Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2014年 02月 15日
曾根崎心中・道行き(通釈)
足取り重たげに歩く二人づれ。その姿はこの世に残す未練の現れか。けれども夜は更けて、二人に残された時は少ない。死出の道を歩む二人の姿を喩えるなら、それは化野の道にかかる夜の露、一足歩めばもう消えている。まるで夢の中で見ている夢のよう、はかなくも哀れな姿だった。

どこからか聞こえてくる鐘の音。数えてみると、夜明けをつげる七つの鐘、その六つ目が鳴り終えたばかり。されば残る一つはこの世で聞く最後の鐘ということか、迷いも消えてさぞや穏やかに聞こえよう。鐘ばかりではあるまい。目に留まる草も木も、空のありさまさえもこの世の見納めなのだ。しかし見上げてみると、夜の雲も静かな水音も、二人の思いなど知らぬげにいつもと変わらない。川面に映る北斗の光は荒涼としていて、あたかも天の川に妹背の契りを約しているように見える。もしこれが天の川だというのなら、目の前の梅田橋は銀河にかかる鵲の橋といったところだろう。この世での命が尽きたとしても、二人は夫婦の星となっていついつまでも夜空に輝くはず、来世はきっと寄り添うことができるはず、そう言って互いに寄り添っているのである。二人の間でこぼれる涙によって、川の水かさも高くなることだろう。

向こうに見えるのは何という宿か知らないが、二階では逢瀬を楽しんでいるらしい。灯りをともして今年の心中事件を品定め、賑やかにああだのこうだの言い合っているのだろう。そんな声は聞くだけで心も重くなる、といっても、意味も分からずに、昨日今日までは心中なんて他人事だと言っていたのも私たち。明日になると、そんな私たちが噂の種になって、はやり歌になるのでしょう。そう、歌うのならどうぞ歌ってくださいな。
聞こえるは「心中江戸三界」の歌、

(歌詞)どうせアンタは私を妻にする気なんかないんでしょ、私もアンタのことなんかどうでもいいと思っていたんだけど……

歌にあるとおり、いくら願っても嘆いても、世の中は思うにまかせぬことばかり。思いが満たされるはいつのことかと今日の今日まで過ごしてきたけれど、心が安まる夜もなく、加えて貴方が忘れられずに苦しむことになるなんて。

(「心中江戸三界」の続き) どうした縁があったやら、アンタが忘れられなくなったよう。それでも私を捨ててゆくというのなら、もう離しはしません。嫌ならアンタのその手で私を殺していってくやしゃんせ。離すまいぞと泣きつくと……

歌は他にもあろうに、よりによってその歌を、今日のこの夜に歌うなんて、どちら様が計らいか。無邪気に歌われるその歌を聞いているのは、これから死のうとしている私たち。歌になった恋人たちも、私たちと同じ気持ちなのだろうと、互いに縋りついて声も惜しまず泣いている。

いつもならさておき、今夜だけは少しでも長く続いて欲しいと思っているのに、夏の夜が短いのは当たり前。二人の心もせわしくなり、追い立てるような鶏の声も聞こえる。夜が明けると、つらくても天神の森で死のうと梅田堤を歩み行く。ここかしこにたむろする烏どもは、朝にはこの身を餌とするのだろう。

今年は徳様も25歳で厄の年。私も19で厄年を迎えました。そんな二人が惹かれあったのは厄の祟りなのでしょうか、それとも深い縁の証なのでしょうか。あちこちに掛けてきた現世でのお祈りを、いまここで来世のご利益に廻しましょう。ぜひ徳様と同じ世に生まれ変われるようにしてくださいませ。

お初が廻す数珠の玉には涙の玉が加わっている。尽きぬ哀れがあっても、まさに尽きようとする二人の命であった。ほの暗い空の下、暗澹たる思いで歩き続けて二人はついにやってきた。風も突き刺すようなその場所が天神の森である。どこで死のうかと草を払ってみるも、飛び散る夜露が我らより先に消えてゆく。無常の世の中はまさしく夜露か稲妻か。
と思ったその時、人魂が二人の傍らを飛びすぎる。

(お初)ああ、怖い、今のは何なの
(徳兵衛)あれが人魂よ、今夜死ぬのは我らだけと思っていたが、先立つ人がいたらしい。どなたか存ぜぬが死出の山をともに行くことになるのだろう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……

そう言って徳兵衛が念仏を唱えていると、もう一つ人魂が飛ぶ。
(徳兵衛)おお悲しいかな。また一人旅立ったのか、南無阿弥陀仏。
女は愚かしくも涙ぐんで、
(お初)今夜は人が死ぬ夜なのでしょうか? なんて不吉な夜なんでしょう
と涙を流す。男もまた涙して言う。
(徳兵衛)二つ連れ添って飛んだ人魂を他人のものとお思いなのかい、あれはまさしく我らが魂よ。
(お初)ええそんな、じゃあ私たちはもう死んでいるのですか?
(徳兵衛)普通なら身体から抜け出してゆく魂をつなぎ止めようと嘆きもしよう。でも今は最期の時を急ぐ身。どこへ飛ぼうと、二人で魂の在処を一つにしておこう。道に迷うなよ、踏み違えるなよ。

そう言うやいなや、徳兵衛はお初を抱き寄せて肌をあわせる。そうしてがばっと伏せて泣きあっている二人の心は、不憫でならない。

流した涙が描く糸を結ぶことができるのなら、二人はきっと結び松にするだろう。いまは境内にある相生の棕櫚を連理の枝に見立てて、そこに永久の契りを誓うばかりである。そして露のごとく儚い身をこの場所で終えようと決めたのだった。 「さあ、ここで死のうか」そう言って徳兵衛が上着の帯を解いて枝に掛けると、お初も染小袖を棕櫚の上に掛ける。美しい箒にも似た棕櫚の葉は、さながら浮世の塵を払うためのもののようにも見える。

その時、お初は袖から剃刀を取り出した。
(お初)追っ手がかかった末に引き離され、徳様だけを死なせて私が生き残るなど、そんな恥ずかしい評判が立たないように剃刀も持ってまいりました。でも望みが叶って同じ場所で死ねるとは、なんと嬉しいことでしょう。
(徳兵衛)おお、それは頼もしい心がけ。そこまで冷静でいるのなら、最期の瞬間も案ずることはあるまい。しかし今際の苦しさからのたうち回って見苦しい死に姿をさらすのも口惜しい。この相生の棕櫚に身体を強く結びつけ、ふたり抱き合って潔く死のうではないか。世に類いない死に様の手本となってみせようぞ。
(お初)そういたしましょう。

なんということか、お初を美しく飾るはずの浅黄の小袖にしても抱え帯にしても、死出の道具にするつもりで誂えたのではあるまいに。帯を両方に引っ張って剃刀をあてると、帯は二つにスッと裂ける。

(お初)帯は裂けても徳様と私の間が裂けることはありません。
二人はその場に腰を下ろして互いの身体をその帯で二重三重に強く結びあった。
(徳兵衛)よく締まったか。
(お初)ええ、しっかと。

お初と徳兵衛、二人は互いの死に行く姿を見つめ合い、情けないなれの果てよと言葉を交わす。そして声をあげて泣くばかりである。
ああ、泣くまいぞと徳兵衛。顔を上げて合掌する。
(徳兵衛)私は幼い時に父母と死に別れ、叔父でもある親方の世話になってきた。あれこれ面倒もかけ、やっと一人前になったのに、育ててもらった恩に報いることもなく、そればかりか、死んでからも難儀をかけるとは、言葉に余る不忠者、どうか罪を許してくださいまし。冥途におられる父母には、ほどなくお目にもかかることになろうから、ぜひお迎えにきていただきたい。

そう言って涙を流す徳兵衛を見て、お初もまた手を合わせる。

(お初)徳様は羨ましうございます。冥途に行けば親御様に会えるとのお話。それに比べ、初の父様母様は元気でこの世に暮らしておいでのお方。この次にお会いできるのはいつのことになるのやら。田舎の便りは、この春に頂いたけど、お目にかかったのは去年の秋のこと。私と徳様の心中は噂になって明日には国許にも届きましょう。そうすると父様や母様はどれほど悲しまれるやら。親たちに対して、兄弟たちに対して、これからお別れをいたします。もしも心が通じるものならば、どうか私の姿を夢にも見てくださいまし。ああ、懐かしい母様、名残惜しい父様。

お初がしゃくりあげながら大声で泣くので、徳兵衛も堪えきれなくなる。涙も枯れるばかりの悲しみ、その哀れさといえば、訳を問うのも愚かなほどにもっともなことである。

愚痴はいつまで続けていても始まらない、はやく殺してくださいましと、覚悟を決めたお初が最期の時を急ぐと、徳兵衛も承知と答えては脇差をするりと抜き放つ。

(徳兵衛)よいか、お初!
(お初)南無阿弥陀、南無阿弥陀、

そうは言ってもこの年月、愛しいの可愛いのと言って抱きしめてきた肌に刃を立てられるはずはない。目の前はまっくらになり、手も震えて狙いが定まらない。くじけそうになる心を励まして柄を握り直すも、手の震えはいっこうに治まらない。急所を突こうにも切っ先は右へ左へと流れるばかり。二度三度と虚空にむなしく燦めく剣の刃。

その時、一撃がお初の喉笛に当たる。あっと叫ぶも徳兵衛の刃は女の喉に立った。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、口は念仏を唱え続け、手は繰り返して女の喉をえぐる。お初の腕先より力が消えて、両の手がだらりと広がった。あとに漂うは断末魔の苦しみ、もはや哀れと言うも、言い尽くせるものではない。

遅れはすまい、一息で決めようぞ、とばかり徳兵衛は自らの喉にお初の持っていた剃刀を突き立てた。柄も折れるがよい、刃も砕けてしまえとの勢いで喉をかき切れば、すべては闇へと消えていった。かすかに残っていた苦しみの息づかいも、朝が訪れる頃には知死期に合わせて失せていったのだった。

誰が触れ廻ったのか知らないが、曽根崎は天神の森に吹く風の音のごとく、お初と徳兵衛の悲しき道行きは世に語り広められた。若い命を賭して貫いた恋の道、そんな二人の心は世のあらゆる人々を救いに導いてくれる。この世で報われずとも、未来いずれの世にか成仏できる時が来る、まさに疑いなき恋の手本となったのである。


原文と対照版(PDF)
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# by office34 | 2014-02-15 01:07
2014年 02月 13日
曾根崎心中・道行き
“曾根崎心中”を知っているかと問われると、たいていの人は「知っている」と言うに違いない。しかし、ほとんどは「作品のタイトルなら知っている」の地点で留まっているのではないだろうか。もちろん、中には奇特な人もいる。文楽の上演を見たことがある人もいるだろうし、大学は文学部、専攻は日本の近世文学といったケースなら否が応でも近松の作品と向き合わざるを得ない。だがそうした人々を含めるにしても、いわゆる世間一般なるものを想定すれば“曾根崎心中”とまともに向き合ったことのある人は少数派になると思う。当方もその少数に入らない側、すなわち当たり前のようにタイトルは知っているものの中身は詳しく知らない側である。

しかし“曾根崎心中”のクライマックスでもある道行きは、名文との評判も高い。そんな評価自体は何度か耳にはしていたが、それでもかの道行き自体を読んだことがあるかというと、実はこれもNONであった。だが、それではいくらなんでも寂しすぎる。ということで、このほど一念発起、道行きのくだりぐらいは原文で読んでおこうと思って手を出したのだが、やはり難しい。この際、古文単語や古典文法がどうこうというのは措いておこう。そういったところは一応は理解できているつもりなのだが、その上でやはり近松は読みづらいと思う。単に読み慣れていないからだと言われると、そうかも知れないのだが、要するに浄瑠璃の台本、その独特の書き方がどうにも敷居が高いのである。ためしに岩波文庫からのコピーを貼ってみる。

a0029238_4595422.jpg

まずパッと見てわかるように、本文とは別の情報が書き込まれていて読みづらい。「フシ」とか「中」とか「スエテ」とか、小さな文字で添えられている箇所である。専門的な知識は持ち合わせていないが、これらは場面の展開や語りの口調を指示する記号といえばいいのだろう。つまり、上演にあたって必要になる情報である。しかし、道行きを文章として読もうとすると、これらの記号はどうにも目障りでならない。もちろん、これらを機械的に削除してしまうと、何を書いているのがまったく分からないシロモノになってしまうのだが、だからといって、こうした記号も併せて読むのは、なかなか高度なテクニックが求められる。

これは浄瑠璃台本の表記形式の問題であり、いわば入口である。そこでつまづいているわけだから、あとは推して知るべしといったところか。たとえば浄瑠璃の特徴としてよく指摘される台詞と所作の一体性といったあたりはどうだろう。浄瑠璃と言っても、かみ砕いてしまえば人形劇の台本だろうと言うムキもあるのだが、現代劇の脚本と同列に考えていると理解なんかできたものではない。それを端的に示すのが、台詞と所作が一体的に書かれている点である。現代劇の台本に引きつけて言うならば、登場人物の台詞としてカギカッコ付きで書かれねばならない箇所と、ト書きの部分とが、明確には区別されていないのである。ト書き(=地の文)のつもりで読んでいても、いつの間にか台詞となっていたりするし、その逆もある。

また、語り物ならではの文体という問題もある。たとえば道行きの最初の部分でいえば「この世の名残、夜も名残」となっているのだが、これは「名残」という語を重ねるのが眼目がある。観客の耳に届けられる印象が重視されることはあっても、厳密な意味での文意は存在しない。もし問われるとすれば、あとから適当に取って付けるしかない。いまあえて文章にするのなら
二人はこの世に未練を残すようにゆっくりと歩いてゆく。だが夜も更けて残された時はもう少ない。そんなわずかな夜も名残惜しいとでもいうような足取りなのである。
といったあたりだろうか。これは、いうまでもなく、文法どうこうの問題ではない。「名残」という言葉から連想を広げたうえで文章めいたものを作ったにすぎない。こうした操作は、実際の上演では「名残」という言葉を聞かされた観客が、舞台の情景を重ね合わせて、それぞれが勝手に頭の中で描くものである。したがって正解とか不正解とかが出てくるものでもない。冒頭の「この世の名残、夜も名残」ほど顕著ではないにせよ、似たような操作が求められる文章は所々に出てくる。そうすると、最初からそういった性質のものだと割り切っておかねばならない。そんなところにも、浄瑠璃本の読みづらさというものがある。

しかし、読みづらい読みづらいとばかり愚痴っていては、いつまで経っても読めない。“曾根崎心中”の道行きが名文だというのなら、その名文たる所以にも接してみたいものである。そんな方向に切り替えるとすれば、今度は、どうすれば読みやすい形に整理できるかが問われるはずである。そうした視点に立つと、全体を通してリズミカルに書かれている点は大きな強みとなってくる。語り物の文体ならではの読みづらさが一方にあるにせよ、それと同時に、語り物ならでは読みやすさというものもある、ということである。この道行きについていえば、全体が七五調ベースで書かれているのは大きい。先に貼っておいた岩波文庫のコピーのような形で突きつけられると、それだけで立ち眩みも感じてしまうのだが、そこから分かりづらい記号を取り除いて、さらに七五調で改行するとどうだろう。
この世の名残 夜も名残
死にに行く身を 譬ふれば
あだしが原の 道の霜
一足づつに 消えて行く
夢の夢こそ あはれなれ
あれ数ふれば 暁の
七つの時が 六つ鳴りて
残る一つが 今生の
鐘の響きの 聞き納め
寂滅為楽と 響くなり
鐘ばかりかは 草も木も
空も名残と 見上ぐれば
雲心なき 水の音
北斗は冴えて 影映る
星の妹背の 天の川
梅田の橋を 鵠の
橋と契りて いつまでも
われとそなたは 夫婦星
必ず添ふと 縋り寄り
二人が中に 降る涙
川の水嵩も 増さるべし
錯覚のなせるワザかも知れないが、すごく読みやすくなったようだ。ここへ漢字にはふりがなをふり、段落をわかりやすくするetcの操作があれば、もう少しわかりやすくなるはずである。

もちろん、浄瑠璃本の形式や語り物ならではの読みづらさはそう簡単にクリアできるものではない。しかし、試みの一つとしては、こういうのがあってもいいと思う。


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[いい加減な凡例]
・改行は七五調に適合させるためのものである。
・台詞は、文字サイズを小さくし、行を下げて、文字色も変えた。男(徳兵衛)の台詞を青、女(お初)の台詞をピンクで示している。
・地の文スタイルを保ちつつ、内容や単語が台詞っぽい箇所は、文字サイズは変えずに、字下げを施して、文字色を変え、イタリックで示した。(2頁目「誠に今年は~」など)
・台詞から地の文の移行は、文字色とサイズを変えて示した。台詞の後ろに付いている灰色小文字の「と」や「と言ひければ」がそれ。
・1頁目の「どうで女房にや~」と、2頁目の「どうしたことの~」は当時の流行歌。




なお現代語での解釈は「#曽根崎心中」のサイトが非常に参考になる。
同サイト内の現代語訳のページ
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# by office34 | 2014-02-13 05:15
2014年 02月 11日
漢字の読み方
「徳兵衛」

普通に考えれば、「とくべえ」でいいはずである。しかし本当にそうなのか?とツッコまれると、実は心許ない。

というのも、必要があって曾根崎心中の道行きを触っていたところ、岩波文庫の「曾根崎心中・冥途の飛脚」に付されたふりがなに「徳兵衛(びやうゑ)」となっている箇所を見つけてしまったのである。凡例に従えば、底本で使われている平仮名表記をふりがなに使っていることになるのだが、だとすれば底本は「徳びやうゑ」との表記になっているはずである。

もちろん、表記が「徳びやうゑ」であったとしても、そのことがストレートに「トクビョウエ」との読み方を意味するわけではない。「徳びやうゑ」との文字列を「トクベエ」と発音していたとも考えられるからである。「兵衛」の語源には律令の官庁名があることは確かである。「兵衛督(ヒョウエノカミ)」「兵衛佐(ヒョウエノスケ)」といった通名が背景にあり、そこからいつしか個人名に「兵衛」が使われるようになったものだろう。そうすると問題は、慣用的に使われるようになった段階でも「ヒョウエ」という発音が残っていたのか、それとも訛りきって「ベエ」と読むのが普通になっていたのかというあたりだろう。

古い時代の表記と発音の問題なので、証拠探しは出来そうにない。ただ「徳びやうゑ」と書かれている文献があるのは事実なので、「徳兵衛」を何の疑いもなく「トクベエ」と読むことには、わずかながらでも警戒心をもっておいた方がよさそうだ。

とはいえ、話を曾根崎心中に限定し、かつ現時点での読み方というのなら、ためらわずに「トクベエ」とせねばならないのは言うまでもない。

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# by office34 | 2014-02-11 06:03