Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
■■NOTICE■■
記事の写真(含・画像)は縮小表示されています。
写真をクリックすれば別ウィンドウが開き、原寸でごらん頂けます(別ウインドウのサイズは手動で調整してください)。
別ウィンドウは写真上でクリックすると自動で閉じます。
about 京都クルーズ
本丸はこちらです。


カテゴリ
検索
以前の記事
タグ
その他のジャンル
最新の記事
京都景観賞
at 2014-02-23 23:05
仁丹町名看板「下椹木町通千本..
at 2014-02-21 19:58
レプリカ仁丹
at 2014-02-19 14:18
曾根崎心中・道行き(通釈)
at 2014-02-15 01:07
曾根崎心中・道行き
at 2014-02-13 05:15
漢字の読み方
at 2014-02-11 06:03
鬼めぐり
at 2014-02-08 14:26
鬼の話
at 2014-02-05 23:22
献灯の刻名 ~山国隊(6)
at 2014-01-31 23:29
葵公園
at 2014-01-29 02:24
山国隊スタイル ~山国隊(5)
at 2014-01-22 21:34
鏡ヶ原 ~山国隊(4)
at 2014-01-20 23:17
桜色?
at 2014-01-18 23:39
戊宸行進曲 ~山国隊(3)
at 2014-01-16 20:50
雪の木の根道
at 2014-01-12 16:55
山国隊灯籠 ~山国隊(2)
at 2014-01-09 19:01
山国隊(1)
at 2014-01-07 22:03
祇園閣・京都タワー・時代祭 ..
at 2014-01-04 03:43
時代祭、大いなる仮装行列 ~..
at 2013-12-30 16:58
本物でないということ ~キッ..
at 2013-12-28 15:48
なんとなく四字熟語
推奨ブラウザ
・Mozilla Firefox
・Google Chrome
・Opera

インターネットエクスプローラではコンテンツの一部が正確に表現されない可能性があります。
タグ:上賀茂神社 ( 13 ) タグの人気記事


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
2013年 09月 16日
見返りの桐
「見返りの桐」とは、上賀茂神社で行われる神事の一つ、「競べ馬」でいくつかの所作をなす目印とされるもので、ほかに「馬出しの桜」と「勝負の楓」がある。その「見返りの桐」だが、2009年の台風18号では上部の大枝が折れてしまった。当時は、上賀茂神社で巨木が折れる被害があった云々との形でニュースにもなったのだが、実際にみてみると、木が折れたのではなく、枝が落ちたに過ぎなかった。それでも、比較的、大きな枝だったので話題にもなったようである。

そこで今年2013年の台風18号である。桂川が氾濫して嵐山水没云々とのニュースが流れており、ツイッターなどでも増水した鴨川の様子などの報告が挙がっている。そうしたところからみると、雨被害が著しかったことになっているのだが、上賀茂界隈では風の影響の方が大きかった。それを端的に示すのが上賀茂神社の「見返りの桐」である。2009年の時と同じように上部の大枝が折れて落ちたようだ。

a0029238_22265283.jpg

遠目からでは分かりづらいが、写真をよく観察すると枝が折れて内側がむきだしになっている箇所もわかる。2009年の方がもっと太い枝のようなので、並べてみると、たいしたことではあるまいとの印象なのだが、上賀茂神社ではこんなことがありましたという報告程度にはなるだろう。

ちなみに、こちらは2009年の時のもの。
a0029238_22278100.jpg

[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2013-09-16 22:30 | 街角の風景
2012年 05月 15日
葵祭2012
五月十五日は葵祭の日である。もし朝からスカっと晴れていたら、そんなことにも気づかずに一日を過ごしたことだろう。そして夜のニュースあたりで「たくさんの観光客が優雅な王朝絵巻に見とれていました」とかいった具合の、取って付けたようなコメントを聞いて、ああそういえば今日が葵祭だったかなと思ったに違いない。当方にとっては、それくらい、どうでもいい祭事なのである。

a0029238_2335945.jpgところが今日は朝からの雨模様。そうなると普通なら意識を過ぎることもない葵祭のことが気になってくる。いわゆる天邪鬼根性がムクムクと動き出すというヤツだ。昼過ぎに観光協会のサイトで確認してみると、案の定、雨天順延の告知が出ている。続いて京都新聞のサイトをみると、15年ぶりの延期だとか。

そうしたことが分かると、心の天邪鬼はさらに活性化するらしい。例年どおりのイベントならどうでもいいのだが、雨で順延となったら現場はどうなっているのだろうということが気になってくるのである。というわけで、本来なら行列が到着する頃を見計らって上賀茂神社へ出向いてみた。

a0029238_025107.jpg
まず目に留まったのは、中止だろうとなんだろうとお構いなしにやってきているツアーバスがけっこう多いという事実。上賀茂神社前の駐車場には3~4台ほどの大型バスが駐車されていた。また何の行事もない日に比べると、境内の人出も格段に多いのを見ると、中止を知った上でのツアー客がそれだけの数がいたということなのだろう。行列、つまり路頭の儀は当日の朝に空と相談して催行か延期かの決定もできるが、ツアーの方はそうはいかないらしい。もちろん、申込みを受ける段階で雨天順延の可能性もありますがそれでも15日にツアーが実施されますと断っているのなら問題はないことである。それに、イベント自体が無くても、祭りの前日ということでそれなりに見どころはある。たとえば舞殿の飾り付けなど。祭儀用の簾が掛けられ、そこに賀茂社のシンボルである双葉葵が飾られる。いかにも葵祭の日なんだと実感させられる眺めである。
a0029238_0251798.jpg
木製ベンチの有料席も雨ざらし、明日までに乾けばいいが……

また延期となる前提としては、その日が雨だからなのだが、雨なら雨の日らしい見どころもある。茅葺き屋根と雨の取り合わせだの、雨露に濡れる青モミジだの云々。そんな中、モミジの種なるものがあることに気づいた。というか、まわりの人たちが、そう言っていたので、当方も覗いてみただけのことなのだが、春から初夏にかけてモミジの木に注目していると、目に留まるシロモノらしい。そんなものがあること自体、知らなかったので、ちょっと得した気分である。ともあれ、久しぶりに葵祭とまともに向き合ってみたかなという一日だった。
a0029238_2373691.jpg
右端に写っているプロペラや竹とんぼに喩えられるものが「種」らしい

【おまけの1枚】
a0029238_0315788.jpg
そんなに早くから染まらなくても……

[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2012-05-15 23:12 | 京都本・京都ガイド
2012年 04月 05日
紫式部歌碑@上賀茂神社
a0029238_22511255.jpg

先に上賀茂神社を訪れた際、境内に紫式部の歌碑が設置されていることを知った。刻まれているのは
ほとヽきす声まつほとは片岡の杜もりのしつくに立ちやぬれまし
(ほととぎすの声が聞こえるというけど、ちょっと時間がかかりそうだ。朝露に濡れて恋人を待つという古歌にあるように、いっそのこと片岡の杜で露に濡れていようかな。)
という一首で、碑が置かれたのは平成二十年。つい最近のことのようだが、仕掛け人は京都北ライオンズクラブらしい。この歌は、紫式部の家集『紫式部集』に「賀茂に詣でたるに、ほとゝぎす鳴かなむといふあけぼの、片岡の梢をかしう見えけり」という詞書きのある一首である。詞書きにもあり、また歌の中にもでてくる「片岡」なるものが境内摂社の片岡社かたおかしゃを指すとの理由から、この歌の碑が上賀茂神社の境内に置かれたようだ。

この「片岡の杜」と、現在の楼門前に祠のある片岡社が、厳密な意味で重なるのかといったところを突っつき始めると、ややこしい問題が出てくる気もするが、歌の詞書きに「賀茂に詣でたるに」とある以上、賀茂社関連の一首である点は動かない。また現在の片岡社とのつながりはともかく、「片岡の神」が上賀茂神社のあたりで祀られていたようなので、詞書きにいう「賀茂」を上賀茂神社と考えることについてもおおよそ問題はない。したがって上賀茂神社の敷地内であれば、この歌を刻んだ碑が置かれていても不思議ではないことになる。ただ紫式部の歌碑という点についていえば、少しこだわってみたいところもある。

紫式部歌碑といっても、『源氏物語』の作中和歌なら、宇治を中心にたくさん思いつく。ところが『源氏物語』を別枠に括ってしまうと、紫式部歌碑なるものは存外、少ない。紫式部邸だったとされる廬山寺に歌碑が置かれたのが一九九五年のことなのだが、それ以前は京都に紫式部歌碑なるものはなかったのではないだろうか。紫式部ぐらいのスーパー知名度の人なのに歌碑の対象となってこなかったのは、そもそもこれ如何にというわけである。

歌碑を置く動機として、おそらく一番大きいのは歌を通して作者を顕彰するというものだろう。そのケースでは、歌人として名を為した人の作品を、同人や弟子筋などの関係者が碑にしてあがめ奉るとパターンが多くなるようだ。それに対して、まったくの過去の人が主役として呼び出されるのは、どういう動機だろう。その人が誰もが知る著名人であることが前提で、その名声にあやかって設置場所の意味合いをPRする狙いとでも言えばいいだろうか。紫式部歌碑などは、まさにこのケースにあたる。

それでは、なぜ廬山寺に設置されるまでは紫式部歌碑がなかったのだろう。思うに、これは『源氏物語』の存在があまりにも大きすぎたことによっているのではないか。先に触れたように『源氏物語』の作中和歌なら、宇治にたくさんあるし、岡崎にもコジツケめいたのが一つ置かれている。そんな中で『源氏物語』はさておきと言われてしまうと、紫式部という名前の上には何も残らないという事態になってしまうのではないか。

京都を離れると、紫式部の人生の中で大きなエポックと見なしうる越前下向と絡めた歌碑が各地に見られる。なかでも越前市(旧武生市)には越前国府があったことにちなんで「紫式部公園」が設けられ、敷地内には歌碑だけでなく、金色の紫式部像まで建っている。そうした意味では紫式部の歌碑が存在しないという言い方は正しくない。だが紫式部の活躍のメーンステージとなる京都に紫式部その人に直結する歌碑がなかったのは、ある意味、面白い。

現代の短歌と異なって、古代の和歌からは個性の発露と呼べる要素が見いだしづらいは普通のことなのだが、それでも『源氏物語』を傍らに置いて『紫式部集』を評する文脈で「(紫式部は)虚構のベールをまとい、作中人物という隠れみのをまとって、はじめて内なる思いを自在に発露しえた」(岩波新大系本解説)というコメントが出てくるのは興味深い。『源氏物語』があって初めて、紫式部という人物の輪郭が描かれるのであって、紫式部という名前だけでは、その名前を誰もが知っていたとしても、姿は浮かびあがってこないということなのだろう。『源氏物語』を抜きにしたうえでの、紫式部歌碑がつい最近まで作られていなかったのは、そうした事情と結びつきそうな気もする。
[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2012-04-05 23:12 | 歌碑・文学碑など
2012年 04月 02日
上賀茂神社の願い筒
あちらこちらで桜の開花宣言が話題となっているようなので、京都はいかに?と思って調べてみると京都新聞「桜情報」、軒並み、つぼみで、咲き始めがちらほらといった程度。

例年が三月末あたりに開花宣言が出て、四月の第一週が一応の見ごろというのが相場なのだが、今年は一週間ぐらい遅れているようだ。といった次第で、まだ時期尚早との結論が出ているのだが、近場での確認ぐらいはしておこうとのノリで上賀茂神社を覗いてみた。

結果は案の定というか、見渡す限りの蕾の梢ばかりである。上賀茂神社は一応は京都における桜名所の一つにカウントされており、固有名詞のついている木が何本もあるのだが、これではどうにもならないといったところか。フライングをしている木がないわけでもないが、桜がお目当てなら、もう少し辛抱しなければならなそうだ。
a0029238_2372220.jpg
フライング桜と楼門


そんな中で、ふと目に留まったものがある。上賀茂神社のニューアイテムなんだろうか、「願い筒」なるものが売られていた。なんでも、願い事を書いた紙(「願い紙」というらしい)を筒に入れて、境内の木に結わえるとのこと。鰯の頭もなんとやらという言葉もあるから、その気になって信じれば気持ちも楽になるのだろう。

ここでふと思ったのだが、「筒に入れる」というのは、ある意味、現代的かも知れない。というのは、何をするにしてもプライバシーがどうのこうのいうご時世、お願いごとの一つをとっても他人様には知られたくないという風潮に合致していると思ったからである。そんなに深く考える事もないのかも知れないが、なんとなくせせこましいかなという印象がないわけでもない。確かに、御金神社(西洞院御池上ル)に大金を無心したり、藤森神社(深草)でWIN5ゲットを祈願したりするのは、あんまり知られたくない類のお願いだろうが、ここは上賀茂神社、そこまで浅ましい無理難題を神様に求めているとも思えない。とすれば、プライバシー重視の風潮に応えた新商品ということなのだろうか。ちなみに摂社の一つ、片岡社の絵馬は個人情報保護を前面に出していて、願い事を書いた上に貼り付けるシールも用意している。ここは縁結びを謳っているわけで、これについては、その手の秘匿シールが必要になる理由も分からないではない。

いずれにせよ、願い筒については、無神論者の当方は、なんか面白そうなものを売り出したなという程度にしか見えてこないのだが、一つ褒めるとすれば、この願い筒を結わえた枝は見映えがいいということだろう。

a0029238_2372990.jpg
願い筒と楼門

a0029238_23163995.jpg
願い筒をズームイン

[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2012-04-02 23:11 | 京都本・京都ガイド
2011年 11月 26日
上賀茂神社の秋
昨日は、源光庵があまりにも不快だったものだから愚痴ったれてしまった。そのお口直しというわけでもないが、帰り際に立ち寄った上賀茂神社の写真を数枚貼っておこう。全体的な雰囲気でいえば、紅葉のピークには至っていない。しかし、大原で見たのと同じように、単体レベルでは赤く染まっているものもある。そんな中で目に留まったのが、緑から赤への移行途上にある葉だった。

a0029238_23558100.jpg
上賀茂神社の紅葉は、楢の小川のものがベストか

a0029238_2355652.jpg
よくみると、染まっているの一箇所だけ

a0029238_2355727.jpg
秋色前線通過中

a0029238_023918.jpg
【オマケ】奉納された檜皮。これ見よがしに有名人の名前を……
[翻刻]
奉納   島村宜伸
佳きひとと良き出逢、   市田ひろみ
日本代表する女優さんになれますように   大島優子
豊川悦司
奉納   松平健

[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2011-11-26 09:00 | 街角の風景
2010年 09月 09日
戦利兵器奉納ノ記
 昨日、上賀茂神社の東に残された「戦利兵器奉納ノ記」について少し紹介した。その後、もう少し調べてみると、上賀茂以外の京都市内でもいくつか確認されているようだ。

 その一、北野天満宮。絵馬所の裏側に、同碑文を刻んだ砲弾が残されているとのこと。天神さんの絵馬所については、三十六歌仙絵馬を興味深く眺めたことはあったが、その裏にもまだ隠しアイテムがあったとは知らなかった。機会を改めて、また報告してみたい。

 その二、三宅八幡。報告に上がっている写真を見る限り、砲弾を埋め込んだ石碑のようだ。場所がややわかりづらいが、住所から判断すると三宅八幡宮の境内ということでいいのだろう。これもまた機会をつくって見に行ってみよう。

 なお「戦利兵器奉納ノ記」を刻んだ碑が各地にあることは、すでに知られていることのようで、それをまとめて紹介しているページもあった。

 ところで、北野天満宮や三宅八幡、あるいはその他の場所のものと比べると、上賀茂神社東側の石碑には決定的な違いがある。それは、肝心の奉納品が近くには見あたらないということである。「戦利兵器」、すなわち砲弾類は上賀茂神社の収蔵庫に片づけられ、石碑だけがこの場所に残された、あるいはもともとは境内の別の場所に設置されていたのだが、平和を謳う時代になって、砲弾は撤去、石碑だけが片隅へ移された、はたまた境内前の駐車場や道路の整備に伴って、現在のような場所に追いやられた、などなど、いくつかのケースが考えられる。これも追々の課題ということにしておこう。
a0029238_063227.jpg
写真では碑文がほとんど確認できないが、参考までに(写真クリックで拡大)。
[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2010-09-09 00:08 | 街角の風景
2010年 09月 08日
上賀茂神社横の石碑
a0029238_352123.jpg

 上賀茂神社の東側、民家の塀の脇に一基の石碑がある(写真クリックで拡大)。そこになんかあるな、とはかねてから気にはなっていたのだが、なかなか碑文を読んでみようという気にはならなかった。その所在があまりにも近過ぎて、いつでもできる、どうにでもなるとタカをくくっていたわけだ。そういうふうに、かなり嘗めて掛かっていた上賀茂神社横の石碑なのだが、いざ解読を試みると、けっこう手こずってしまった。表面の汚れによって文字の判読が困難になっているのが最大の原因なのだが、ポイントになる箇所で摩滅があって、推測が切れてしまうのが痛い。この手の碑文は、刻字自体の完全な解読ができなくても、前後の文脈から予想して、きっとアノ字に違いないなどとアタリを付けたりするものなのだが、未読箇所か多かったり、鍵になる部分が死んでいたりすると、そこで思考のほうも途切れてしまう。今回の碑文については、結論からいえば、解読作業は手に負えないということになったのだが、意外なところに興味深いオチがあったので、ちょっと紹介してみよう。

 戦□□誉奉納ノ記
是レ明治三十七八年役戦□□ノ一□
□テ我カ勇武ナル軍人ノ熱血□□キ
大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ□
ノ献シ以テ□□ノ微衷ヲ表シ尚
皇運ノ隆昌-国勢ノ発揚-ヲ祈ル
 明治四十年三月
     陸軍大臣寺内正毅□

 まず標題からして解読できていないのが厳しい。「戦□□誉」の部分は、あるいは「戦利兵器」となっているような気もするが、それでも聞き慣れない言葉だ。どこかの戦闘でぶんどった品物、いわゆる戦利品のうちの兵器類ということだろうか、それを奉納したということなのだろうか。「明治三十七八年役」というのは、現在では日露戦争と呼ばれている戦争のことで、近代日本に国家レベルでの高揚感をもたらした事件でもある。その戦勝記念、あるいは「戦利兵器」の奉納報告というのが、この石碑の正体のようだ。そして、その後の七文字「戦□□ノ一□□テ」で輪郭が絞れるはずだが、その部分に未読文字が続くので、ジ・エンドである。ただ、幸いにも「大捷ヲ得タル記念物」だの、「皇運ノ隆昌-国勢ノ発揚-ヲ祈ル」だのの箇所は一続きの文言が解読でき、この石碑のおおよその性格を推し量るのに役立つ。とはいえ、それ以上は進めようがなかった。

 こういう次第で、もうお手上げかなと思っていたところ、意外なオチが待っていた。「熱血□□キ」のあたりは手の施しようがなかったのだが、「以テ□□ノ微衷ヲ表シ」は慣用表現というか、定型文の匂いがぷんぷんしているので、「ノ微衷」で検索をかけてみた。すると、なんということか、各地の神社に同文の碑があるようで、その全文もきちんと紹介されていたのである。ざっと目に付いたところでは、山手熊野神社(兵庫県、紹介ページ)、井椋神社(埼玉県、紹介ページ)、鷲神社(埼玉県、紹介ページ)、厳島神社(愛媛県、紹介ページ)など。これらのページによれば、砲弾等が奉納されているということで、碑文は以下の通り。

戦利兵器奉納ノ記
是レ明治三十七八年役戦利品ノ一ニ
シテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺キ
大捷ヲ得タル記念物ナリ茲ニ謹テ之
ヲ献シ以テ報賽ノ微衷ヲ表シ尚
皇運ノ隆昌ト国勢ノ発揚トヲ祈ル
明治四十年三月
   陸軍大臣寺内正毅(花押)

 こうした奉納が行われている神社、上にみた四社などは、いわゆる社格の高いところばかりとは言えないようなので、数ある神社から選ばれたというわけではなさそうだ。おそらく、帰還兵が地元の神社に奉納したというものなのだろう。思うに、日露戦争が終結したとき、戦地からの帰還兵たちが、それぞれの出身地に露軍の砲弾等を持ち帰っては地元の神社に奉納していたのだが、全国各地で見られたそうした動きを国家的なムーブメントに昇華させるべく、陸軍大臣寺内正毅の名をもって後追い的に集約した、それが明治四十年の三月ということなのではないだろうか。
[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2010-09-08 03:11 | 街角の風景
2010年 03月 10日
泣けとごとくに
 白川畔にある「かにかくに」歌碑をネタにして暴論をぶちあげたついでに戯言を少々。話の流れで石川啄木の『一握の砂』を読んでいたところ、気になる一首と出会った。連作「煙」の中にある一首、
やはらかに柳あおめる
北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目にみゆ
泣けとごとくに
 気になったのは、末の句「泣けとごとくに」である。この七文字が目に飛び込んで来るや、頭の中では「風の音が胸をゆする、泣けとばかりに」と置き換えられ、お約束のリフレーンが響きだした。言うまでもなく「ああ、津軽海峡冬景色~」である。

 「津軽海峡冬景色」は歌謡曲史の中でも名曲の一つに数えられると思うが、阿久悠作詞の歌詞が何にましても傑作だと考えている。冒頭の「上野発の~」は単なる空間を示すだけでなく、特別な時空間を呼び起こす言葉である。この点については、誰だったか忘れたが、何やら評論家とかの肩書きをつけたお方がこの言葉は歴史語彙であるというようなニュアンスで語っていたのをテレビで見た記憶がある。それについては全面的に賛成したいところだが、この歌詞でもう一つ、秀逸な言葉遣いだと思っていたのが、「泣けとばかりに」という箇所だった。

 ここで命令形を用いることで、ありきたりの擬人法では表現しきれない峻烈な空気が醸しだされている。命令形のこうした使い方など、ものすごいセンスだと思っていたわけだが、実は先例があったのかということで驚かされたわけだ。もちろん、こういうのは盗作とか剽窃には当たらず、優れた先行作品を効果的に再生させた事例といっていい。ただ100パーセントの阿久悠オリジナルだとばかり思っていたから、驚いたまでである。ちなみに、単に命令形というだけなら、百人一首に似たような使い方がある。それは86番、西行法師の一首
嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな
 自然の景物から心象におよぶ命令を受ける表現といえば、先行事例として、このあたりまで溯ることにはなるのだが、「泣けとごとくに」と「泣けとばかりに」では、かなり直接的なつながりが感じられる。

 ところで、余談を一つ。よく問題にされる「歌詞の引用」についての話である。当方の考え方としては以下の通り。ある歌詞の一部と特定できる記述であったとしても、文章全体の中での比重がメーンでない場合は、「転載」ではなく、「引用」であり、「転載」であれば、JASRACの定める手続きに従って許諾を得なければならないが、「引用」の範囲なら無断でもOK。したがって、「津軽海峡冬景色」をとりあげた上記のような形態は許諾不要のケースである。こんなことを言い出すのは、歌詞の利用に関してJASRACのガードは不自然なくらい厳しいという印象を抱いていたからである。丸々紹介するのみは不可、話の素材として部分的に使うのなら問題なしと考えている当方と異なり、どんな形でも一切不可(要許諾)というスタンスだったような印象を抱いているのである。JASRACの最新見解は調べていないし、JASRACがそこまで言う法的根拠についてはよく理解していない分野なので、突っこんだコメントはできない。

 歌詞のみを載せたページを作ってしまうのは、常識的にも著作権を踏みにじるわけだからアウトだし、礼を失しているのはわかる。しかし文章の一部として使うのもいけないとされる理由の方は、よくわからない。歌詞をまるまる書き出しておいて、「いい歌ですね」とか「この歌、好きです」いうコメントを一言つけておけば、引用だと言い張る御仁もいるらしいので、著作権管理団体の立場としては、どんなケースでもとりあえずはお伺いを立ててくれということなのだろう。

 ただ、JASRACの立場がそうだからといって、過剰な反応を取るのもどうかと思う。ウィキペディアには「津軽海峡・冬景色」のページもあるのだが、そこにリンクされている、竜飛岬にある歌碑の写真では、歌詞の部分が高画質版ではぼかしが入っている。どうなんだろう、少々、やりすぎなのではないだろうか。歌碑の写真を高画質版でみれば、歌詞をまるまる確認することができるはずだし、そうなると歌詞がメーンのページだと言われて文句は言えないのだが、なんか釈然としない。そこまでやるくらいないら、高画質写真を載せなければいいだろう。いや、単にJASRACに対するイヤミでそうやっているのだろう、それなら、まだ分からなくもない。

 以上、京都とまったく関わりのない話題となり、タグからの遡源ができなくなったので、少しお茶を濁してみる。前回に続いての歌碑ネタで、上賀茂神社にも歌碑がありますというお話。百人一首にも採られているもので、98番の従二位家隆歌
風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける

a0029238_2336096.jpg
上賀茂神社境内の歌碑(写真クリックで拡大)

今回の写真は未加工で、本文欄での表示サイズのみ縮小したもの。従来の加工ソフトを通したケースではexif情報が削除され、フォトギャラリーの対象外となることへの措置。

[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2010-03-10 23:58
2010年 02月 10日
上賀茂神社前ロータリーの変
a0029238_1224876.jpg


 何食わぬ顔して上賀茂神社の写真を貼ってみる(写真クリックで拡大)。

 この1枚を見て、あれ? なんかイメージが違うな?と感じた御仁は相当京都に詳しいのに違いない。実はこの写真、上賀茂神社前のロータリーを撮っているのには違いないが、このロータリーは五日前(すでに日付が変わったので五日前とする)に大きくイメージを一変させたのである。

 詳しく言うと、このロータリーの背後あたりにこんもりを繁った巨木があって、杜の社のようなイメージを演出していたのである。実際、上賀茂神社を訪れたことのある人なら、そう感じたに違いないが、一の鳥居をくぐると広々とした芝地が広がっているのだが、コントラストを際だたせるように、神域の周囲には木々が立ち並んでいる。中でも表玄関的な位置に相当するこのロータリーのところの立木は、朱色の瑞垣とマッチして、シンボリックな風景でもあった。

 ところが、五日前、このロータリーに差しかかった時、目に飛び込んできたのはうなりを上げている重機。どうやらロータリーの背後にあった巨木を伐採しているらしい。枝を落としてスリムにするといったお上品な剪定ではなく、根元から切り倒してクレーンでガガガガガ!ゴゴゴゴゴ!と除去している作業中だったのである。

 視界が悪くて危険だとかのクレームでも付いたのだろうか、それとも虫食いにやられていて放っておくとロータリーに倒れ込む危険性があったのだろうか。正確なところはわかならいが、なかなか思いきったことをするものだなあと思いつつ、着々と進む伐採工事を眺めていた。

a0029238_215580.jpga0029238_222386.jpga0029238_224242.jpg


 ところで、帰ってきてから、伐採前と伐採後の比較みたいなことをしてみようかと思って、手許にある上賀茂神社の写真を片端から見てみたのだが、このロータリーを撮ったものは1枚もなかった。一の鳥居とか、立砂とか、拝殿とか、楢の小川とか言った、いかにも上賀茂神社ですと言っているものは何枚も撮っているくせに、ロータリーの側から上賀茂神社を眺めているアングルは完全にスルーしていたようだ。ロータリーの背後に聳え立って、「イメージを演出」とは言ったものの、件の巨木は今回のような出来事がない限り、それだけをことさらに取りあげることもないといった、半端な存在だったのだろう。あるいは無くなってからジタバタ慌て出す当方の視線が疎か過ぎるということなのに違いない。

 ということで、ネット上に公開されている上賀茂神社を探してみた。大勢は当方と同様で、拝殿や立砂を撮ったものだったが、少数ながらも御薗橋方面からのアングルで撮ってくれている方もいた。他人様の写真ではあるが、今となっては貴重なものになったかも知れないので、ちょっと拝借させていただく(出所はこちら)。
a0029238_11493168.jpg
a0029238_11495173.jpg

(写真上:巨木ありし頃の風景、下:2010.2.9の風景//クリックで拡大)
[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2010-02-10 01:37 | 街角の風景
2009年 10月 13日
上賀茂神社から徒然草へ
a0029238_233242100.jpg 「何だこの程度か」と書いた以上、二度も取りあげるには及ばないのだが、前回の写真が遠目からだったこともあり、もう一枚撮ってみた(写真クリックで拡大)。当然ながら、落ちた枝はすでに片づけられてはいる。木の本体はしっかりと残っているのだから、この程度かとの印象は変わりはしないのだが、それでも近くで見ると、一応は被害らしい被害だったという感じは伝わってくる。

 ところで、上賀茂神社で競べ馬の話を持ちだすと、次の展開は法律か何かで規定されているかのように、お約束の方向がある。徒然草四十一段「五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしが」への言及である。高校か、場合によっては中学かの教科書にも出てくる話なので、筋はよく知られているはずだ。一応、確認の意味も含めて紹介してみる。

 競べ馬見物に訪れたところ、埒の近くは人混みになっていて近寄ることもできない。ふと視線を後ろに転じると、棟の木に一人の僧が登って見物をしている。しかし、退屈しているのか、うつらうつら舟を漕いでいる。しかも、あわや落ちそうになったところでハッと目を覚ますことの繰り返しで、馬鹿な奴だなあと周囲の嘲りを買っa0029238_23325567.jpgていた。そこで、兼好が一言、「木の上で居眠りをしている人のことを愚かだのなんだの言っているが、命あるすべての人は死と隣り合わせになっている。そんなことにも気付かず、物見に浮かれている人たちは、本当に他人のことを笑えるのだろうか」。埒の前にいた人々は恐れ入った様子で、「ごもっともなことです、さあこちらへお入り下さい」と場所を譲ってくれたのだった。(写真は上賀茂神社境内にある棟の木。徒然草当時のものではあるまい・・・

 こうした展開に続いて、
かほどのことわり、誰かは思ひ寄らざらむなれど、をりからの、思ひかけぬ心ちして、胸に当りけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて物を感ずることなきにあらず。(この程度の道理は誰もが思い付くことだが、祭りの日の浮かれ気分を諫められたようで、ハッとする感じがして、私の言葉が胸に響いたのだろう。人は木石ではないのだから、機に応じて深く感じ入ることもないわけではない)
との評言が添えられる。木の上で居眠りをしている人と、何の不安も抱かずに日々を興じている人々は何の変わりもないという、いわゆる無常観を突き詰めた発言が章段の主旨であるかのように言われることもあるが、最後の評言に重きを置くとすれば、ことさらに当たり前のことを言われて態度を豹変させた人々の姿というところに要点があるものと思われる。

 人混みの後ろで教訓めいた言葉を発したところ、人々が恐縮がってくれたと、得意げに言っているとすれば、なんとも鼻持ちならぬ話に聞こえるが、ヒューマンウォッチングの一つだと見れば、こういう話もアリかなとも思えてくる。現行の章段順は後代の人が整理したものとされるのだが、この四十一段とよく似た話を素材にしていながら、まったく逆の反応を受けているものもある。それが九十三段。並びの上で離れているので関係なさそうだが、あえて並べて読んでみると、案外面白い。

 ある人が牛を売ろうとしたところ、売買の前日に肝心の牛が死んでしまって儲け損なうことがあったのだが、その話を聞いた人が「売り主は損をしたようだが、実は大きな儲け物をした。それはそれまで意識していなかったろう、生と死の隣り合わせの関係を知ったことである」と言った。ところが、周りの人たちは、そんなことはすべての人に共通していることで、牛の売り買いとは関係ないだろうと言って嘲笑する。それに対して「だからこそ、生きていることそれ自体の有り難みを感じるべきで、余分な楽しみをむさぼるべきではない」云々と続けるのだが、なおさら笑われてしまった、という。

 実際の文章はもう少し複雑に入り組んでいるが、大雑把にまとめると、こんな感じだろうか。四十一段と並べてみると、生と死の隣り合わせが何タラというところは共通していても、その話を受けての反応が両極端である。九十三段の方には、白々しい評言は添えられていないのだが、兼好が言うところの「かほどのことわり」も、受ける人によって異なるのだとすれば、ヒューマンウォッチングの一つと言っていいだろう。徒然草を「批評と観察の冒険」と評したのは小林秀雄だったが、四十一段および九十三段はそのスタイルがよく現れている章段である。

 もっともTPOが決まって感心されたのが兼好自身の話であり、嘲笑を受けたのがよその人のことだとすれば、やはり鼻持ちならないとなるかも知れない。それでも、徒然草に載っている話のすべてを実話と考える必要はないわけだから、発端となる部分は兼好が都合のいいように整えたのだとすれば、そこにちょっとした自慢を差し挟むかどうかなどは些細なことだろう。「徒然なるままに日暮らし硯に向かひて」で始まる文章をもって、そこに深淵な思想を読みとろうとすることには抵抗を感じるのだが、観察眼の鋭さは認めざるを得ない。
[PR]


トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。
         
by office34 | 2009-10-13 23:45