を楽しめるスポットがあったりするのだろうか。

で、京都タワーといえば、アクアファンタジーとの組み合わせを狙う習慣が付いてしまっているわけだが、駅ビルに映り込んだタワーとの組み合わせはどんな具合だろう。

ということで、試しの2~3枚

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手ぶれを防ぐべくセルフタイマーで狙ったら、タイミングが狂ったパターン

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噴水とうまくシンクロできても展望室がないと、まったく物足りない

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せめて展望室ぐらいはと考えて場所を変えると、今度は噴水とのコラボが……

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やっぱりオーソドックスにこのパターンかな

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by office34 | 2013-11-08 02:07 | 街角の風景
2013年 11月 02日
俗悪・バッタもん・キッチュ ~キッチュ愛(2)
深く考えずにキッチュという言葉を持ち出したものの、掘り下げてみると底が見えないくらいに深そうな気配がしている。原義で示されているケバケバしい俗悪趣味をいうまではいいが、その先の広がりが多岐にわたり、落としどころが見えてこない。
キッチュという言葉は、品物の形をさす場合もあれば、人間と物との関係を意味する場合もあって、必ずしも定義しやすい概念ではない。しかしキッチュは、ブルジョア社会のどんな地域、どんな文化にも生じる普遍的な現象であり、繁栄する社会でしだいに主役にのし上がってきた凡庸な人間の美的態度、生活術と結びついている。真正な芸術を俗化する点では反芸術に近く、無償的である点では現実よりも芸術に近い。キッチュは、文学、美術、建築、音楽など広範な領域にひろがるが、いわば陳腐な画一主義と創造的な作品の中間に位置するといえよう。したがって、驚異や奇矯さもひとつの特徴として含むが、さりとてそれによって現状を乗り越えていこうとする態度をもつわけではない。
『世界百科大事典』(項目執筆:多木浩二氏)
全文引き写すとたいへんなことになるので、とりあえず中核になりそうな部分だけを引いてみた。この難解な解説を是とするか非とするかはともかく、押さえねばならないポイントは消費社会や大衆文化を読み解く概念ということだろう。そして「真正な芸術」と対置される価値というのも大切だろうか。あるいは「驚異や奇矯さもひとつの特徴」というところもチェックした方がいいかも知れない。

「必ずしも定義しやすい概念ではない」とあるように、めぼしいポイントをピックアップしたところで、それらを満たして初めてキッチュに該当するといった方向にもっていくことはできない。当方の理解が大雑把すぎるのだろうか、複製のきかない1点モノでありながら、従来的な芸術の範疇に収まらない奇矯さで目を引くようであれば十分にキッチュの文脈で検討せねばならないからである。あるいは北野天神絵巻や風神雷神屏風画であってもオリジナルに対するレプリカの方に着目するならキッチュの要素を見なければならないはずである。

ともあれ、定義自体が途方も無く難しいのは確かである。しかし、これなら完全無欠のキッチュになるだろうというものを具体的に取り上げておき、そこから微妙に揺れの幅を広げていけば、いくらかはイメージも固まったくるだろう。

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まずはこれから。某大型店の免税コーナーで見かけたもの。あざといくらいに「日本らしさ」をアピールする飾り皿etc。他にも新京極の土産物屋に並んでいる金銀の糸で竜虎図を刺繍した掛け軸とか、その類いを挙げるのもいいだろう。これらはいうまでもなく工場で量産されるチープな商品である。“ザ・バッタもん”を示すに当たっては、こういったところから始めておけば、たぶん異論はないだろう。

このように、俗悪さを前面に押し出してキッチュを否定的なところから捉えようとすれば“ザ・バッタもん”がちょうどいいサンプルになるのだが、それではこの手の飾り皿に描かれている絵が、横尾忠則やアンディ・ウォーホール原画だとすればどうだろう。オリジナルで描いているわけではなくプリントものである。ケバケバしい色彩を使っている点では“ザ・バッタもん”に引けは取らないし、量産品という点でもキッチュの特徴は備えている。しかし、いわゆる“ザ・バッタもん”の飾り皿とは、微妙に違う扱いを受けるのではないか。あるいは横尾忠則やアンディ・ウォーホール「風」の原画だったらどうなるか。原画を描いたのは、実際のところ、どこの誰だか知らない絵師である。二束三文の手間賃との交換で、巨匠のタッチを模してはいてもパクリにはならないレベルの図柄を描いて云々。評価の確立している巨匠であればアートであり、そうでなければキッチュとするのだろうか。それなら、無名の絵師が秀逸な出来映えの絵を描いたとしたら……。横尾忠則にしても、ウォーホールにしても、それなりの習作時代があったはずだから、有名かどうかは本質的には関係ない(そうしたところでしか区別ができないのだとすれば、消費社会の病理を別な意味で指摘できるだろう)。こうしたケースを考え始めると、キッチュを否定概念で捉えるのであれば、アートとの線引きが困難になるのは火を見るより明らかである。キッチュの範疇に入るものでも、一概に否定ばかりではないといった方向に舵を切らねばならなくなるのは、こうしたケースが多々出てくるからだろう。

祇園閣や京都タワーの話に入る以前のところでかなり手間取っているが、もう少しキッチュの輪郭を整理してから本題に進むことにしたい。




どうでもいいけど文字ばかりだと味気ないので

アン・京都タワー
ドゥ・京都タワー
トロワ・京都タワー  ……先っぽが入らネェ!
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【キッチュ愛】
祇園閣とキッチュ / 俗悪・バッタもん・キッチュ / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(1) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(2) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(3) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(4) / 建築様式とキッチュ / 京都の近代建築 / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(2) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(3) / キッチュの大衆親和性 / 祇園閣のキッチュ性 / 祇園閣から京都タワーへ / 京都タワー擁護論 / 本物でないということ / 時代祭、大いなる仮装行列 / 祇園閣・京都タワー・時代祭

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by office34 | 2013-11-02 01:46 | 街角の風景
2013年 11月 01日
亀石救出大作戦
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九月の台風の折、上流から大量の土砂が流れてきた結果、出町のあたりでは川底がかさ上げされたらしい。それによって通常の水量でも飛び石(通称、亀石)が水没する状態となっていた。水深が浅くなって飛び石が水没という言い方にすると分かりづらいのだが、川底と飛び石との高低差がなくなって、普通の状態でも飛び石が水没している事態となったということである。

ところが昨日、出町柳を通り過ぎる際に眺めてみると川底を深くすべく工事が行われているではないか。飛び石の水没は、台風の直後に分かっていたことで、新聞にも載っていた。ただ、その記事が伝えるところによれば、水量が少なくならないと重機を川の中へ入れることができないので、作業は冬になるのを待って云々とのことであった。それに対して、十月末のこの時点で鴨川に2台のショベルカーが入って作業をしているところをみると、冬でなくても作業可能の状態になったということなのだろう。それはそれでメデタシメデタシなのだが、ふと気になったことが一つある。それは、この先、どういう作業をするのかということである。

昨日の時点では、亀石の近くを掘り下げて川底を深くしていたようだが、掘り出された土砂はすぐ近くに山となって積み上げられていた。亀の周りを深くしているのだなということは分かるのだが、そういった調子で川底を掘り下げたところで果たして効果があるのだろうか。あるいは、まだまだ作業は始まったばかりで、局所的にチョコマカやってるようにしか見えないだけで、実はかなりの長期戦が予定されていたりするのだろうか。実際のところ、以前の状態に戻すのであれば、相当の広範囲にわたって川底を低くせねばならないはずだから、土砂の山を方々に作ってまわって、改めてコンベアーでも設置して山を取り除くぐらいの算段でもあるのだろうか。詳細は分からないのだが、川を全面的に深くする作業だとすれば、二台のショベルカーで対処できるレベルではなさそうだ。

いっそのこと、現在の水位を標準と見なして、飛び石のそれぞれに下駄を履かせるというか、下に適当な大きさの石材を埋め込んで飛び石の丈を高くする方が簡単なように思わないでもないのだが、どうなんだろう。もちろんこれは素人意見であって簡単そうに思うのはとんでもない錯覚なのかも知れない。もしかすると、余分に堆積してしまった川底の土砂はすこしずつ下流へ移動しており、目視ではわからないくらいのスピードでもとの状態に戻りつつあるのかも知れない。そのため現状で水没しているからといって、慌てて下駄を履かせるようなことをすると2~3年後には亀石が水面から高く突出した状態に……なったりするのかも?

ともかく、この先、どういう展開になるか興味深いところである。



ちなみに、こちらが水没した亀石(10/16)
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通常の亀石(2010.10)
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暑い盛りはこんな感じで人々が集う(2013.7)
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by office34 | 2013-11-01 00:15 | 街角の風景