Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work: there is now no smooth road into the future: but we go round, or scramble over the obstacles. We've got to live, no matter how many skies have fallen. This was more or less Constance Chatterley's position. The war had brought the roof down over her head. And she had realised that one must live and learn.
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2014年 01月 18日
桜色?
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1/16の夜、京都タワーが桜色にライトアップされた。なんでも受験生を応援するとのお題目で、“サクラサク”のイメージにするとのことだったらしい。これに限らず、京都タワーは時折、なにがしかの色にライトアップされている。しかし、それらは大抵は一日限りであり、しかも夜あるいは翌日のニュースetcによって過去形で知らされることになる。したがって何かのキャンペーンでのイメージカラーになっていたとしても、結局は現物を見逃してしまうわけである。それに対して、今回の桜色キャンペーンは、たまたまの巡り合わせだったのか、「今夜は……」という形で事前に情報を知ることができた。それで駅ビルへ出かけてみた。撮影スポットは例によっての例の如し、烏丸広場である。

出来映えとしてはどうだろう。もう少しマシなものを期待していたのだが、設定がよろしくないのか、それとも合格色らしからぬ禍々しいくらいの不気味さに色づいていた被写体が問題なのか、はっきり言ってパッとしない。これなら後追い的にニュースで教えてもらって、ヘェ~と他人事のように流しておいてもよかったかも知れない……。
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by office34 | 2014-01-18 23:39 | 街角の風景
2014年 01月 04日
祇園閣・京都タワー・時代祭 ~キッチュ愛(15)
年を越して続けてしまったキッチュ論議だが、もういい加減に幕引きをせねばなるまい。最後に、出発点の祇園閣に戻り、全体の要約的な意味合いのものを書いておく。

八坂は円山公園の南側にある大雲寺、その敷地内に奇矯な建築物が建つ。名付けて祇園閣。大雲寺が現在地に移転するにあたって敷地ともども取得したもので、もとは大倉喜八郎の別荘地に立てられたモニュメント的な楼閣である。日本近代史に「政商」や「成金」の代名詞のごとく名を残した大倉喜八郎、その大倉が晩年に自らが生きた証となるモニュメントとして建築した建物である。楼閣の北側には、大倉財閥を継いだ喜七郎名による記念碑が残されている。碑文に曰く「始め翁齢九旬にして気益壮なり茲に記念建築を造営して永く国運の隆昌と旧都の繁栄とを祝福せんこと我企図し工学博士伊東忠太先生に嘱して案を作らしめ大倉土木株式会社をして其の施工に当らしめ終世自ら之を□督す」と。伊東忠太設計、大倉土木施工によるこの工事に対しては、九十路を越えてなお元気だった喜八郎は当初は陣頭指揮をとっていた(頻繁に注文をつける程度?)ようだったらしいが、昭和三年の四月にその生涯を閉じ、六月の落成を見るには至っていない。また「閣三層方三十五尺高さ地を■くこと一百二十尺鉄条を骨とし凝土を筋とし石材を以て之を装ふ磴階盤旋第二層に至れば既に洛の中外を瞰下すべく第三層に至れば遠く摂河の平野を望むべし屋上高〓天に冲し尖頂の金鶴翼を張て九皐に鳴かんと欲す洵に西都第一の異彩なり」(■:判読不能、〓:キヘンに棠)ともある。約10メートル四方の床を三層重ねた上に金の鶴を飾る尖塔を立てて約40メートルとする鉄筋コンクリート製。楼内の石段を巡って登れば二層よりすでに洛中が一望でき、三層に至れば大阪まで見渡せると云々。

碑文が「西都第一の異彩」と称揚するのは、祇園閣碑自体がこの建築を顕彰すべく造られたものなので当然至極のことなのだが、刻まれた褒め言葉とは裏腹に、現代の目線からすれば「奇矯」という形容詞を送らざるを得ない。そこへ大倉喜八郎の人生を重ねると、俗臭の極みを感じないわけにはいかない。確かに碑文がいうように、眺望においては見るべきものがある。「遠く摂河の平野」は言い過ぎでも、八坂界隈の瓦屋根群を間近に俯瞰できる場所はここをおいて他にはないことを思うと、それだけでも貴重な建築であることは認めるべきだろう。しかし建築の存在には成金趣味の俗物性を見てしまうのである。

ところでこうした奇矯な建造物に接すると、とある概念が頭をよぎる。それがキッチュなるものである。この言葉は時代時代によって意味するところが拡散するので、厳密に定義するのは容易ではないのだが、低俗さ、ケバケバしさ、贋物性といったところを大きく絡め取る言葉ではある。前提にそうした曖昧さが残ることを認めても、祇園閣にはその属性のかなりの部分がキッチュ論議のカバーするところに含まれているようだ。たとえば、大倉喜八郎が自らの人生のモニュメントとして最初に要求したデザインが、伊東忠太をも唖然とさせた逆番傘タワーだったことを思えば、建物のベースに俗物性があることは確認できる。また第二案となった現状のデザインについてもしかり。祇園祭に繰り出す山鉾を模すことがすでにキッチュなのである。山鉾は町衆がひたすらに豪華さを競い合った末に生まれたものである以上、幾分かはキッチュ的なところがあるが、その見てくれを借りてくるという発想はキッチュを地で行くものといっていい。もちろん、伊東忠太の設計というフィルターをくぐることで、発想に含まれるキッチュ性は軽減されてはいる。楼閣建築の設計で山鉾の姿をそのままに巨大化させただけであれば弁護のしようもないが、山鉾風にという施主のリクエストを踏まえながらモニュメント建築たるぎりぎりのところに妥協点を求めているあたりは設計家の仕事である。もっとも伊東忠太が昭和の初期に盛んに手がけていた帝冠様式と呼ばれる和風テイストのデザインは、それ自体が大衆迎合的なキッチュであるとの評価もあるわけだが、それは山鉾を模するところのキッチュ性とはニュアンスが異なる話である。

さて祇園閣とキッチュの話をしていると、京都にはもっとキッチュらしさを振りまいているアイテムがあることにも気づかされる。京都タワーなどその一つだろう。京都タワーを取り上げて、デザイン的なところで苦言を呈するとすれば、異様な白さとケバいまでの橙がやり玉に挙げられる。しかし当方が京都タワーにキッチュ性を感じるのは、あの建築が昭和30年代になされているという事実に対してである。というのは高度経済成長のシンボルとも語られる東京タワーに刺激されるかのように、各地に高層展望台が出現したのが昭和30年台の後半から40年代にかけてのことだからである。デザインの上では、東京タワーを真似ているのではないのは明らかでも、存在に東京タワーに対する贋物性を感じてしまう。贋物性といっても、極度に高められたコピー精度だったり、洗練された臨模技術だったりによって、本物でないという前提の上で新たな価値を生み出すケースもあるが、生憎ながら京都タワーにはそうした斬新さは見られない。ゆるキャラブームに乗っておらが街にもといった感じで生まれてくる後発キャラのような、大衆迎合的な性格を感じてしまうのである。

あるいは時代祭の風俗行列にも、キッチュの大きな要素である贋物性を認めることができる。時代祭は京都を代表する観光物件なのだが、あの風俗行列が本物でないことは論を俟たない。その意味では出発点においてキッチュであると断じることができるのである。しかしながら、本物でない、偽物である、といったところを出発点にすれば、時代考証の正確さや装束の作り込みなど、風俗行列の成り切りぶりには見るべきところが多い。キッチュであると認めつつ、キッチュであることそのものが眼目になってしまうのが時代祭の風俗行列なのである。

思えば社会現象においてキッチュをめぐる議論がなされ始めた頃、すなわちC・グリーンバーグが「アヴァンギャルドとキッチュ」というエッセイを世に問うた頃であれば、キッチュであることはすなわち否定的価値だった。ところが大衆文化に対する分析が精細になってゆくにつれ、キッチュと呼ばれる属性は近代社会の必然であるように見なされるようになる。そうなってくると、キッチュなるものも否定一色で扱われてしかるべきものではなくなる。キッチュ論議のややこしさは、こうした分析する側の目線の多様さに依っているようだが、時代祭にせよ京都タワーにせよ祇園閣にせよ、それぞれにキッチュ性を指摘することはできる。だが、だからといって即座に切って捨てるには当たらない。もちろん、それぞれにおいて、否定と肯定を逆転させる基準は一様ではないのだが……。



【キッチュ愛】
祇園閣とキッチュ / 俗悪・バッタもん・キッチュ / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(1) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(2) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(3) / "AVANT-GARDE AND KITSCH"(4) / 建築様式とキッチュ / 京都の近代建築 / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(2) / 古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(3) / キッチュの大衆親和性 / 祇園閣のキッチュ性 / 祇園閣から京都タワーへ / 京都タワー擁護論 / 本物でないということ / 時代祭、大いなる仮装行列 / 祇園閣・京都タワー・時代祭

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by office34 | 2014-01-04 03:43
2013年 12月 27日
京都タワー擁護論 ~キッチュ愛(12)
キッチュ論議の中で「贋物性」をいうにあたって、京都タワーを取り上げた。その中で、やや度が過ぎたというか、悪口を並べすぎたかも知れない。確かに、いくつかの事実を並べると、京都タワーに独創性のほとばしりを見いだすのは難しい。昭和30年代の後半から40年代の前半をみると、京都タワーをはじめ、各地に高層展望施設が建てられているわけだが、それらは昭和33年に竣工した東京タワーに刺激されたものと考えるのが普通だろう。だとすれば、二番煎じというか、柳の下になんとやらの世界である。しかも東京タワーを凌駕するような高さがあるわけでもないとなると、顰みに倣うの故事よろしく、猿まねをして顰蹙を買ったケースと見なされて致し方ない。しかし、そうした事実を並べるとともに、それでもやっぱり京都タワーは京都タワーであって、他に置き換えのできるモノではないという声にも頷かざるを得ない。

いくつかプラスの要素を数えてみようか。まず展望室に上がっての眺め。当方がいくらへそ曲がりの天邪鬼だとしても、これを褒めるのには、けっして吝かではない。とりわけ日没前後のタイミングを見計らって展望室に入ると想定以上に楽しい思いができる。また眺める対象としての京都タワーを論じるとすれば、夜景の一角に京都タワーを入れる風景は「京都らしさ」の一つになっているようにも思う。もちろん、これは竣工からすでに半世紀が過ぎているという年月のなせる業との見方もできるのだが、やみくもに悪くいうほどのものでもない。また思わぬ場所から京都タワーが眺められたりすると、珍しい発見でもしたかのような満足感も味わえたりする。

要するに、分析的に考えてのマイナス点はいくらでも出てくるのだが、それとは別に、好きか嫌いかというところを問われて「好き」と答えることがあっても、少しも可笑しくないということである。これをキッチュの問題にスライドさせるなら、用語の定義などキッチュなるものを分析的にいう時には、劣った芸術だの低俗だの下層民向けだの無教養者用だの、さまざまなマイナスを並べることができる一方で、好き嫌いの議論に持って行くと、いきなり支持者も増える、といったあたりのことと重なってくるのかも知れない。

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日没直後、街の明かりが灯り始めるタイミングは風景にも味わいが深い
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もう少し時間が経ち、完全に暮れきる直前も悪くない
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昼間に楽しむならコレ、展望台から真下が眺められるのがポイント。
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こういう舞妓人形をおいて京都らしさを主張するあざとさも京都タワーならでは。





【キッチュ愛】
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by office34 | 2013-12-27 05:28
2013年 12月 25日
祇園閣から京都タワーへ ~キッチュ愛(11)
キッチュ論議をする場合、贋物性なるものは大きな意味合いをもつ。"バッタもん度"といえばわかりやすいか、要するに手本となる「真正」があり、それを志向しているにも関わらず何かが足りない、足りなくて妙なものになっているetc……そういったシチュエーションである。C.グリーンバーグの"AVANT-GARDE AND KITSCH"でも問題にされていたことではあるが、大雑把にいえば、こんな具合か。キッチュの原義を問う時には真正なる芸術に手が届かないからバッタもん(simulacra)で間に合わせる、そうした要求に応えるのがキッチュである云々。これは極めて表層的な理解なのだが、少し掘り下げた言い回しも用意されている。すなわち、アヴァンギャルドは過程であり、キッチュは結果であるとする一節である。先人が残した真正の芸術を志向しつつ、その創造過程に意義を見いだす場合は、たとえ模倣行為であってもその内側には新たな独創性が芽生えていてアバンギャルドへと傾くのに対し、事物の外形のみを借りて製品を作る場合はキッチュであるというものである。マティ・カリネスクの文章にも、ミロのビーナスはさまざまなサイズのものが世界中に存在しているという内容のことが書かれているが、これは廉価なレプリカが大量生産されていることをいう文脈であり、キッチュの最たる事例として触れられている。このブログでも、天龍寺の達磨図を取り上げ、クリアファイルに印刷された達磨図はキッチュであると書いたが、それと同じ理屈である。

さてルーブル美術館に保管されているミロのビーナスと世界各地にあるさまざまなサイズの模造品、天龍寺庫裏入口に置かれている達磨図とクリアファイルに印刷されたデザイン、そういったシンプルな対比であれば、贋物性をキッチュの特徴として指摘するのは容易だろう。だが祇園祭に登場する長刀鉾と祇園閣といった対比になるとどうか。祇園閣が山鉾を模しているのは事実である。どこから見ても山鉾をイメージしているように見えるし、祇園閣碑や大倉喜八郎の伝記にもその旨ははっきりと記されている。だがこのケースは真正と偽物という対比ではない。伊東忠太が図面を引くにあたって、大倉のリクエストに従ったにせよ、山鉾を設計したわけではない。あくまでも楼閣を造っているのである。そういう意味ではバッタもん(simulacra)と断じることはできない。もちろんキッチュでなければアバンギャルドだとの二分法に依る必要もないので、祇園閣に芸術性を見いだすつもりはないのだが、贋物性という方向から祇園閣のキッチュ的な性質をいうことは難しい。むしろハチャメチャな大倉のリクエストに対して、一応は建築物として堪えうる範囲に収めた伊東の設計を評価するべきだろう。

ところで建築物に絞って話をするとすれば、レプリカはどの範囲までが許容されるのだろう。オリジナルの金閣寺に対して再建された金閣寺はレプリカではあっても贋物性が問われることはない。同様に、平安神宮の応天門や拝殿も王朝時代の内裏応天門と朝堂院を模しているとはいえ、否定的な意味での贋物性が云々されることはない。淡路島だったか、どこかのテーマパークにエッフェル塔や凱旋門が勢揃いしているところがあるとも聞くが、ああいうレプリカはキッチュであって、最初から芸術や歴史といった方面からの言及はなされない。そのぶんギャグの文脈で語られることになり、別な観点からの評価も生まれる。ここで問題にしたいのは、再建金閣寺タイプでもなければ、平安神宮応天門タイプでもない、またギャグでもない、致ってマジメに造られているのに、生憎なことに浅薄さが表出してしまっているケースである。そんな建築が京都にはないものかと見回してみると、思いつくのが京都タワーである。

京都タワーが建造された昭和三〇年代は高度成長期のただ中であり、東京タワーに刺激されたかのように、各地でタワーの建築が行われたようだ。もちろん電波塔の必要性という現実的な需要もあったろうが、近年のゆるキャラブームではないが、負けるな遅れるな的な発想で建てられたものもあったに違いない。そうした背景を思い描きつつ、京都タワーを眺めてみるとどうだろう。通天閣のような歴史性があるわけでもないし、高さも東京タワーの比ではない。それに電波塔としての役割を期待されたようでもなさそうだ。流行り物に乗っかるのなら、先行するものを圧倒するくらいの何かが必要なのに、単純に、京都にもランドマークになる高層展望台をといった感じで進められたプランであるように思えてしまう。もちろん時代と切り離して、独立した建築物として眺めるのであれば、下部のタワービルのデザインも含めて評価すべきポイントはたくさんある。何よりも展望室に登っての眺めは十分に楽しめる。しかしブームの中で登場した物件だからこそ、最初に貧弱さが目に付いてしまうのである。戦前からの歴史がある通天閣や高度成長期のシンボルのごとく語られる東京タワー、これらを傍らにおくと、京都タワーには、形態的に似ているというわけではない「贋物性」が見えてくるのである。


-追記-
文中にある「淡路島だったか、どこかのテーマパークに~」は、淡路ワールドパークonokoroという場所らしい。公式サイトによれば、園内の「ミニチュアワールド」には、ピサの斜塔やアクロポリス、コロッセオ、タジマハール宮等のミニチュアが造られているとか。なお凱旋門はあるが、エッフェル塔はない模様。






【キッチュ愛】
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by office34 | 2013-12-25 09:07 | 街角の風景
2013年 12月 10日
古典・帝冠・キッチュ・モダニズム(1) ~キッチュ愛(8.1)
昨日の投稿で様式から注目されそうな建築を並べてみたわけだが、やはり写真がないと見栄えがしない。かといって、単に被写体で当該建築物が写っているというだけでは用をなさない。様式云々をいう以上、その様式性が表現できているアングルからでないとここでの目的にそぐわないからである。そんなことを考えると、それぞれを改めて撮ってまわらねばならなくなるのだが、当面の措置ということで、手許にある写真でお茶を濁してみよう。


-単体でピックアップすべき建物-
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京都国立博物館[明治28年/片山東熊]
「古典様式」「ルネサンス様式」「フレンチ・ルネサンス様式」等で説明される。正面から撮った写真がベストだが、手許にないので斜めからのもので代用。wikipedia参照

長楽館[明治31年/T.M.ガーディナー]
公式サイトには「ヨーロッパの様々な建築様式を組み込んだ迎賓館」とある。写真なし。

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京都府庁旧本館[明治37年/松室重光]
公式サイトによれば「ルネサンス様式」。ルネサンス時代の建築に準拠するという意味ではネオルネサンス様式とする方が妥当か。モダニズムの視点からいえば「旧様式」

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祇園閣[昭和3年/伊東忠太]
帝冠様式(日本趣味)。大雲院拝観時に配布されるパンフレットによれば「祇園祭の壮観を常に披露したいと希って山鉾を模した」旨が紹介されている。それが事実であれば、「帝冠様式(日本趣味)」に則って設計されたわけではない。

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京都タワービル[昭和39年/山田守]
モダニズム。タワーの意匠が注目されがちだが、下部のビル部分はモダニズム建築に分類できる。「モダニズム」の定義は人によって異なるが、ここではwikipediaによる「逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を残した」との記述(山田守のページ,2013.12.現在)に従う。






【キッチュ愛】
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by office34 | 2013-12-10 03:41
2013年 11月 27日
とある京都タワー
こういったアングルも、まあ悪くはない。
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別に深い意味があるわけではないが・・・・
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by office34 | 2013-11-27 00:40 | 街角の風景
2013年 11月 08日
駅ビルに映る京都タワー 付・アクアファンタジー
“キッチュ”ネタはちょっとお休みしておいて、今日は繋ぎのコネタ……

JRの京都駅ビルは、その鏡張りの外壁に京都タワーが映り込むように設計されているとか。しかし、厳密にはタワーの全景がきちんと見えるわけではなく、場所によっては上部の展望室の部分だけだったり、逆に展望室を欠いた首の部分だけだったりと、どうも煮え切らない。もちろん、タワーを映すことを何よりも優先させたわけではないのだから致し方なのだが、あちらこちら歩き回って探してみると、どこかに全景がきちんと映り込んだ景観を楽しめるスポットがあったりするのだろうか。

で、京都タワーといえば、アクアファンタジーとの組み合わせを狙う習慣が付いてしまっているわけだが、駅ビルに映り込んだタワーとの組み合わせはどんな具合だろう。

ということで、試しの2~3枚

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手ぶれを防ぐべくセルフタイマーで狙ったら、タイミングが狂ったパターン

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噴水とうまくシンクロできても展望室がないと、まったく物足りない

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せめて展望室ぐらいはと考えて場所を変えると、今度は噴水とのコラボが……

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やっぱりオーソドックスにこのパターンかな

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by office34 | 2013-11-08 02:07 | 街角の風景
2013年 11月 02日
俗悪・バッタもん・キッチュ ~キッチュ愛(2)
深く考えずにキッチュという言葉を持ち出したものの、掘り下げてみると底が見えないくらいに深そうな気配がしている。原義で示されているケバケバしい俗悪趣味をいうまではいいが、その先の広がりが多岐にわたり、落としどころが見えてこない。
キッチュという言葉は、品物の形をさす場合もあれば、人間と物との関係を意味する場合もあって、必ずしも定義しやすい概念ではない。しかしキッチュは、ブルジョア社会のどんな地域、どんな文化にも生じる普遍的な現象であり、繁栄する社会でしだいに主役にのし上がってきた凡庸な人間の美的態度、生活術と結びついている。真正な芸術を俗化する点では反芸術に近く、無償的である点では現実よりも芸術に近い。キッチュは、文学、美術、建築、音楽など広範な領域にひろがるが、いわば陳腐な画一主義と創造的な作品の中間に位置するといえよう。したがって、驚異や奇矯さもひとつの特徴として含むが、さりとてそれによって現状を乗り越えていこうとする態度をもつわけではない。
『世界百科大事典』(項目執筆:多木浩二氏)
全文引き写すとたいへんなことになるので、とりあえず中核になりそうな部分だけを引いてみた。この難解な解説を是とするか非とするかはともかく、押さえねばならないポイントは消費社会や大衆文化を読み解く概念ということだろう。そして「真正な芸術」と対置される価値というのも大切だろうか。あるいは「驚異や奇矯さもひとつの特徴」というところもチェックした方がいいかも知れない。

「必ずしも定義しやすい概念ではない」とあるように、めぼしいポイントをピックアップしたところで、それらを満たして初めてキッチュに該当するといった方向にもっていくことはできない。当方の理解が大雑把すぎるのだろうか、複製のきかない1点モノでありながら、従来的な芸術の範疇に収まらない奇矯さで目を引くようであれば十分にキッチュの文脈で検討せねばならないからである。あるいは北野天神絵巻や風神雷神屏風画であってもオリジナルに対するレプリカの方に着目するならキッチュの要素を見なければならないはずである。

ともあれ、定義自体が途方も無く難しいのは確かである。しかし、これなら完全無欠のキッチュになるだろうというものを具体的に取り上げておき、そこから微妙に揺れの幅を広げていけば、いくらかはイメージも固まったくるだろう。

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まずはこれから。某大型店の免税コーナーで見かけたもの。あざといくらいに「日本らしさ」をアピールする飾り皿etc。他にも新京極の土産物屋に並んでいる金銀の糸で竜虎図を刺繍した掛け軸とか、その類いを挙げるのもいいだろう。これらはいうまでもなく工場で量産されるチープな商品である。“ザ・バッタもん”を示すに当たっては、こういったところから始めておけば、たぶん異論はないだろう。

このように、俗悪さを前面に押し出してキッチュを否定的なところから捉えようとすれば“ザ・バッタもん”がちょうどいいサンプルになるのだが、それではこの手の飾り皿に描かれている絵が、横尾忠則やアンディ・ウォーホール原画だとすればどうだろう。オリジナルで描いているわけではなくプリントものである。ケバケバしい色彩を使っている点では“ザ・バッタもん”に引けは取らないし、量産品という点でもキッチュの特徴は備えている。しかし、いわゆる“ザ・バッタもん”の飾り皿とは、微妙に違う扱いを受けるのではないか。あるいは横尾忠則やアンディ・ウォーホール「風」の原画だったらどうなるか。原画を描いたのは、実際のところ、どこの誰だか知らない絵師である。二束三文の手間賃との交換で、巨匠のタッチを模してはいてもパクリにはならないレベルの図柄を描いて云々。評価の確立している巨匠であればアートであり、そうでなければキッチュとするのだろうか。それなら、無名の絵師が秀逸な出来映えの絵を描いたとしたら……。横尾忠則にしても、ウォーホールにしても、それなりの習作時代があったはずだから、有名かどうかは本質的には関係ない(そうしたところでしか区別ができないのだとすれば、消費社会の病理を別な意味で指摘できるだろう)。こうしたケースを考え始めると、キッチュを否定概念で捉えるのであれば、アートとの線引きが困難になるのは火を見るより明らかである。キッチュの範疇に入るものでも、一概に否定ばかりではないといった方向に舵を切らねばならなくなるのは、こうしたケースが多々出てくるからだろう。

祇園閣や京都タワーの話に入る以前のところでかなり手間取っているが、もう少しキッチュの輪郭を整理してから本題に進むことにしたい。




どうでもいいけど文字ばかりだと味気ないので

アン・京都タワー
ドゥ・京都タワー
トロワ・京都タワー  ……先っぽが入らネェ!
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【キッチュ愛】
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by office34 | 2013-11-02 01:46 | 街角の風景
2013年 09月 19日
AFでお月様
今日は十五夜とのよし。各地でなにがしかのイベントがある模様だが、当方としてはコンデジのAFでお月様を綺麗に撮れないものかと思案中。一応、言葉の定義をするなら「美しく」というのは、肉眼でみたものに遜色のない状態のことである。加えて、お月様らしく兎の餅つき模様が浮き出ているものが望ましい。ということで一枚。
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事情通なら、こんなのあり得ないと断言するはず。京都タワーと月の明るさがあまりにも・・・・・・といったところである。確かにこれは工作写真である。京都タワーを撮ったものに月を追加したというシロモノ。ただし、京都タワーと月を合成したというだけではなく、月だけに絞ってもいくばくかの工作がなされている。白く輝く月と、餅つき模様が浮き出た暗めの月とを重ね合わせて、肉眼で見える色合いに近くなるよう細工しているわけである。コンデジのAFで月をやっつけようと思えば、どうしてもこういうやり方になってしまう。ちなみに素材を並べておけば、以下の3枚。


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どうせ、工作写真だというなら、このくらいの方がいいかも。
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by office34 | 2013-09-19 03:18 | 街角の風景
2013年 08月 06日
京都タワーとアクアファンタジー
京都タワーとアクアファンタジーのコラボ、なんとか撮れないものかとやってみた。通常の見物場所からでは同じ方向にタワーと噴水を入れるのはムリだが、場所を探せばどうにかできないことはないといったところ。ただし、そこで問題になるのがタワーの明かりと噴水の明かりのバランス。

噴水の虹色を残しつつ、かつタワーが真っ白に飛ばない図柄を期待すれば、なかなか難しそう。コンデジでのチャレンジではどうにもならないようだが、撮影モードをあれこれイジってみたら、なんかそれっぽいのができて・・・

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どうだろ?、できているうちに入るのかな?

ダメだな。だって、は2枚の合成だし。


そのあたりは、ま、ご愛敬ということで。



【素材】
タワーの部分のみ、下のものを使ってます。2枚を重ねて、上の方から真っ白く飛んでるタワーを切り抜いたって感じですかね。
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by office34 | 2013-08-06 23:54 | 街角の風景